【合戦解説】犬掛の戦い<天文の内訌> 北条・里見義堯 vs 里見義豊 〜 江戸城奪還を狙う扇谷上杉軍の侵攻に耐えた北条氏綱は反北条勢力の切り崩しに取り掛かる 〜

時は 戦国時代中期

北条氏綱に居城 江戸城を奪われた扇谷上杉朝興は、甲斐の武田氏、房総の小弓公方、真里谷武田氏、里見氏らと連合し北条潰しに動きだす
全方位を敵に囲まれ窮地に陥った北条氏綱であったが 父 伊勢宗瑞から学んだ教えを思い出し実行に移した。

大永5年(1525) 3月
関東管領 山内上杉憲房 が亡くなり、古河足利家から養子で入っていた上杉憲寛が家督を継承したことを氏綱は利用した。古河足利色を嫌う山内傘下豪族らに対し 嫡流である五郎丸(上杉憲政)擁立を扇動する謀をしかけ ると 見事成功。安中氏、小幡氏、横瀬氏ら 北武蔵や上野の豪族らが次々に挙兵。上杉憲寛は箕輪の長野氏らとともに鎮圧に動き出すことで山内上杉家は内紛状態(関東享禄の内乱)となった。
そんな状況の山内上杉では頼れないと判断した扇谷上杉朝興は、次は小弓公方に働きかけ 真里谷や里見の水軍を相模に差し向け北条軍の分断を試みるも、武士が崇拝する鎌倉の鶴岡八幡宮を 里見軍が燃やしてしまったため小弓公方 足利義明は戦意喪失し 北条と和睦。

なおも諦めない扇谷上杉朝興は 享禄3年(1530)4月
今度は甲斐の武田を動かした。東西から相模へ侵攻し 北条氏綱を挟撃する策に出るも、武田軍は 甲斐 八坪坂の地で北条氏綱軍に敗退、扇谷軍は 小沢原の地で 氏綱の嫡男 北条氏康に大敗し 遂に江戸城奪還の夢を諦め 以後 自らの挙兵を止めてしまう。
こうして『北条包囲網』はあっけなく瓦解となり、北条氏綱は守勢から攻勢へと転じる。
氏綱が目をつけたのは 山内上杉家と同様『関東享禄の内乱』で分裂している 古河足利家であった…

[武将写真提供者]
今回、なつめ堂様より 古河公方 足利高基役と足利晴氏役の写真を特別にお借りいたしました。
ありがとうございます。
■モデル…天心流兵法 まーこ様
(twitter@harima_mekkai )
▼ なつめ堂様のサイト ▼
https://natsu39.booth.pm/

[ご覧になられる方へ] ※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
※番組内に登場する忍キャラは、ユキムラが楽しむスマホ版ゲーム『みんゴル』でユキムラが愛用するキャラクターとなります。ぜひ「みんゴル」もやってみてね!
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2022年時点での歴史資料を元に作成しております

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