https://www.youtube.com/watch?v=xMewmzjhzF4
ウィキペディア(Wikipedia)の記事より。
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』 メディア展開 アニメ の項目より/
1980年にバンビーノより発売されたLSIゲーム『レースンカーチェイス』のCMが初のアニメ化である(両津と大原部長が出演。声の出演は両津役が肝付兼太、大原役が富田耕生)。
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のテレビアニメ化は、このCMが最初のアニメ作品。
まだ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が週刊誌の連載から単行本になった直後にいち早くバンビーノがCMアニメ企画制作しました。
その後某局の某プロダクションが番組テレビアニメ化をしました。
このCMがこち亀アニメの出発点。最初のこち亀アニメです。
日本アニメの真実 1話
昭和の頃は今より日本に活気がありました。
その会社は地下鉄丸ノ内線本郷三丁目駅から徒歩3分の距離にありました。
「株式会社日本アニメーション映画社」と言い、主にCMアニメーションを専門に作っている会社です。この会社の略称は「日本アニメ」で当時のCM業界で通っていました。
歴史は古く大正の大惨事の関東大震災の頃から存在していて、その大震災の被害も受けて本郷近辺を逃げまわったと前社長から聞きました。
また太平洋戦争の頃、日本は外来語は禁止されていましてこの会社は「日本漫画」と言っていました。親しい人達は略して「日漫」と言っておりました。
私はこの日本アニメでCMアニメーターとして育ててもらいました。
その頃の裏話をまじえたこの会社のエピソードのブログを書こうと思います。
(おもしろいエピソードがいっぱいあります。)
時代は昭和。 私は日本アニメーション映画社に入社しました。
CMアニメ制作会社は華やかに見える業界と思っていましたが、その本郷三丁目の会社は貸しビルの3階のワンフロアのおんぼろビルで、天井の鉄骨がむき出しの怪しい気配がただよっていました。
しかし入社して驚いたのは、その会社は当時の話題作、新グロモント「がんばらなくっちゃ」、松下電器冷蔵庫「霜なし博士」、味の素ハイミー「いもがらぼくと」等等を制作していた事です。
また後で知った事ですが、当時の人気漫画「チッチとサリー」の漫画家のみつはしちかこさんもこの会社の出身でした。
自分はすごい会社に入ったんだな・・・と思いました。
・・・・ただ給料が安いのはたまにきずでしたが。
日本アニメの真実 2話につづく
このつづきは、このチャンネルの作品のどこかにあるよ。
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