マリウポリからロシア軍に連行された16歳の少年がANNの取材に答えてくれました。「従うしかなかった」。生まれ育った町から離れざるを得なかった実態を語ってくれました。
ロシア軍の侵攻が始まってから2カ月の間、最大の激戦地マリウポリで、何が起きていたのでしょうか。
市民たちと連絡を取り、壮絶な体験を聞くことができました。
その一人がマリウポリで生まれ育った、16歳のコンスタンチンさんです。侵攻が始まった後も、およそ1カ月、街にとどまり、ロシア軍に連行されました。
ロシア軍に連行された、コンスタンチンさん:「街は実質的に存在しないも同然。地上から抹殺されようとした」
「地上から抹殺」。16歳の少年の言葉から見えてきたのは・・・。
ロシア軍による、大規模攻撃の脅威。
ロシア軍に連行された、コンスタンチンさん:「4人が生きたまま焼け死んでしまいました」
さらに、マリウポリ市民、強制連行の実態です。
ロシア軍に連行された、コンスタンチンさん:「街から出るにはドネツク人民共和国に行く以外には不可能でした。従う以外の選択肢は存在しませんでした」
ロシア側の行動が、市民たちの証言から分かってきました。
コンスタンチンさんは侵攻が始まった当時、市内中心部の西側で、父親と暮らしていたといいます。
ロシア軍に連行された、コンスタンチンさん:「3月中旬には住んでいた高層住宅は爆撃で破壊され、なくなってしまいました。ロシア軍は真空爆弾を投下したのです」
「真空爆弾」と呼ばれる、人間を酸欠にさせる兵器をロシア軍はウクライナで使用したことを認めたとイギリスメディアは報じています。
ロシア軍に連行された、コンスタンチンさん:「私は建物が炎上している間に、父と一緒に地下室から人々を救い出していました。近所の人から聞いた話では、恐らく4人が生きたまま焼け死んでしまいました」
16歳の少年が、変わり果てたふるさとで目にしたのは、多くの市民たちの遺体でした。
ロシア軍に連行された、コンスタンチンさん:「私も人々を地中に埋葬する手伝いをしました。それは本当に恐ろしいことでした。私はこのようなことは誰にも味わってほしくないと思います」
そして、街が破壊された後、ロシア軍による市民の強制連行が始まったといいます。
ロシア軍に連行された、コンスタンチンさん:「ロシアの占領者たちは夜中の1時に大音量でソ連の音楽をかけ始めた。『もう降伏しなければならない時だ』と示すためです」
祖父の家に避難していたコンスタンチンさんは、ロシア軍に包囲され、先月末に連行されました。
ロシア軍に連行された、コンスタンチンさん:「街から出るにはドネツク人民共和国に行く以外には不可能でした。従う以外の選択肢は存在しませんでした」
親ロシア派が実行支配する「ドネツク人民共和国」。
そこには、「フィルターキャンプ」と呼ばれるロシア内務省の出先機関が設置されていたといいます。毎日、最大で200人ほどが、マリウポリからバスで連行され、身元の確認作業が行われたと話します。
ロシア軍に連行された、コンスタンチンさん:「その後にロシアに連れて行かれます。ロシアでは3カ月間、難民として過ごします。その後ロシア国籍が与えられるのです」
ロシアは、ウクライナ人の増加を見据えた計画を公表。
ウクライナの国民およそ10万人を、サハリンなど極東の地域も含めた、ロシア国内の85の地域に配置するとしています。
ロシアへの連行目前だったコンスタンチンさんですが、嘘をついて逃れることができました。
ロシア軍に連行された、コンスタンチンさん:「自分にはドネツク人民共和国に親戚がいるので、ここに残りたいと言って彼らをだましたのです」
その後、知人の協力でマリウポリを回避しながらザポリージャにたどり着きました。父や祖父とも無事、合流できたといいます。
ロシア軍に連行された、コンスタンチンさん:「ウクライナに逃げるなんて不可能だと言われましたが、私は逃げることができました」
マリウポリから命からがら娘がいる日本へ避難してきた60歳の夫婦にも話を聞くことができました。
母・スヴェイトラナさん(60):「友人の何人かは連れて行かれました」
ロシア軍の非道な行動に憤りを隠せません。
娘・アナスタシアさん(28):「ロシア人は残っている市民を動物扱いしてパンか何かを与え、ロシアテレビ用に映像を撮っています」
父・セルゲイさん(60):「街を破壊しておいて、パンだなんて」
マリウポリを制圧したと主張するロシア。残された市民たちは今後、どうなってしまうのでしょうか。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp
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