月亭可朝さんが弟子を代表してあいさつした際は、横にいた桂ざこばさんが、ハンカチで顔を押さえながら号泣していた。
米団治さんは、米朝さんが弟子や親しい人たちに囲まれ、静かに亡くなっていったことを明かした。横にいた月亭可朝さんを見ながら「物心ついた時には、可朝さんがおられました。その次が枝雀さん。そして、ざこばさん。僕にとっての『父親像』というのは本当になかったです。ずっと仕事してましたから」と述べた。
また、子どものころの思い出にもふれながら「小学校の参観日に1度だけ小学校3年生の理科の時間に来ました。家族旅行は中学の2年の時、南九州のパックツアー。ずっと新聞読んではりました。その時に思いました、この人はみんなの父親だと感じました。本当に父親と感じたのは、病院で寝こんでからです。介護をしているうちにだんだんだんだんモノを言わなくなってきて、その時に、親父ってこういうものなんだと感じました。最後は眠るように全然苦しまずに亡くなりました」などと涙ながらに参列者へのあいさつを述べた。
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