坂田利夫さん、老衰のため大阪で82歳で死去…間寛平夫妻に見守られながら息を引き取った。

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清水アキラ 坂田利夫
間寛平 坂田利夫
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坂田利夫さん、老衰のため大阪で82歳で死去…間寛平夫妻に見守られながら息を引き取った。
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「アホ坂田」の愛称で知られたコメディアンの坂田利夫(本名・地神敏雄)さんが29日、老衰のため大阪市内で死去した。 彼は82歳でした。 所属する吉本興業が30日に発表した。 通夜・告別式は近親者のみで執り行われる。 舞台のみならずテレビ、映画、CMなど幅広いジャンルで活躍し、お茶の間でも親しまれていた。 坂田さんは此花商業高等学校(現大阪偕星学園高等学校)卒業後、1961年に吉本新喜劇の研究生となり、1964年に吉本新喜劇に入団した。大村崑の大ファンで、コメディの道に進むことを決意した。 1967年に前田五郎(2021年死去)と漫才コンビ「コメディNo.1」を結成。 「なんば花月」の舞台を中心に活躍し、軽快なトークが人気を博し、1970年に「第5回上方漫才大賞」新人賞を受賞、1971年には大賞を受賞。 第1回NHK上方漫才コンテスト講談部門優秀賞、1972年第1回上方漫才大賞金賞を受賞。
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同年、自身の出囃子となったレコード「アホの坂田」を発売し、ヒットした。 「浪速のモーツァルト」と呼ばれた作曲家キダ・タローの曲として人気を博した。 1979年、第14回上方漫才大賞で大賞を受賞。

吉本興業の発表によると、後輩の寛平とは54年来の友人で、寛平夫妻は寛平の82歳の誕生日を祝ったという。 親族や寛平夫妻に見守られて息を引き取ったという。

坂田さんは「そこにいるだけで人を笑わせられる稀有な人」と評され、デビュー33年目の1997年に東京で初の主演ライブを開催し、こう語った。 ようやく仕事を楽しめるようになった』と生涯独身だったが、時折「やっぱり結婚したくない。この世に生きている限り、結婚願望はある」と結婚願望を漏らしていた。 妻を見つけます。」

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