北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父・横田滋さんが5日、入院先の病院で老衰により亡くなりました。87歳でした。最愛の娘の救出にささげた半生でした。

当時13歳だっためぐみさんが、北朝鮮の工作員によって拉致されたのは、1977年11月15日。滋さんの誕生日の翌日でした。その後、「めぐみさんは北朝鮮にいる」という情報が日本にもたらされるまでには、実に20年の歳月が過ぎていました。横田さんと妻・早紀江さんは、来る日も来る日も娘の救出を訴え続け、自体が動いたのは2002年。小泉元総理による電撃訪問の際、北朝鮮は拉致の事実を認めましたが、めぐみさんはすでに死亡したと伝えてきました。
 横田滋さん:「今回、小泉総理が直接、平壌に行き、拉致問題について話し合われるということなので、私はいい結果が出ることを楽しみにしておりました。しかし、結果は死亡という残念なものでした。我々は死亡ということを信じることはできません」

2004年、北朝鮮はめぐみさんのものとする遺骨を提出してきました。しかし、日本政府は「めぐみさんのものではない」と反論しました。
 横田滋さん:「私たちは満腔(まんこう)の怒りをもって遺骨ねつ造に抗議する。経済制裁の即時実施を国民の怒りの声に合わせて、ここに強く求めるものだ」

その後、拉致問題は一進一退が続くこう着状態に。そんな状況のなか、2006年には突然、めぐみさんの娘で、滋さんの孫にあたるキム・ウンギョンさんが「孫娘は元気に育っています。本当に会いたかったら来てください」と呼び掛けました。
結局、滋さんがウンギョンさんと直接を会うことが叶ったのは2014年。ウンギョンさんは26歳になっていました。
 横田滋さん:「ウンギョンさんの姿というのは、テレビでは何回も見ておりますけれど、実際に本人にお目にかかるのは初めてです。14、15歳の時にテレビで見たんですが、大人になって背の高さも早紀江よりちょっと大きいくらいで、丸顔でやっぱり同じ家系なのかなという感じを受けました。3日間は一緒に暮らしまして。アルバムを持ってきて赤ちゃんの写真を見せてくださったり、料理を作っているのを見たり、充実した3日間でした」

オバマ大統領が来日した際には、ウンギョンさんの写真を見せ、救出を訴えました。親として、拉致被害者の家族会の代表として、救出を訴え全国各地を回る日々。公演は1000回をゆうに超えています。2018年4月、85歳となった滋さんは脱水症状を訴え、神奈川県川崎市の病院に入院しました。早紀江さんの介助を受けながら、めぐみさんとの再会を心待ちにしていたといいます。

早紀江さんは文章で「多くの方々に励ましやご支援をいただきながら、北朝鮮に拉致されためぐみを取り戻すために、主人と2人で頑張ってきましたが、主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です」と今の心情を語りました。
拉致被害者の曽我ひとみさんは「一報をもらった時は、一瞬頭の中が真っ白になり、今は何も考えられません」とコメントを出しました。
 拉致被害者家族会・飯塚繁雄代表:「同じ思いで活動していた仲間が、また一人いなくなってしまった。私も、もうじきいなくなる可能性もあると考えあわせますと、何をするべきなのかとらえて、動きがほしかったなと。横田さんの件については特に感じますし、強く訴えたいなと思います」

政府与党の関係者からは一様に「間に合わなかった」という声が聞かれました。第一次安倍内閣以来、安倍総理は、拉致問題を政権の最優先課題と位置付けてきました。
 安倍総理:「2002年10月15日、5人の拉致被害者の方々が帰国された。横田滋さんも早紀江さんとともに、家族会の代表として来ておられました。帰国された方々は、ご家族と抱き合って喜びをかみしめておられた。写真に撮っておられた滋さんの目から涙が流れていたのを今でも思い出します。滋さんが早紀江さんとともに、その手でめぐみさんを抱きしめる日が来るようにという思いで、今日まで全力を尽くしてまいりましたが、総理大臣としても実現できなかったこと、断腸の思い、申し訳ない思いでいっぱいです」

拉致被害者の家族は高齢化が進んでいて、今年2月には有本恵子さんの母・嘉代子さんも94歳で亡くなりました。帰宅を待つ親の世代は、横田早紀江さんと、有本恵子さんの父・明弘さんだけになりました。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

powered by Auto Youtube Summarize

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事