田原俊彦

12月20日放送のバラエティ番組『爆報!THEフライデー』(TBS系)で、歌手・俳優の田原俊彦が「亡きジャニー喜多川との関係をついに激白」するという。同番組のスペシャルゲストMCを務めている田原はジャニーズ事務所から独立した過去を持ち、人気絶頂期から一気に転落したことでも知られている。

 1980年代、田原は連続テレビドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)で共演した近藤真彦、野村義男と共にアイドルグループ「たのきんトリオ」のメンバーだった。その後、数多くのヒット曲を放つなどトップアイドルとして活躍していたが、たのきんトリオは83年に解散する。

 そして、94年2月に開かれた長女の誕生発表会見で、田原は「何事も隠密にやりたかったけど、僕くらいビッグになるとそうはいきません」と発言。この思い上がりともいえる態度が猛批判を浴び、人気が急落してしまう。同年4月に田原は個人事務所を設立してジャニーズ事務所から独立するが、これはジャニーズ側の反対を押し切って強行したといわれ物議を醸し、その後一時は不遇の時期を過ごすことになる。

田原はテレビ出演が激減した当時の状況について、2018年6月放送のバラエティ番組『サワコの朝』(TBS系)で言及。進行役の阿川佐和子が「一言で言うと“干される”っていうか……」と核心に触れると、「干されたという気持ちはなくて、干されたのは俺に力がないから」と語った。また、バッシング直後にジャニーズ事務所を退所した理由について、「1人でやっていくべきなんじゃないかなっていう思いが強くて。あのときの僕は自由が欲しかった」と明かしている。

 なお、田原は以前放送されたバラエティ番組『良かれと思って!』(フジテレビ系)でも、ジャニーズ事務所についてコメント。ジャニー喜多川社長(当時)を“恩人”に挙げ、「今の僕がいるのはジャニー喜多川さんのおかげ」だと語っていた。また、退所時には“餞別”としてジャニー社長から100万円を渡されたと明かし、「全然円満ですよ。僕的にだったのかもしれないけど」と付け加えた。

 一方、今年9月に配信された日刊ゲンダイDIGITALの記事では、田原とジャニーズ事務所の“確執”について報じられている。記事によると、毎年開かれていた田原のコンサートが独立の前年は中止となり、長女の誕生発表会見にも事務所関係者が姿を見せていなかったという。また、過去に田原が発した「ジャニーズ帝国というのは、外に出ていく人間に対しては絶対的にNOなんですよ」という言葉を紹介し、「テレビ局の『自主規制』は長らく続き、田原はジャニーズの見えない手に悩まされた」と伝えている。

 いまだに田原とジャニーズ事務所の関係についてはネット上でも注目が集まっており、

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