出典:EPGの番組情報
100分de名著 知里幸恵“アイヌ神謡集”(3)「銀の滴降る降るまわりに」[解][字]
フクロウのカムイの視点で描かれる「銀の滴」は、最も謎の多い神謡だといわれている。その謎は、アイヌの世界観や知里幸恵の思いに寄り添うと解けていくという。
番組内容
「銀の滴」に登場するフクロウは、中盤で貧乏な家の子が放った矢で射られるが、その矢をしっかりつかんだと描かれている。ところが、次のシーンでは死者として祭られている。なぜか。それは魂の世界と現実世界が並行して描かれているアイヌの世界観ならでは描写だという。更には、知里幸恵の日本語訳には、そうした世界観が伝わるよう工夫がこらされているという。第二回は、最も有名な「銀の滴」の深層を読み解いていく。
出演者
【講師】千葉大学名誉教授…中川裕,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】木原仁美,【語り】宇梶剛士ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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- サケヘ
- 人間
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- フレーズ
- 最初
- 滴降
- 表現
- 立派
- 和人
- イナウ
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
印象的なフレーズを生んだ
知里幸恵は
文学を学んだことのない
19歳。
推敲を重ね 100年愛される言葉を
生みました。
第3回は
知里幸恵の文学的才能に迫ります。
♬~
(テーマ音楽)
♬~
「100分de名著」
司会の安部みちこです。
伊集院 光です。
名著「アイヌ神謡集」を読んでいます。
前回で 聞く文学としての魅力が
分かりましたよね。
そうですね。 リズミカルで
楽しかったですよね。
いや 楽しいんですよ。
何か ほんとですね。
指南役は
引き続き 言語学者の中川 裕さんです。
中川さん よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回は 「アイヌ神謡集」の最初に登場して
一番長い物語をご紹介していきます。
「梟の神の自ら歌った謡
『銀の滴降る降るまわりに』」なんですが
これの冒頭のフレーズが
中川さん 有名なんですね。
アイヌ語でいうと…
このフレーズっていうのは大変印象的で
アイヌ文化を象徴する言葉としてね
いろんなところで使われてる
フレーズなんですね。
ただ この話はですね…
実は 読むのが
一番難しい話でもあるんです。
さあ では読んでいきましょう。
朗読は 知里幸恵の姪の娘にあたる
木原仁美さん。
ナレーションは 宇梶剛士さんです。
シマフクロウが
人間の村の上を飛んでいると
海辺にいた子どもたちが見つけ
小弓で射ようとします。
シマフクロウは
お金持ちの子どもたちが放つ 金の矢を
自分に当てさせません。
すると 見るからに貧乏な子どもが
木の弓を構えて 自分を狙ってきます。
お金持ちの子どもたちは
そんな粗末な弓で
カムイの鳥を捕れるはずはないと
からかいます。
シマフクロウは
貧乏な子どもを 不憫に思いました。
表現としては すごく面白くて
フクロウなのに 「手を差しのべて
矢を取りました」ということですよね。
あ~ そこか。 そうか。
羽… 羽だもんね。
これ あの 原文でもですね…
そのまんまの表現なんですよね。
そうすると シマフクロウの手って
何だって話になって。
やっぱり 翼かとかね。
これは 魂の手。
で 魂というのは
人間と同じ姿をしてると。
魂が 手を伸ばして つかんだ。
心臓に当たった。
で 死んじゃったっていう
そういう意味なんですね。
ふ~ん。
手を伸ばしたっていうことは
シマフクロウ側が 意思を持って
当たりに行くっていうか。 そうそう。
ここ ちょっと面白いなと
思ったんですよね。
うん。 今おっしゃった 自分から選んだ
っていうことなわけですけれども
これが
アイヌの狩りに対する考え方なんで
狩りっていうのは 獲物
つまり カムイの側から 人間を選ぶ。
嫌な人間の放った矢は
よけて 当たらない。
だからね 狩りが上手だとか
下手だっていうのは
技術の問題じゃなくって…
俺 その途中に そのね「美しく飛んだ」って
くだりが入るのが好きなんだよね。
何か 人間が努力できるとするならば
そこだけかなっていう
その 美しく飛ばそうとか
ロマンチックに それは感じるところです。
いい表現ですよね。
うん。
で 「手を伸ばして つかんだ」というから…
ここで
生命が終わってるわけじゃないから
話が続くわけですね。
そうそう。
…という感じなんでしょうね。
で お話はですね
このあと 射落とした子どもは
そのシマフクロウを抱えて
家に持って帰りますね。
で この「第一の」というところから
シマフクロウの遺骸を
家の中に入れたんだそうです。
この「第一の」というのは
「神窓」って書いてありますけれども
いわば カムイにとっての
玄関なんですね。
人間が出はいりする玄関は
反対側にあるわけです。
で この神窓からですね
表を見ますと
その真正面に 祭壇があります。
これは
カムイに いろいろな捧げ物
贈り物を贈る場所なんですね。
じゃあ このあと どうなるのか
読んでいきましょう。
射落としたシマフクロウと共に
子どもが家に帰ると
老夫婦が出てきました。
2人は驚きながら 何度も拝みます。
この家は貧乏なので
カムイを 酒や ごちそうで
もてなすことができません。
だから
せめて イナウだけでも作って 捧げ
誠心誠意を尽くすというのです。
そして 夜。 老夫婦が眠ると…。
家から出てきたのは
お年寄り ご夫婦でしたけども
「礼拝を重ねた」とありましたが あれは
どういうふうにするものなんですか?
あれは アイヌ語で
オンカミというものなんですけど
男性の挨拶でね
ちょっと やってみますと
こう 両手のひらを合わせて
こういうふうに
まあ 2~3度 左右にすり合わせて
で 手のひらを上にして
上品にというかね
で す~っと こう下げる。
で 昔の男性は
ここに ヒゲをたくわえていましたんで
こういうふうに ヒゲを絞りながら
下ろす人も よくいるんですけども。
これが その正式の挨拶のしかたですね。
これは まあ非常に格の高い
偉いカムイをお客さんとしてね
招き入れたということですので
本当は ここでお酒を捧げて
あるいは米のだんごとか そういうものを
ごちそうとして 作るんですけれども
米というのは 昔は…
北海道で
米なんか とれなかったわけですから。
この家 貧しいので
お酒を造ることもできない
ごちそうを作ることもできない。
だから せめて イナウだけでも削って
お送りしましょうって
そういうお話なわけですね。
へ~。
普通に考えたらさ
鳥肉を手に入れてきただけなんだけど
カムイに対する 畏れと敬いがあるから
ちゃんと儀式をやれないことが
まあ 情けないっちゃ
情けないんでしょうね。 そうですね。
だからね 昔ね
あるアイヌの家に 和人の婿さんが来て
その和人の婿さんが
たまたま シマフクロウを見つけて
銃で撃って 落とした。
そしたら その おしゅうとさんにね
むちゃくちゃに怒られた。
お前 そんな偉いカムイを
その うちに呼んで どうやって…。
もてなしゃいいんだ?
そうそう もてなすんだっていうんでね。
そのやり方を お前 分かってんのか?
というんでね
むちゃくちゃ怒られたっていう
そういう話を聞いたことがあるんですね。
ただ 鳥を捕ったって話では
全然ない
畏怖とか畏敬とか
そういうことが 必ず出てきますね。
まあ そういう話なんですね これはね。
ねえ。
そして 第2回で教えてもらった
「フォーミュラ」
常套句が出てきたんですね。
はいはい。
これ
いいんだよなぁ。 面白いですよね。
カムイである
シマフクロウの肉体は 死んで
人間の姿となった魂が坐っているという
状態なんですよね 中川さん。 はい。
で 面白いのがね ここで…
そうすると 魂が飛んでるんだとしたらば
人間の形をしてるわけね。
この 飛んでるのは
一体 何だ? っていうね。
鳥の姿と人間の姿 二重写しになってる
そんな感じだと思うんですね。
夜中に シマフクロウの魂が飛び回ると
不思議なことが起きました。
ほ~。 何か… 日本昔話的な。
うんうん。
立派な宝物の積場を作った
というのですが
これで見ると 大体
この辺のイメージですか? 中川さん。
はいはい そうなんですね。
家の一番 上座にあたるところに
主に 和人の作った漆器類ですね。
例えば シントコ。
それから パッチというのは
鉢が アイヌ語に入って
パッチになったんですけど
いわば 輸入品の漆器類ですね。
あと その着物類も
恐らく 和人から輸入した
木綿の着物に 刺しゅうをしたもの
あるいは絹の着物 これが宝物として
積み上げられているわけです。
で なぜ その…
で これ今 「日本の昔話みたいだ」
というふうに おっしゃいましたけど
確かに この部分はね
アイヌの物語としては
あんまり一般的じゃないんですね。
あっ そうなんですか。
そうなんですね。
この「銀の滴」の類話 同じような話
というのが いくつかあるんですけど
それを読むと 猟運
狩りの運というのを授ける。
あるいは もう一つの話では 雄弁
弁論の能力っていうものを授ける。
この方が
アイヌの物語っぽいんですけど
この話では
宝物を落とすということになっていて
何で こういう話になってるのかな
っていうことを考えると
その当時 もう既にね その…
知里幸恵がっていうよりも
その前の段階からですね…
この辺は よく分からない。
はあ~。
僕らは その もう既に この本を
古い本として 接してるじゃないですか。
だけど 書かれた時でいうと 一番新しい
アイヌの人が書いた話じゃないですか。
だから そうすると
途中で その分かりやすい形に
変わってるのかもしれないですね。
そのね この中で ずっと「お金持ち」
っていう訳語になってるのもね
「ニシパ」という言葉なわけだけども
「立派な人」っていう意味なんですよね。
昔 お金なんか 使ってたわけでも
ためてたわけでもないわけだから
それを お金持ちって訳すのは ちょっと
何か 若干 違和感があるんですが
もう この時代になれば みんな
お金を使っていたし お金をためていた。
だから 立派な人っていうのを
お金持ちって訳してるのは
やはり 分かりやすくするということが
あったのかもしれないとは思いますね。
そうやって考えると
これを一番 最初に持ってきたという
彼女のセンスは すごいですね。
ああ なるほどね。
ああ 冒頭ですもんね。
あの~ 俺たちの価値観と
ジョイントできる
これを選んだのかしら?
ああ。 かもしれないですね。
さあ この家の人たちは立派になりました。
そのあと 村の人たちを招待します。
そのあとに続く 老人の言葉を
読んでみましょう。
人間たちが仲よく宴を開く様子を見届けた
シマフクロウは
安心して カムイの国に帰ります。
すると そこには 老人たちが捧げてくれた
酒やイナウが たくさん届いていました。
シマフクロウは他のカムイたちを招待し
盛大な酒宴を開きます。
「人間の世界」を見ると
家の子どもも 成人して
親孝行をしていました。
いや~… 面白い。
何かね え~ 一旦 老人目線になるけども
神様の目線になりますね。
あの後半部分がつくのが やっぱり
「アイヌ神謡集」ならではですよね。
ねえ。
で また 一行一行
とても面白かったですね これね。
え~ では最初に戻ってですね
この物語の「サケヘ」は何かを
考えてみたいと思いますけれども。
あ サケヘ 習いましたね。
はい。
第2回で教えてもらったように
「アイヌ神謡集」のサケヘは
題名の最後に かぎ括弧の中で
示されているんですけれども
この物語の場合は 「銀の滴降る降る
まわりに」とありますね 中川さん。
「銀の滴降る降るまわりに」というのを
サケヘだと考えて 当然なんだけれども
その次に…
…というのは 本文の一部なんですね。
ということは いわゆるサケヘではない
ということになるわけね。
しかも アイヌ語の文法上は
このまんまでは おかしな文なんですね。
だから この形は
前回 やったと思うんですけども…。
あの「二次的なサケヘ」で
教えて頂きましたよね。 そうですね。
あれは 物語の内容に沿って
特定の文脈の所だけに現れる
サケヘでしたけど
それというふうに解釈していいんですか?
…というふうに 解釈をする方が
妥当じゃないかと思うんだけど
じゃあ 本来のサケヘって何?
っていう話なんですね。
ほう。
これが 二次的なサケヘだったら
もう一つ 別に
その 本来のサケヘが
ついていたはずじゃないかと
今度 また次の謎になってくるわけです。
で これの類話というのが
記録されてるんですけど…
ええ。
で それが こちらですね。
この神謡だと サケヘは
「アピシカト アピシカ」で
「シロカニペ ランラン」は
本文の一部ですね。
これは 沙流地方の 二谷国松さん
という方が語ったものなんですが
本人の録音が
残ってるので
どんなふうに メロディーがついたか
分かってるんですね。
…というふうにいくわけですよ。
だから 「銀の滴」にも こういうふうに
ついていたというふうに
考えられると思うんだけれども
だけど
「銀の滴」に 例えば これがついてて
今のようなメロディーだとしたらね…
「ピシカン」が はみ出しちゃうんですね。
はあ はあ はあ。
リズム的に
何か変な格好になっちゃうわけ。
これを そのまんま 「銀の滴」に
当てはめるわけにはいかないな。
どういうふうに考えたらいいだろうかと
思っていたらば
「『アイヌ神謡集』をうたう」というCDが
作られたんですね。
片山龍峯さんという人は 映像作家で
アイヌ語にも 非常に造詣が深くてね
中本ムツ子さんというのは 千歳地方の
アイヌ文化の伝承者ですけど
この2人が
「アイヌ神謡集」の13話全部に
メロディーをつけて
うたってみるというね
非常に斬新というか
そういうことをやったんですね。
で これの「銀の滴」の
中本さんがうたったのを聞いて
「ああ これだわ」というふうにね
思ったわけ。
え 謎が解けるわけですか?
謎 これでいいんじゃないのって。
いいんじゃない? しっくりくる?
そうそう。
そのCDから聞いてみましょう。
はい。
ピシカンは余るんじゃなくて
ピシカンがサケヘ…? だったという。
「アリアン レクポ ピシカン
チキ カネ ピシカン」と。
なるほど 確かに こうやって うたえば
きれいに その「ピシカン」を入れて
うたうことができるし
そもそも 本来のサケヘというのを
わざと知里幸恵が書かなかったなどという
無駄な疑いをかける必要はないので
ちゃんと最初から サケヘは書いてある
ということになるわけですね。
なるほど。
ただ このピシカンというのはね
「まわり」という意味なんですね。
そうすると…
全然 何かこう
印象的じゃないというかね。
みんなが読もうと思うような本に
ならなかったんじゃないか
という気がする。
だから そこで「銀の滴降る降るまわりに」
って ここまで全部入れてしまって
これを表題にしたんだ
ということなんじゃないかというのが
まあ 我々の推測ですね。
いや それ すごい腑に落ちるのは
やっぱり みんなの気を引くような
ちょっとこう
詩的な題名が付いてた方が
絶対 読もうってなりますよね。
うわ それは その作者の知里さんの
センスなんじゃないかしら。
でね 実は知里幸恵は
ノートというのを残していまして
そのノートに 恐らく この「神謡集」の
草稿だと思われるようなものが
書いてあるんですね。
そこでは 「あたりに 降る降る 銀の水」
というね 訳なんですね。
これを 「滴」ってね
訳し直してるんですね。
で しかも 元のアイヌ語に合わせた
日本語としては 倒置文みたいなね
あの~ ちょっと変則的な
この表現に作り替えた。
これが その 彼女の文才の賜物だ
というふうに私は考えてます。
いや~ 何か でも
ほんと果てしない才能だと思うんだよな。
その ただ単に アイヌの暮らしが
アイヌの言葉が分かってた
というだけじゃなくて
ちゃんと こう その時の現代人だから
都会の人間や 本を読む人間との
橋渡しをするのの
最善を考えてますよね。 うん。
あと50年 生きててくれたら
どんなに すごいことに
なっていたんだろうっていうふうにね
みんなが思ってることなんですけどね。
そうですよね。
僕は 1夜2夜までの立ち向かい方は
歴史的な資料みたいな
感覚だったんですけど
あの 3夜の終わりにして
それは 明らかに間違ってるというのが
ちょっと分かりましたね。
作者のセンスの すごさみたいのも
分かりましたね。
さあ次回は序文ですね 中川さん。 はい。
楽しみにしています。
ありがとうございました。
はい ありがとうございました。
♬~
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