【毎月、須磨寺にて法話をさせて頂いております】
毎月18日の10時からの護摩祈祷と写経会、20日と21日は11時半から奥の院にて、そして、21日は14時から護摩祈祷をさせて頂き、法話をさせて頂いております。
【思い通りにならない・・・それが人生】 不動護摩供 法話:陽人の随想録 須磨寺
お釈迦様は「一切皆苦」という教えを残されました。「一切」とは、人生で我々に起こることすべてを指します。それらは皆「苦」であるというのです。ここで言う「苦」とは、苦しみという意味ではありません。「思い通りにならない」という意味です。
「我々の人生で、我々の思い通りになることは、何一つない。」と説かれているのです。
そう言われると何か暗い気持ちになりますが、しかし、これが真理なのです。
二千五百年前のお釈迦様がおられたインドで、この教えの意味に共感する人は、多かったかもしれません。
飢えや、病気や戦争。当時の方の人生は、正に思い通りにならないことの連続だったかもしれません。
では、現代に生きる我々は、この教えを素直に受け止めることができるでしょうか。
現代に生きる我々にとって、生活が便利で快適になればなるほど、「思い通りになる」ことがどんどん増えてきています。
スイッチ一つで部屋は涼しくなり、電車や車に乗れば短時間で遠くまで行くことができます。
携帯電話があれば、いつどこにいても話したい人と話ができます。
医療の発展により寿命も長くなりました。
このような中で、私たちは、「思い通りになる」ことにあまりにも慣れてしまっているのではないでしょうか。
思い通りになることが当たり前と思って生活していると、突然目の前に「思い通りにならない」ことが現れると、必要以上に怒り、あるいは憤りを感じてしまいます。
急いでいる時に限って電車が遅れる。
渋滞に巻き込まれる。そのような時に怒りが爆発しそうになった経験がある方は、私も含めて多いのではないでしょうか。
しかしお釈迦様の教えからすれば、「思い通りにならない」そのことのほうが「普通」なのです。
「人生は思い通りにならない」その真理を知ることが仏道修行「忍辱」に繋がっているのです。
考えてみますと、私たちが思い通りにならないことを思い通りにしようとするときに、間違いを犯してしまうことが多いのではないでしょうか。
親が子供を自分の思い通りにしようとするばかりに子供の気持ちを理解しようとせず、子供が非行に走る。自分の思い通りにならないからと夫が妻に暴力をふるう。
人間が自然を思い通りにできると勘違いして起こった想定外の原発事故。
私は、思い通りにしようとすること自体は、悪いことではないと思いますし、何かをしようとする意志がなければ人間は生きていけません。
しかし、思い通りにならないということが分かった時は、素直にそれを受け入れる、「諦める」ということも非常に大切なことだと思うのです。
不治の病にかかった人が、「病気を治す」ということに執着すれば、死ぬまで苦しみ続けなければいけません。これと同じく、我々は「思い通りにしたい」という思いに囚われてしまえば、「思い通りにならないこと」を前にいつまでも苦しまなければいけません。
仏教では、「思い通りにならない」ことを受け入れながら、それでも生きていくことの大切さを説いています。
「思い通りにならないことのほうが普通」そのような立場で物事を見ることができれば、当たり前のように感じているすべての事に対して感謝の念が湧いてくるはずです。
元気に歩けていること、ごはんを美味しく食べられること、会いたい人に会えること。それらは、当たり前のようで、実は有難いことなのです。
思い通りにならないことを耐え忍ぶことから、今ある暮らしの有難さに気づくこともできるのです。
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