クルト・ダリューゲ

クルト・ダリューゲ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1704431 / CC BY SA 3.0

#第一次世界大戦期ドイツの軍人
#第一次世界大戦後ドイツ義勇軍
#ナチ党員
#突撃隊隊員
#親衛隊将軍
#イタリア王冠勲章受章者
#刑死した人物
#シレジア・ドイツ人
#シュレージエン州出身の人物
#1897年生
クルト・ダリューゲ

クルト・マックス・フランツ・ダリューゲ(Kurt Max Franz Daluege, 1897年9月15日 - 1946年10月24日)は、ドイツの政治家。秩序警察(OrPo)初代長官、第2代ベーメン・メーレン保護領副総督。親衛隊(SS)の高官であり、最終階級は親衛隊上級大将(SS-Oberstgruppenführer)および警察上級大将(Generaloberst der Polizei)。

ドイツ帝国プロイセン王国のに中級公務員パウル・ダリューゲ(Paul Daluege)とその妻ラウラ(Laura)(旧姓ヴェッカー(Wecker))の次男として誕生。2歳上の兄にエーリヒ・ダリューゲ(Erich Daluege)がいる。ブラスラウとフランクフルト・アン・デア・オーダーの小学校(Volksschule)を卒業したあと、フランクフルト・アン・デア・オーダーの実科ギムナジウムへ入学し、1916年1月に戦時中のアビトゥーアのに合格してギムナジウムを卒業。

第一次世界大戦中の1916年1月にプロイセン王国軍の近衛歩兵連隊に入隊し、西部方面へ出征した。1917年10月25日に副曹長(Vizefeldwebel)に昇進している。1918年4月に頭と肩を激しく負傷し、以降、ドイツの敗戦までフランクフルト・アン・デア・オーダーで入院していた。大戦中に二級鉄十字章と戦傷章黒章を受章した。

戦後、1918年から1922年にかけてシレジアの義勇軍(フライコール)に部隊指揮官として参加し、1921年にはシレジア蜂起の鎮圧戦で活躍した。一方、1921年から1924年にかけてベルリン工科大学に在学し、建築エンジニアとしての勉強をした。1922年から1923年にかけてはに参加し、「」にも入会している。

1922年に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)に入党するが、ミュンヘン一揆の失敗で党が解散したため、一時離れた。その後の1924年、「」に入党し、8月に禁止された突撃隊(SA)の偽装組織「」に参加。1924年8月から1926年3月22日にかけては「フロントバン」の北方エリアの責任者となった。また1924年に工学士の試験に合格。その後、製鉄所で統計家として勤務したのち、プロイセン州農務省に入省した。はじめ技術官助手として勤務したが、後に運河と線路の建設監督官を務め、さらに1927年にはベルリンのゴミ処理場建設に責任を負う部門の長官に任じられた。

1926年3月12日に再建されたナチス党に再入党(党員番号31,981)する。フライコール退役者や無職者、民族主義者のスポーツ選手などを集めてベルリンに最初の突撃隊(SA)部隊を創設させた。その数は1926年初めには500人に達し、ベルリンのナチ党の一大勢力となった。

1926年3月22日からベルリン突撃隊指導者となり、11月から1930年7月にかけて突撃隊集団「ベルリン=ブランデンブルク」(SA-Gruppen "Berlin-Brandenburg")の司令官をつとめた。また併行して1926年11月1日から1928年10月1日にかけてはナチス党ベルリン=ブランデンブルク大管区指導者ヨーゼフ・ゲッベルスの代理となり、1928年10月1日に大ベルリン大管区が設置されると、1930年11月1日まで代理を務めた。ダリューゲは、ミュンヘンのナチ党中央に対しても過激な態度を取るベルリン突撃隊の最高指導者であったが、党首アドルフ・ヒトラーは味方につければ頼もしいとみてダリューゲを取りこんだ。ダリューゲは、ゲッベルスとともにベルリンの過激分子を監視する「ヒトラー派」となった。ダリューゲが突撃隊監視の役割を果たせるよう、ヒトラーは、1929年1月からベルリンの親衛隊(SS)部隊の指揮をダリューゲに任せた。さらにミュンヘンにいる親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーから独立して指揮してよいことも認められた。また1929年7月から1930年7月まで突撃隊最高指導部の特殊任務指導者(Führer z.b.V.)に任命されている。

しかしダリューゲは、1930年8月30日のヴァルター・シュテンネス)らベルリン突撃隊幹部の反乱を防止できず、またゲッベルスの要請でダリューゲのベルリン親衛隊部隊が反乱の鎮圧に出動するも鎮圧に失敗...

powered by Auto Youtube Summarize

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事