当時、私は中学生で落胆しました・・。
倉持 隆夫(くらもち たかお、1941年1月2日-)は、日本テレビ放送網の元アナウンサー。東京都三鷹市 出身。 早稲田大学卒業。
1964年、アナウンサーとして日本テレビに入社。『全日本プロレス中継』の実況アナ ウンサーを18年間務め、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、ミル・マスカラス、ザ・フ ァンクスらの数々の名勝負を放送。独特の「倉持節」でプロレスファンを熱狂させ、実況 最後の日には試合会場でウェーブが沸き起こるほどの支持を得た。
1990年から事業部へ異動。その間、日本テレビ在籍のまま他局製作のジャパン女子プ ロレス実況や、WWFのビデオ実況も行っている。1995年、読売新聞金沢総局へ出向 してニュースキャスターを務め、2001年に定年退職。 現在は夫人とともにスペインに在住している。
倉持アナのプロレス実況
同時代に活躍していたライバル新日本プロレスの『ワールドプロレスリング』(テレビ朝 日)実況担当の古舘伊知郎アナウンサーが印象的な造語フレーズを散りばめた華麗な実況 スタイルで注目を浴びたのに対して、倉持アナの実況スタイルは一見地味である。この点 について倉持アナは、古舘アナはその日の試合のリング上で起きるであろう出来事につい て事前に知らされていたであろうが、全日本の場合、馬場もスタッフも何も教えてくれな かった、と説明している。また、その言動・発言は非常に大袈裟なものが多かったが、だ からこそプロレスらしい緊迫感と説得力が生まれ、人気を博した。その他、全日本プロレ スとジャパンプロレスが提携していた時期には、新日本勢が多く全日本マットを踏んでい たが、新日本勢を見下した発言が多く、解説のジャイアント馬場からも「そんなことはあ りませんよ」と忠告されたこともある。
1980年、倉持アナ自身がザ・シークに襲撃された試合(シークに額を切り付けられた 倉持アナは本当に裂傷を負った)や、1981年、新日本プロレスから引き抜かれたスタ ン・ハンセンが突如会場に出現した試合(山田隆の「ハンセンですよ」としてファンには 知られている)などは、特にインパクトのある実況として知られている。
全日本プロレス中継における名言集
独特の抑揚として、単語は語尾を下げて発音することが多かった。
「輪島、怒りのミラクルタッチ!」(単に輪島がタッグパートナーにタッチしただけ)
「世界の鶴田、日本の長州!」
「大流血!1リットル、いや2リットルか?」
「男のロマンを如何なく見せ付けております!!」(大流血しながら勝利したテリー・フ ァンクを讃えて)
「ジャイアント馬場、マッハのスピード!!」(マッハのタイミング、とも)
「戦いの殿堂、日本武道館」
「ジャンボ鶴田、ルー・テーズばりのバーックドロップ!」
「顎の先端にヒーット!」(ジャンボ鶴田のジャンピング・ニーバットは必ずこう実況さ れた)
「両者対角線上に分かれました」
「場内は興奮の坩堝と化しております!!」
「マスカラス・ファンのちびっ子たち」
独特の口調
ジャイアント馬場→世界のジャイアント馬場、日本プロレス界のリーダー
ミラクルパワーコンビ(ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセン組)→超ミラクル野獣 パワーコンビ
控え室→ドレッシングルーム
アブドーラ・ザ・ブッチャー→アブドラ・ザ・ブッチャー
ケリー・フォン・エリックなど筋肉質のレスラー→アポロンのような肉体
アントニオ猪木が繰り出す全てのキック(延髄斬りなど)→アリキック
花束贈呈→「日本テレビ並びに番組スポンサーより、非常ーに豪華な花束が贈られます」 「綺麗なお嬢さんから、豪ー華な花束の贈呈です」
ハーリー・レイスが使用するブレーンバスター→バーティカル・スープレックス
パイルドライバー→脳天杭打ち
スピニング・トーホールド→伝家の宝刀、ドリーファンクシニア譲りのファンク一家の伝 統の技
NWA世界ヘビー級王座→世界最高峰
インターナショナル・ヘビー級王座→日本マット界の至宝
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