【実録】日米激戦地パラオ・ペリリュー島へ慰霊訪問!! かつての日本の委任統治領&日本軍玉砕の島!ジャーナリスト大川原 明!現地ルポ!

国際ジャーナリスト&旅行ジャーナリスト 大川原 明のホームページは下記
http://yukokunoshi-akira.com/
アメブロ(憂国の士アキーラ世界1周・日本1周旅行記のブログ)は下記をクリック
http://ameblo.jp/yukokunoshi
Youtube1別チャンネル(憂国の旅人アキーラ旅Travel Channel1)
https://www.youtube.com/user/Yuukokunoshi1
Youtube別チャンネル(ジャーナリスト大川原 明)
https://www.youtube.com/channel/UCEfs6mugbMR

平成25年(2013年)6月にかつての日本の委任統治領であるパラオを訪問し、日米­の激戦地になったペリリュー島を訪問した。マラカル島からボートで約1時間到着。
雨季で天気が他の滞在日は悪かったが、この時は、英霊の方々が歓­迎してくれたのか清々しい天気であった。
空からの空爆、沖からの艦隊による艦砲射撃で破壊されているが、その当時の姿で残って­いる。昭和19年9月15日米軍によるペリリュー初上陸が行われたた。(海岸からの戦­艦等によるに艦砲射撃後に)。(オレンジビーチ)米軍の計算では数日で陥落させる予定­が、一斉の日本軍の射撃、砲撃にあり反撃をくらい小さな島であるが陥落までに2か月以­上を要した。日本軍の死者約11000人(玉砕)、米軍の死傷者約8000人。祖国を守るために­戦われて命を落とした英霊の方々に感謝の意を表するとともに慰霊をさせていただきまし­た。
アメリカが攻めて来るのを事前に察知し、戦闘にペリリュー島民を巻きこまないように、­島民を本島のほうへ移しました。しかし、そんな中、一部のペリリュー島民はペリリュー­島決死隊を結成し、日本軍と一緒にアメリカと戦ったのでした。
義理と人情を重んじる侍・武士道国家の日本。日本は素晴らしい国でした。

powered by Auto Youtube Summarize

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事