なぜ橋本は【負けたら引退SP】で負けブックを受け入れたのか?~その後の1・4事変~ #プロレス #格闘技 #RIZIN

「負けたら即引退スペシャル」の1カ月前の3月11日、横浜アリーナで開催された力道山OB会主催の「メモリアル力道山」。各団体のプロレスラーが出場したこのイベントには、ジャニーズ事務所所属で大のプロレスファンの滝沢秀明とアントニオ猪木のスペシャルエキシビションマッチが行われたが、なんとメインは決着戦を控える橋本と小川が初タッグを組み、天龍源一郎&B・B・ジョーンズと対戦するというもの。猪木の司令によるタッグ結成の理由も謎ながら、会場入りする橋本を村上和成がなぜか急襲。こうして迎えた試合では、額から血を流した橋本が、入場曲が流れ終わったあとにフラフラとした足取りでリングに上がり「小川、なぜ村上に襲わせた?」と観客の混乱を誘うマイクアピール。試合も数分足らずで橋本があっけなくスリーカウントを取られ、とくに見せ場もないまま幕を閉じた。試合前から試合終了のゴングまで理解できない展開が繰り広げられ、会場には茶番ムードが漂ってしまった。
このカオスな「メモリアル力道山」の場で、橋本は4月の東京ドーム、5度目の小川戦に引退を懸けることを宣言。

これを受けてテレビ朝日は、このテーマ一本で特番を制作しようという話になった。
そして4・7ドームでの一戦は、テレビ朝日が主導する形で「橋本真也34歳。小川直也に負けたら即引退!スペシャル」と銘打たれ、大きな話題を呼んだ。

特番に向けてテレビ朝日の制作サイドは入念な準備をしていたが、引退を懸けた決着戦がどんな試合になるのかは、新日本サイドから何も知らされていなかった。もちろん制作サイドとしては、あらゆる結果を想定して準備していた。 橋本が勝ったらインタビューをやる予定も組んでいた。正直、テレビ朝日はもちろん、ファンも、引退を懸けたことで橋本が勝つと予想していた。

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