出典:EPGの番組情報
SWITCHインタビュー 達人達「北川悦吏子×Ayase(YOASOBI)」[字]
ラブストーリーをはじめ数々の人気ドラマを生み続けてきた脚本家・北川悦吏子。指名したのは音楽シーンで大ブレイク中のユニットYOASOBIコンポーザーのAyase。
番組内容
ボーカロイドプロデューサーとしても活躍するAyase。まずは都内のスタジオでその独創的な曲がどう生まれるかを北川に説明。続く対談では「極貧バンド時代」やYOASOBIの活動について意外な本音を率直に語る。後半はデビュー曲「夜に駆ける」に心が呼応したという北川が熱海の作業場にAyaseを招待。「痛み」が創作の原動力であり、想像よりリアルが重要ということに二人は共鳴。果たして今後コラボは実現するか。
出演者
【出演】脚本家・映画監督…北川悦吏子,コンポーザー…Ayase(YOASOBI),【語り】六角精児,平岩紙ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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キーワード出現数ベスト20
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- 実際
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- 脚本家
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
♬「全てを賭けて描く」
♬「自分にしか出せない色で」
2020年 彗星のごとく
ポップシーンに登場し
話題をさらったYOASOBI。
ボーカル ikuraと
コンポーザー Ayaseの
2人組ユニットだ。
♬~
デビュー曲の「夜に駆ける」は
インターネット上の再生回数
なんと 6億回。
CDを発売しないまま
「紅白歌合戦」でテレビ初演奏。
すべてが型破りだ。
YOASOBIの作詞と作曲を
一手に担い
多くの人の心をわしづかみにしている
コンポーザーのAyase。
そのメロディーと言葉に
魅了されてやまない一人が…。
北川悦吏子。
30年にわたり
テレビの第一線で
活躍してきた脚本家だ。
キスしよっか。
社会現象にもなったドラマ
「ロングバケーション」をはじめ…。
ラブストーリーを中心に
次々と高視聴率をたたき出し
稀代のヒットメーカーといわれてきた。
私 左の耳が聞こえません。
3年前には
初めて朝ドラに挑戦。
片耳が聞こえない
ヒロインの奮闘を
リアルに描き 話題となった。
私は 自分の人生を晴らしたい。
一見 華やかな脚本家生活の裏で
北川は いくつもの大きな病と
闘い続けてきた。
1999年に 難病の潰瘍性大腸炎を発症。
入退院を繰り返し
ベッドの上で
執筆を続けたことも。
数年前には 突如 左耳の聴力を失う。
そうした経験を作品に反映させてきた
北川にとって
YOASOBIとの出会いは
運命的だったと語る。
自分が…
そしたら…
どんなことを考えながら
どういう雰囲気の人なのかな
会ってみたいなっていう。
一方 全く接点がない北川からの誘いに
Ayaseは緊張の面持ちだ。
きっと 僕に 聞きたいことがあると
思ってくださってると思うので
そこには 真摯に 素直に答えていけたら
いいなっていうのは思ってます。
時代を代表する2人のクリエイターが
初対面。
ものづくりの苦悩と喜びを
存分に語り尽くす。
♬~
はじめまして。 Ayaseです。
よろしくお願いします。
北川です。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
楽しみにしておりました。
わざわざ ありがとうございます。
こちらこそです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
光栄です 本当に。
ちょっと緊張気味のAyase。
まずは 特徴的な曲作りの説明から。
じゃあ ちょっと せっかく
来ていただいたんで ちょっと 僕の…
楽曲を どういうふうに作ってるかとか…。
そう それがね
聞きたかった…。
ありがとうございます。
知りたかった…。
♬~
2019年末に発表されるや
瞬く間に大ブレークし
時代を象徴する曲となった
「夜に駆ける」。
従来のポップスとは一線を画す
躍動感あふれるメロディーとボーカルは
どうやって生み出されたのか。
…で完全に僕は作ってるので。
見てもらったら分かるんですけど…
…っていう音ですとかが
全部 振り分けられていて。
えっ こうやって作ってるのは
Ayaseさんだからだよね。
世の中のミュージシャンが
みんな これじゃないですよね。
今は たぶん わりと
これだと思います 皆さん。
マジで?
実際の楽器は ほとんど使わず
Ayaseは自宅を作業場に
ノートパソコン1台で曲を作り上げる。
数十に及ぶ音色に
長短さまざまな旋律を
これでもかと詰め込んでいる。
あっ そうなんだ。
もう たぶん…
その中から いいとこ 引っ張ってきたり。
いっぱい 回り回って 考え過ぎちゃって
もう収集つかなくなっちゃってって。
改めて 一回…
…って思って やったら
すごく きれいに はまってくれたので。
Ayaseの曲作りで最大の特徴は
ボーカル部分にある。
音声合成ソフト いわゆる
ボーカロイドの一種
初音ミク。
Ayaseの曲作りには
欠かせない存在だ。
僕の場合は いったん
打ったメロディーを
今度はボーカロイドっていう
合成音声ソフトの
初音ミクに
歌ってもらってから
デモの曲を完成させるので。
♬「騒がしい日々に笑えない君に」
♬「思い付く限り眩しい明日を」
人間では歌いづらい音程でも
ボーカロイドならば可能。
Ayaseは その特性を
存分に生かし
転調を
ふんだんに盛り込んだ。
そんな難易度の高いボーカルを
今度は パートナーのikuraが
実際に歌い上げる。
こうして 複雑なメロディーと相まって
独創的な作品が生み出された。
ありがとうございます。
ハハハハ…! ありがとうございます。
いや もう ご興味のあること
聞いてください なんなりと。
「なんなりと」…。 おいくつですか?
ねえ 若いなあ…。
16歳ぐらいから。
で 高校 やめてる…?
音楽のためにやめた…?
そのときの口実としては
「音楽のためにやめる」ですね。
口実なんだね。
口実だと思います そのときは たぶん…。
だってさ やめなくても できるよね。
本当に そのとおりです。
ただ そのときは 学校に
やっぱり 行きたくないし
遊んでたいしっていうのもあったんで。
山口県出身のAyase。
バンドのボーカルとして
メジャーデビューを目指し上京するも
芽の出ない日々が何年も続いた。
で まあ 結果も なかなか出ないで…
僕は 絶対に売れるっていう自信を
すごく もう…
始めたときから思っていたし
9年 売れなくても 10年目で
売れるかもしれないっていう希望は
基本的に
全く 捨ててなかったんですけど。
全部 自分たちでつながった
ライブハウスの 現地の人たちと
連絡を取り合って ツアー日程 組んで
CD出してっていうのを
ずっと 7~8年
そのタイミングで やっていて。
で 急に こう 何か…
まだ でも すごく最近だよね。
そうですね。 全然 記憶には新しくて。
いつか 必ず…
もう 漠然と 本当に
ちゃんとプランニングもせずに
ぼや~っとしたものの中で
進んでいってたのが
初めて ちゃんと考えたというか。
…っていうのを
めちゃくちゃ考えたのと
それで バンドが止まったことで
バンドメンバーのモチベーションも
一回 ぐっと下がっちゃうとこから
仲たがいはしてないんですけど
やっぱ
今からバンドを立て直せるのかとか…。
ああ~…。
実際に バンドメンバーとも
あまり連絡を取らなくなって
一人になって。
曲を作ることはできるし
歌うこともできるけど
もちろん ギタリストがいないと
ギターはとれない
ドラマーがいないと
ドラムは鳴らないっていう中で…
音楽の道を模索するAyaseは 偶然
妹が聴いていた曲に衝撃を受ける。
それが ボーカロイドとの出会いだった。
妹は すごい ボカロの曲が好きで
聴いていて。
僕は 本当に
全く知らなかったんですね。
初音ミクが何なのかとか
ボーカロイドっていうのが
そもそも何かとかも
本当に 全然
知識がなかったんですけど
すごい面白い音楽を
何か 聴いてるなと思って。
こうやって 一人で 自分で
パソコンで楽曲を作って
世に出して。 で それを
いろんな歌い手さんだったりが
カバーしてくれることで世に広まって
人気が出て
自分の音楽が広がってるみたいな
文化があるんだっていうことに気付いて。
これなら 今の僕でも
できるかもしれないと思って…
買います!
いくらぐらいするんですか?
1万3, 000円ぐらいです。
ああ…。
ボーカロイドプロデューサーとして
再出発を果たしたAyase。
ライブやCDではなく
ネットを中心に作品を発表していく。
そして 自身の心境を
ぶつけるかのようなこの曲で
注目を浴びる。
♬~
この直後 音楽制作の大手が立ち上げた
小説を音楽にするプロジェクト
YOASOBIのコンポーザーに
抜擢される。
そこで作り上げたのが この曲だった。
♬~
一番 本当は言いたかったのは
1月… 今年の1月に
連ドラを書いていて
それがコロナと重なり…。
で うちの…
でも それで…
あの曲と すごいシンクロしたの。
自分の そのときの心境が。
で 何か書いてみようかなと思ったのは
あの曲 聴いたからなんですよ。
何ていうのかな… 何か こう…
空気をつれてきてくれたっていうのと
何かを刺激してくれたっていう。
本当に光栄です。
これだけを伝えたかった 今日。
ありがとうございます。
北川の心に呼応したという
「夜に駆ける」。
題材となったのは
ネットに投稿された短編小説
「タナトスの誘惑」だ。
主人公が 一瞬で 恋に落ちた女性は
死に魅入られたかのような行動で
彼を振り回していく。
Ayaseは
ポップなメロディーとは裏腹に
この小説が持つ不穏な香りを
歌詞で巧みに表現。
YOASOBIの名前とともに
時代に「夜」を連れてきた。
何で 「YOASOBI」なんですか?
YOASOBIの名前の由来に関しては
まず…
…っていうのもありながら
僕と
ボーカルのikuraとが
それぞれの
ソロの活動もあるので
一応 もともとやってた
ソロのほうを
じゃあ お昼の顔として
じゃあ YOASOBIで
やるときは 2人で
ちょっと
やんちゃに遊ぶみたいな感覚で
夜の顔みたいなもので
YOASOBIっていうのにしてますね。
ただ 僕にとっての
夜のイメージみたいなもので言うと…
…っていうのをすごく感じるので。
これは ご時世が もちろん そうだし
いろいろ 状況は
良くはなっていくとは思うんですけど。
とはいえ
みんなの価値観だったりとかも
だいぶ変わって どんどん どんどん
内向きには やっぱり なっているし…。
そうですよね。
そこに
寄りかかりたくなったりするところも
今は 絶対 あるよなっていうのが
あるので。
僕の中で 夜っていうと 何か
「今じゃない?」っていう感じがします。
今 本当 夜ですよね。
だから 夜を みんな やっぱ
ちょっと 共有したい。
夜って 独りぼっちじゃないですか
たぶん 基本は。
それを みんなが そうである
っていうことを共有したいから
YOASOBIの曲とか
「夜に駆ける」とかが
みんな 好きになるのかなと思ったり。
でも たぶん 状況が良くなっていく…
ご時世が 今までに近いものに
なっていくっていうことが
仮に じゃあ 夜明けが来る
みたいなものだとしたときに
もちろん みんな…
…って思ってる気がして 自分が。
ずっと この夜にいたい。
何か 夜って
守られてる感じもするじゃないですか。
だからこそ 一人一人が離れていて
でも つながれるツールも
いっぱい出来てきて。
その中で 何か ある程度の…
…とこは あるなとは思うので。
物語と音楽と映像。
それらが融合した世界観がヒットし
YOASOBIの作品は
軒並み 驚異的な再生回数を記録している。
苦境を乗り越え 一躍
ヒットメーカーとなったAyaseだが
その裏に ある思いを抱えていた。
小説を音楽にするっていうテーマで
ユニットみたいなのをやったら
面白いんじゃないかなって
思ってるんだよねというお話を頂いて
楽曲を作る人間として お誘いを受けた
っていうところが始まりで。
ただ これも 正直に話すと
本当に 最初は
めちゃめちゃ考えたというか…。
あっ そうだったんですね
やっぱりね 歌えるもんね。
ありがとうございます。
何だっけ? タイトル。
Ayaseは
YOASOBIの活動と並行して
ボーカロイドプロデューサーとしても
曲を発表。
時には みずからの歌声も披露している。
♬~
いいふうな想像も悪いふうな想像も
したときに
これ すごい正直な話なんですけど
じゃあ そのYOASOBIという
ユニットを始めて
めちゃめちゃ 仮に
ヒットすることがあったとしたら
僕は…
そうなんだ! それぐらい やっぱり
自分が歌いたいっていう…。
歌いたい。 ボーカリストだ 僕は
っていう意識が もう圧倒的に強いので。
でも あれだけ歌えたら
そう思うと思います。
なので 売れても もしかしたら 自分が
すごい嫌な気持ちになるかもしれない。
で 売れなかったら 売れなかったで
もちろん それは嫌だしで…。
だから すごく考えたんですけど
もう こういうチャンスにでも
貪欲に食いついていかないと
一生 自分のプライドが高いまま
誰にも知られることなく…
なんとか… もしかしたら
何か なるかもしれないし
ここで活躍できれば
それが いつか また
自分で何か別のことをやるだったり
歌を歌うにしても
糧になる可能性あるなっていうのを…。
そこまで
こてんぱんにされてきたうえで…
なので 最初は やっぱり まだ
戸惑いも すごくあったんですけど。
ただ 一番うれしかったのが とにかく
音楽を作るということで
お金がもらえるっていうのが。
ああ そうか。
そうです そうです。
基本 赤だよね。
基本は赤です。
すごい大きい額ではないんですけど
お仕事っていう
音楽でお金がもらえるっていう…。
なんてすごいと思って。
これ 何か 言っといたほうがいいよ。
何か もう YOASOBIって
何か ぱっと出て
すごい売れちゃったって
みんな 思ってるような気がするからさ。
その… でもね 8年 9年があった。
そうですね。
本当に 飛び上がるほど
うれしかったですね。
ああ そうなんだ。
それがYOASOBIっていうものが
どうなっていくかとか分からないが
とにかく 現状
自分が やってきたことの積み重ねで
一人になっちゃったけど
自分が楽曲を書いて
お金をもらえるなんていうことに
なれたっていうのが すごいうれしくて
もう 親とかにも言って。
…っていうとこから 本当に
YOASOBIは始まっていったので
最初の動機は 本当に…
もう 言ったら
不純なことだったりもするだろうし…。
何か きっかけになればいいな
という感じですかね。 そうです…。
でも 結局 それで ほら 自分の
ボーカルの歌も出したりしていて
私は それによって…
YOASOBIによって それを知って
すごくいいなって思ったから。
いやあ ありがたいです。
YOASOBIを聴いてても感じるし
ボカロの曲を聴いてても感じるし。
何がきっかけで売れてくかって
分からないなって。
実は
北川も大学生のころまで
本気で プロの音楽家を
目指していた。
本当に音楽がやりたくて…
でも とにかく
才能がないから駄目なんだ
才能があったら やっていけたのに
っていう瞬間があって。
それで でも 見限って
普通に就職活動を…。
でも 何か… 何か作りたいな
っていう気持ちが まだ残っていて。
で 音楽 好きだから…
なるほど!
じゃあ 音楽が先なんですね 完全に。
…っていうセリフがあるんだけど
いまだに そう思っていて。
だからね シナリオ書くときも
絶対 何かね…
リズムがあるように書きたいの。
なるほど。
ただ 何か言ってるんじゃなくて…。
セリフってリズムが出てくるんですよ。
こう言ったら こう返すみたいな。
それは すごい考えて…。
そこが自分の持ち味だと思ってるし。
でも たぶん 本当に それは
僕の音楽作りにおいても
すごい近いところ
あるんじゃないかなというか
音楽 作るのも やっぱり こういう
ピアノのフレーズが来たあとに
こういうドラムの これが入ってきて
こういうベースが乗るから
ここ ワンセクションかっこいいよね
みたいなのって
たぶん そういう
セリフの応酬みたいなものと
たぶん 近いところはあると思いますし。
そうですよね。
結局 それで 出来上がったものが
音楽においては やっぱり
耳で気持ちがいいかとか
…みたいなものだと思うので。
さらに 北川は
Ayaseが紡ぐ歌詞に
自分との共通点を見いだしていた。
Ayaseさんの曲が
すごいなと思ったのは
メロディーも そうなんだけど…
ありがとうございます。
ああ ありがとうございます。
すごく こう 浮かぶというよりは…
いや 絶対 そうでしょう!
そうじゃなきゃ あれ 書けないもん。
♬~
「たぶん」は 同棲していた男女が
別れた後の ある朝
男性が いっときだけ
部屋に戻ってくる様子を描いた物語だ。
小説がベースにありながら
Ayase自身の
ほろ苦い思いが込められている。
♬~
すごい ず~っと長いこと
おつきあいしてて
それこそ 同棲をしていてっていう
近しい経験をしていたのがあったのが
自分の中で なんとか消そうとしていた
その 悲しい…
いまだに 未練
引きずってるみたいなものを
1年越しに 曲を書きながら ずっと
思い出し続けないといけなかったり…。
そうでしょう! それが つらいよね。
それは すごいつらかったですね。
すごい切実で…
それは 自分の今までとも重なるから
苦しくなるんだよね。
でも それを ずっとやってく作業。
私も そうやって書くので
結局 忘れられないっていうか
引きずり出して こうだったよね
っていって。 そうですね。
はい そうです。 そのとおりです。
何かさ ものを作るって
そういうときの自分を
思い出したりとか…
…ような作業だと思ってるのね。
そうすると 何か そのときのことがさ
鮮明に残ったままになって
忘れられなくなって
つらくないですか? っていう…。
いや でも 本当に…
そのとおりで。 本当に…。
ねえ!
「ピン留め」というのが まさにだなって…。
「ピン留め」 そう。
画びょうで留めるような作業…。
ピンで刺してるんですよ。
ピンで…! そうね ピッて こう…。
もちろん 苦しいし。
引っ張り出してきて
もう一回 それをピン留めして
繰り返しながら
ずっと そこの上を 痛い思いしながら
突き進むのも苦しいですけど
やっぱり 作品が出来たときの
達成感から出る
もう 快楽的な…
やってやったっていう感情のほうが
結局 勝るので。
そうだよね。 だから やるんだよね。
別に 無理やり
やらされてるわけじゃないじゃない。
本当に 僕は まだ 入り口に
立ったばっかだよねっていうのは
自分でも すごく思ってはいるので。
でも…
♬~
後半は 舞台をスイッチ。
前回の対談から1週間後。
北川が Ayaseを誘ったのは
熱海にある仕事場だ。
あっ こんにちは。
こんにちは。
来ました。
すいません こんな遠くまで。
いえいえ。 すいません お邪魔します。
はい どうぞ。
すごいですね! これ 景色も…。
「すごい」って…。
階段が すごい大変だったでしょ。
階段もですし 景色 すごいきれいですね。
どうぞ どうぞ。 お入りになって。
すいません お邪魔します。
えっ マジで?
はい。
外が見えるんです。
うわあ…! いいですね。
どうぞ 出て…。
ワ~オ! すごい!
これは いい景色!
僕も やっぱり 山口県の
本当に 田舎っ子なので
落ち着きますね
こういう自然に囲まれてる場所は。
北川は ここで 海や空を眺め
一人 執筆に集中する。
そうなの。 ずっと 見てて飽きないよ。
雲が動くのとかね。
死んじゃう…。
なんと貴重な。
こんなふうになってるんです 台本って。
へえ~!
めっちゃ詳しいでしょ 「少女、立っていて」
「雨が降っている」とか 全部 書いて…。
俳優さんたちも これを見て
演技をされるわけですもんね。
これは もう 自分の ご自身の頭の中で
思い描いてるものを
文字として起こすみたいな…。
でもね これの前の段階があってね…。
すごい もう Wordの数が…。
そうそう…。
アイデアを書きためて…。
そうそう そうそう…!
いやあ…!
そういうことですね。
岐阜県出身の北川。
ミュージシャン 小田和正に憧れ 上京。
小田の母校 早稲田大学に進学する。
卒業後は 広告代理店を経て
ドラマや映画を制作する会社に就職し
脚本家を志す。
そのとき 北川は 20代。
一体 何を思い
どんなふるまいをしていたのか
今 同じ年代のAyaseは
質問をぶつけた。
僕が 今 27歳で
北川さん 27歳のときって
どういう感じだったかとか…。
27のときって まだ
脚本家になってなくて
テレビ番組の制作会社にいて
脚本家に なりたくて なれなくて。
だから Ayaseさんが
バンドやってた
9年間みたいな時代でした。
なるほど。
痛い存在だったんですか?
うん。 痛い存在だった。
なんとか チャンスが欲しくて
企画書っていうのを書くんですけど
それを書くために…
でも あった あった…。
うわあ いろいろ思い出してきた!
何かね 打ち合わせに行って
まだ 書き始め
作家としてデビューしたてぐらい…。
何か すごい…
10人ぐらいで打ち合わせしてて
私の本 読みながら みんなが
ああだこうだ 言うわけですね。
最後に「ああ やっぱり この本 駄目だね」
って言われて
「お帰りは あちら」って言われたこと
あります…。 うわっ…!
で すごすごと帰っていき…。
すごい…!
「お帰りは あちら」だよ。
で 友達に 泣きながら電話して
作家志望の女の子んちに
「今から行っていい?」とか言って
「いいよ」みたいな…。
まだ 覚えていますね。
何か こういう つらいことのほうが
やっぱり
記憶としては鮮明に残りますよね。
残る!
でも 本当に
それは 本気だったわけだし…。
なんとかしたかったの。
そうですよね。
やっぱり 当時って そういう形で
脚本家になられるみたいなのが
結構 主流だったんですか?
私 制作会社にいたんで 何か
局のプロデューサーとかが
チャンスをくれれば
デビューしていけるかなっていうのが
若干 あったんですよね。
で 女性が まだ すごい少なかったの
業界に。
テレビ見るのは若い女の子
みたいな時代だったので
女の人が書くといいのかな
みたいなこともあって。
嫌な感じだね 今 思うと。 うん。
何か… そのころは 全然
何にも 自分で感じてないつもりで
何か…
…って思います。
そうですよね。
才能という意味でも
すごく あがいてたけど
どうやったら 出ていけるかな
っていうことでも…。
でも 第一優先が仕事だったから
そういうプライベートを
犠牲にする…。
友達とか彼氏とか…
っていう時代でしたね。 そうですよね。
悪戦苦闘しながらチャンスをつかみ
30歳で連ドラデビューを果たした北川。
みずからの経験を徹底的に掘り起こし
脚本に反映させることで
斬新なシーンを次々と生み出していく。
これも その一つ。
いくよ いくよ。
♬~
きた… きた!
ああ~!
兄と遊んだ幸せな記憶から生まれた
シーンだ。
大胆な設定に こうしたリアリティーを
交えたスタイルで
新しい恋愛物語を確立。
「ラブストーリーの神様」と呼ばれ
ヒット作を
連発していく。
だが
その裏では
常に 高い視聴率を求められ
苦悩する日々があった。
北川さんの
実際に作られた作品だったりとか
やっぱり 圧倒的な視聴率っていうか
ものすごい…
実際に 大ヒット作として 名作として
世に出てると思うんですけど。
何か そこは 作られるときに
意識されたりとか…。
でも すごく 本当に 私が出たころは
特に 視聴率…。
まだ 録画率とかも出てないし
配信もないから
視聴率勝負の時代で…
で 「ロングバケーション」っていう
作品があって
やっぱり あれが
ものすごく愛されて ヒットして。
で そのあとは それを
超えられるかと思い苦しんだ時期が
2~3年あって。
いつも手探り…。
これが まあ 下世話な言葉で言うと…
あと 自分の中で そこは
調整してるつもりなんだけど
それが うまくいくこともあれば
うまくいかないこともあり。
逆に… これは もう
すごい個人的な話だけど
一回でいいから こういうの書きたい
みたいにやったら
当たったりっていうこともあるし
何か 分かんないよね。
でも 僕も 本当に それで言うと
正解は分かっていないし。
そうだよね。 結局 そうだと思って。
僕も そうだと思います。
でも やっぱり こう アートだったり
芸術だったり 音楽 物語っていうもの。
ああ そうだよね。 私もあります。
どこに こう…
ウエイトを置いてやったらいいのかとか
それを考えてる時点で
自分のクリエイティブが
死んじゃってるんじゃないかとか
不純なものになってはないかとか。
うん…。
でもね 必ずさ 制作発表とかで
「1人でも多くの人に」
って言うじゃないですか。
「1人でも多くの人に
見てもらって」って。
でも この間 3日ぐらい前に
何で 1人でも多くなきゃ
いけないんだろうって思っちゃって。
別に…
おお…。
だって 別に…
確かに 確かに。
うん… そんな 無理やり
あなたも あなたも これ 聴いて!
いいでしょ? とか
これ見て。 いいでしょ? って
やらなくてよいのでは? とか。
僕も もちろん たくさんの人に
届いてほしい。
ヒットしてくれたほうが うれしいし。
でも 僕も 結構 楽曲との
向き合い方のマインドとしては
やっぱり まず 自分自身が
すごく これを
かっこいいと思えるっていうものが
まず あって。
それを YOASOBIにおいては
パートナーであるikuraが
これを いいと思ってくれるっていう
そこに対しての まず「1」があって。
そうですよね…。
僕 すごい…
例えば 大きな会場で やったりとか
ちっちゃくても じゃあ
200人 300人 入ってるときに…
あっ そうなのかな…!
その会場全体が
盛り上がっていくっていうのと
同じものを
音楽をリリースしたりするときでも
同じような波及のしかたを
していってほしいっていうのが
すごくあって。
でも 口コミって まさに
そういうことですよね。 はい。
私には ikuraちゃんはいないけど
やっぱり
一緒にやってるプロデューサー
あとは 役者さんですね…
やっぱ プロの集団だと思ってるから
そこに素人は
1人もいないわけだから
そこの水準をクリアしたいなっていう。
でも そういう意味では じゃあ 視聴率
気にしますか? って言われたら
それに近い感覚まで もう きました。
なるほど なるほど。
もう それは そのときのものなので
「ロンバケ」があるのは
ありがたいと思っているし。
それが ぶっちゃけ
ヒットしようがヒットしまいが
あの… 自分のスタンスは変わらない。
一生懸命 次に来た仕事を
やるだけっていうのを
30年 続けてきたっていう感じで。
あとは 思ったのは
そのときの視聴率と
じゃあ 20年たったあと
人が どれだけ
あれが好きだったっていうかって
また別物…。 そうですよね。
「愛していると言ってくれ」より
数字取ってたドラマ
すごいたくさんあるんだけど
結局 何か
あれは いまだに
好きっていう人いるなとか。
だから 何が残ってるか分かんないし
そしたら もう…
だから あらゆる指標 数字とか
いいんじゃないかなと思って。
もう 自分が信じるものを書いて
あとは もう しかたがない。 うん。
北川が脚本を書き続ける理由の中で
欠かせないのが
病の存在だ。
1999年
難病である潰瘍性大腸炎に襲われる。
手術と入退院を繰り返す日々。
そのときの 闘病生活や
家族 仕事などへの思いを
北川は 日記に つづっている。
絶え間なく続く痛みに
意識が朦朧とする中でも
北川の日記は更新されていく。
病室では落ち着かず
ナースステーションで
過ごしていたときのこと。
でも 何よりも やっぱり
病気は 本当に大変。
「もう治んない病気ですよ」
って言われて。
本当に治んなかった…。
ご病気が発覚してってなったときも
そこから こう…
ドラマにできるというか
物語として作り上げれるみたいな…。
やっぱり そこに対して
ポジティブになって
作品に昇華していくっていうことに…。
そう向き合うっていうことは
結局 自分の痛さとか つらさと
向き合うことでもあるわけで…。
すぐにではなかったかもしれないけど
時間は かかって…。
何かね ものすごく
痛いときがある病気なので
やることあったほうが忘れられる。
そうすると 何か 意識が
そっちに向くんですよね。
責任を しょっちゃったから…
…っていうところで 逆に 何か こう
痛みから 気が… そがれる
みたいなことはあったかなと思う。
ああ なるほど…。
うん。
立て続けに 2012年
10万人に1人の難病を発症する。
私ね…
うわあ…。
あっ 聞こえてないんだと思って。
…っていうやつで もう治らない。
もともと 大きな病気があったんで
またかよとか思って
やってらんねえと思って。
でも 何か…
ああ なるほど。
何かね 人と歩くときって
いつも 聞こえるほうに来てもらう…
こっち側に来るとか。
そういうのが 何かね
ちょっと ロマンチックだなと思って。
そのときにね 何か 思いついたことを
みんな ツイッターに上げてて。
ずっと 耳鳴りがしてるんですよ 左側。
その音が潮騒の音に似ていて。
…みたいなツイートをしていて。
すごい…!
これ セリフみたいって
書きながら思ってて。
何か 本能的に 今の気持ちを
残しとこうと思ったと思うんですね。
いろいろ そういうのを
書きつけていて
これは…
♬~
北川の脚本で
2018年に放送された…
主人公は 北川と同じく
病気で 左耳の聴力を失った…
障害のあるヒロインの人生を描く物語は
朝ドラ史上異例のことで注目された。
あっ お母ちゃん!
面白い! 半分だけ雨降っとる!
右だけ雨降っとる!
そうか。 左 聞こえんもんねえ。
鈴愛の左側は いつだって晴れやね。
うん! 行ってきます!
行ってらっしゃい。
半分 青い。
♬~
高校で 天才漫画家 秋風羽織の作品に
衝撃を受け
鈴愛は弟子入りを決意する。
壊れるぞ。
お前に その覚悟があるのか?
鈴愛が 北川の若いころの姿であれば
秋風の言葉も また 北川そのものだ。
バイバイ 律。
さよなら 鈴愛。
描け。
泣いてもいいから 描け。
漫画にしてみろ。 物語にしてみろ。
楽になる。 救われるぞ。
救われる…。
創作は 物語を作ることは
自身を救うんだ。
私は そう信じてる。
リアルを拾うんだ。 想像は負ける。
空想の世界で生きてるやつは弱いんだ。
心を動かされることから逃げるな。
そこには真実がある。
もう 実際に それを やっぱり
北川さん自身が
体現されているなっていうのは
思いますし
リアルの中から生まれてるもので。
そうじゃないと
あんまり 書けないんですよ。
観察で書けない人なんで。
じっと こう…
電車に乗ると 前の人見てたりする
とかいうじゃないですか… 作家さん。
ああいうの 全然しない。
自分と誰かのことしか考えてないから
観察して書くとかできないし
しない。
たぶん それだと 自分のパワーは
出ないなって思うから。
いやあ でも これほど もう
そのとおりだなと思ったことは
ないというか
やっぱり 結局 「こういう人って
こうなんじゃないかな」とか
「こういうことが起こったら
こういうことになるんじゃないかな」の
想像は弱いっていうのは すごく…
それは リアルに
絶対に負けるっていうのは。
うん。 いや 本当に そうだと思います。
創作することが原動力ですよね もう…。
そこで回る感じ 自分が。 創作して。
たぶん 一人で どっかに ぽつんと
置かれたら やめちゃう気がして。
やっぱり 誰かがいるのは すごく…。
役者さんでもいいんですけど
この人 書きたいとか…
この曲 聴いてると
私 何か ストーリー 浮かぶとか。
何か 客観的に自分を見たときに…
そうしたら この人 何もなくしちゃ
かわいそうだなって思って
何か この人に
書かせてあげなければって
もう一人の自分が思うっていうところは
ありますね。 うんうん…。
やっぱり 自分で言うのも不遜だけど
もったいないなっていう。
書けるのにもったいなくない? って
書こうよっていうふうに自分を焚いて。
めちゃくちゃに共感ですね これは。
そうだよね。
僕も 結局…
そうだね。 そう。 で…
そうじゃないと 何か
あんな病気しつつ 書いてきた自分に
申し訳ないというか…。
本当に…
ちょっと それは気になり過ぎますね。
今のとこ それかな。
でも まあ それが きっかけとなり
「こんなのもやりたい。
あんなのもやりたい」になってきていて。
まあ 何かさ ここまでくると
その火を消すなって感じ。
自分がね 自分で。
ちょっと 形になってほしいですね
これは。
…だといいね。
はい。 ハハハ…。
最初は もちろん ちょっと
緊張はしてたんですけど
もう… 何でしょう
お友達とまで言うのは あれですけど
すごい楽しく
しゃべらせていただいたので。
何か 共鳴する部分があったり
新しい発見があったりみたいなのは
やっぱり じかに会って やってみないと
なかなか分からないことなので
すごい いい経験になりました。
もともとは YOASOBIの曲を聴いて
Ayaseさんを知って
Ayaseさんのメロディーを
聴くようになっていったんですけど
何か そこに
すごく 自分が感じるっていうのは
何か 彼そのものの持っている…
人間性とか方向性とか
考え方とか感じ方みたいなことに
共鳴をしてたんだなっていうのが
分かった感じ。
仲間と言うのは不遜かもしれないけど
そういうところで
頑張っている人がいるんだっていうのが
分かってよかったなあって思います。
♬~
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