アレクサンドル・ドゥーギン

アレクサンドル・ドゥーギン, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3719868 / CC BY SA 3.0

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アレクサンドル・ゲレヴィチ・ドゥーギン(ロシア語: Александр Гельевич Дугин, ロシア語ラテン翻字: Aleksandr Gel’evich Dugin, 1962年1月7日 – )はソビエト連邦(現・ロシア連邦)モスクワ出身の政治活動家、地政学者、政治思想家、哲学者。
2008年から2014年までモスクワ大学で教授を務めた。
クレムリンに影響力を持つ存在とされ、レフ・グミリョフに始まるネオ・ユーラシア主義の代表的な思想家の一人とされる。
1980年代は反体制活動家だったものの、ソ連崩壊後のロシアに対してアレクサンドル・ソルジェニーツィンのように幻滅してヨシフ・スターリンの再評価とソ連の再興を掲げる保守派となり、1990年代に同じ元反体制活動家のエドゥアルド・リモノフとともに1920年代に白系ロシア人(ソ連から亡命したロシア人)の間で流行したユーラシア主義の復活を掲げる国家ボリシェヴィキ党(当初は国家ボリシェヴィキ戦線)を結成した。
これはジョージ・オーウェルの小説「1984年」に登場する国家「ユーラシア」の「ネオ・ボルシェヴィズム」に着想を得たとも評されている。
ボリス・エリツィン大統領の打倒を目指すゲンナジー・ジュガーノフら共産主義者とセルゲイ・バブーリンら民族主義・愛国主義者によって創設された野党連合「救国戦線」に加わるも、その後はリモノフとの党内対立で離れ、ロシア政府のエフゲニー・プリマコフやウラジミール・プーチンを支持し始めた。
また、ロシア連邦議会でユーラシア主義を推進していたゲンナジー・セレズニョフ下院国家会議議長(当時ロシア連邦共産党所属)に顧問として起用され、ロシア政界と関わりを持つこととなった。
2002年にユーラシア党、2005年にはユーラシア青年連合を設立し、ネオ・ユーラシア主義を国際的な運動にすることを目指して活動を続けている。
自由民主主義、資本主義、個人主義、グローバリゼーションなど西側諸国のリベラルな価値や理念を強く批判・攻撃し、20世紀に衰退してしまった共産主義とファシズム、21世紀に標準化した自由主義に代わる第四の政治的理論としてネオ・ユーラシア主義を主張する。
ドゥーギンは有史以来の世界構造は海の秩序をコントロールする海洋国家と陸の秩序をコントロールする大陸国家に分けられるとし、ソ連崩壊後のアメリカ一極支配の世界においても地球規模の市場原理主義の下でグローバル化を主導するシーパワーのアメリカと、独裁や宗教を統治論理としたランドパワーのロシアの新冷戦構造により当てはまるとした。
ドゥーギンによると、北大西洋条約機構(NATO)のような欧米の「大西洋主義」政策はハートランドを奪うためのロシアの封じ込めとリベラルな価値観が支配する世界の構築を狙いとするものであり、これに対抗してロシアは地政学的な戦略に基づいてユーラシア大陸に多極体制を築く外交戦略を取るべきだという。
ユーラシア帝国をつくるためにもロシアは領土問題を避けるべきとし、まずNATO陣営のドイツにカリーニングラードを返還して中央ヨーロッパや東ヨーロッパに目を向けさせて欧州全体をフィンランド化させ、中東ではイランと同盟を組んでクルド人などイラン系民族を使って反露的でNATO陣営のトルコを揺さぶることで脅威度を減らし、アジアでは日本にクリル列島を譲渡して反米を煽動して日米同盟を解体させ、ロシア極東への脅威度を減らすためにベトナムを除くインドシナ半島に中国を南下南進するよう支援してフィリピンやオーストラリアなど米国の同盟国と対峙させるべきと主張している。
また、上海協力機構(SCO)をNATOと対決できる多極的なブロックとして重視してる。

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