大明宮

大明宮, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3872522 / CC BY SA 3.0

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長安城の平面図。
北東の域外へ台形状に突き出た一角が大明宮。
大明宮(たいめいきゅう)は、唐の都・長安の北東にあった宮城。
現在の陝西省西安市の北郊外、太華南路に位置する。
大明宮は、太宗が父の高祖のため634年に建設を始め、高宗が大規模に増築して663年に太極宮からここへ朝政を移し、以降904年までの240余年にわたり17人の皇帝が起居し政務を執る唐王朝の政治中枢となった。
太極宮、興慶宮と共に長安の“三大内”を成す。
1957年より遺跡の発掘が始まり、現在その跡地は大明宮国家遺跡公園として一般に開放されている。
大明宮遺跡の平面図 長安城の北東、首龍原という丘陵地に造られた敷地は南北2256m、東西1674m、総面積は3.2km2あり、周囲を城壁が囲んでいた。
敷地は北東部分が欠け完全な方形ではないが、これは地形の制約によるものである。
敷地の南北中心軸上に、正殿の含元殿(外朝)、宣政殿(中朝)、紫宸殿(内朝)が建ち、合わせて三大殿と呼んだ。
宣政殿から東西に延びる隔壁で敷地は南北に分かれ、南半分は貴族や役人が出入りする宮殿区(前朝、政務地区)、北半分は皇帝のプライベート空間である園林区(内廷、居住地区)になっていた。
復元された丹鳳門 敷地の南正面に位置する、大明宮の正門。
上部の門楼(丹鳳楼)では皇家の赦令配布、宴会大典も行なわれた。
662年に完成し、東西200m、奥行き40m、5つ設けられた門道の幅はそれぞれ9mあり、隋唐を通じて最大級の規模を持っていた。
門道が5つもある門は大明宮ではここだけで、皇帝用の格の高い門であったことがうかがえる。
“丹鳳”とは赤い鳳凰、すなわち朱雀を意味し、「天下安定ならば赤い鳳凰が現れる」という古籍の思想に基づいている。
含元殿の基壇 大明宮の第一正殿として、元日や冬至の儀式、改元や即位の儀式、外国使節の謁見、受賀、大赦、閲兵などの国家儀式を行なった、当時の長安の代表的建築物。
662年から663年にかけて造営され、基壇は東西200m、南北100m、高さ15mで、中央に主殿があり、東に翔鸞閣、西に棲鳳閣を、廊と角楼で繋げていた。
発掘調査により、主殿の正面に龍尾道は無く、主殿への昇降は翔鸞閣と棲鳳閣の基壇から曲がりくねって進んでいたことが分かった。
同様の構造は日本の平城京の第一次大極殿(奈良時代前半)にも見られ、含元殿からの影響がみてとれる。
南側の広場の東西には、出仕した役人たちが広場に整列する前に待機するための長大な朝堂があり、ほか登聞鼓、鐘鼓楼が配置されていた。
殿前から丹鳳門までの間には630m2の広場が設けられ、皇帝専用の道も造られていた。
含元殿は、玄宗が臨席した753年の元旦朝賀の儀式で日本の遣唐大使の藤原清河と副使の大伴古麻呂が新羅の使節と席次を争った故事の舞台として日本では良く知られる。
大明宮の第二正殿で、平時に文武百宮が皇帝に謁見する場として使われた。
含元殿の真北300mに位置し、その間には宣政門があったほか、古籍によれば門下省、史館、弘文館、少陽院、昭徳寺などがあった。
紫宸殿跡 大明宮の第三正殿で、内朝の議事処として皇帝の日常生活の場という内宮的性格を持ち、大臣がここに召し出されることは“入閣”と称し非常な名誉とされた。
宣政殿の真北95mに位置し、その間には紫宸門があった。
東には浴堂殿、温室殿、西には延英殿、含象殿があった。
太液池 園林区の主要な要素をなす池。
紫宸殿の北側の窪地に造営され、大きな西池と小さな東池が東西に連なって瓢箪形をしており、西池は東西484m、南北310mの大きさで、中央やや北寄りに蓬莱島という島があった。
文献資料では太液池の岸に沿って千間の廊下が巡らされていたとあり、発掘調査でもその跡が確認された。
池の底から発掘された建物の壁の破片には、漆喰や緑色塗料が塗られていたり、壁画が描かれているなど、池周辺の建物が豪奢に装飾されていたことがうかがえる。
蓬莱島の南岸には小さな庭があり、おそらく船着場で池の中に歩み出るような施設があったと思われる。
2001年-2005年の発掘調査では蓬莱島の西側にさらに一つ中島が見つかり、文献資料で「蓬莱三島」という記述が見られることから、東池にも中島があったと推測される。
麟徳殿の模型 近臣や外国の使節の招宴など、皇立の迎賓館として使われた施設。
664年-665年に太液池の西側に建てられ、面積10,000m2に及ぶ広大な施設で、基…

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