事件は1987年6月12日、両国国技館で行われたアントニオ猪木vsマサ斎藤の第5回IWGP優勝決定戦後に起こる。試合終了後、長州力が乱入しマイクを持つ。
「藤波、俺たちは自分たちの時代を作るために3年間、叫んできたんだぞ!藤波!前田!今こそ新旧交代だろうが!」「俺は噛み付くぞ!藤波!前田、お前は噛みつかないのか!?」と叫んだのだ。これにスーパー・ストロング・マシンや木村健悟も呼応した。
そして、これに応じるように、アントニオ猪木が「その気で来るなら俺ら受けてやるぜ、テメェらの力で勝ち取ってみろ。このヤロー!」と叫ぶ。
しかし前田日明は一味違った。
「おい。どうせやるんだったら世代闘争で終わらんとな。誰が強いか。一番強いかね。決まるまでやりゃーいいんだよ。決まるまで!」と発言。
世代闘争はどうでもいい。誰が強いか決めたらいいだけ。と、決まったばかりの世代闘争から1歩距離を置く発言をした。その言葉の裏には前田が察知した危機感があった。
もしも猪木を中心とした旧世代軍と長州を中心とした新世代軍の闘いが始まれば、UWFとしての前田の存在感はかき消されてしまう。世代闘争とは新日本の猪木とジャパンプロレスの長州が主導権を握り、UWFを取り込んでしまうものでもあった。猪木と長州の遠回しな戦略に一石を投じたのだ。前田のこうした相手の意図を読む感性は鋭い。前田が独自の感性でアドリブをきかせた名言であった。
それに対して、藤波は「やるぞー!!」と一言のみ。さすがドラゴンである。
そして、ここでナウリーダーとニューリーダーの世代闘争が幕を開けたのだった。
猪木、斎藤、坂口、藤原、星野率いるナウリーダーと、長州、藤波、前田、マシン、木村のニューリーダーと世代交代をかけた抗争に発展していくこととなった。
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