
【みんなの戦争証言アーカイブス】
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日本初の女性報道写真家・笹本恒子さん(101)
太平洋戦争が始まる前からカメラマンとして活躍。
日独伊三国同盟締結を記念した「三国同盟婦人祝賀会」では
心の中で、ヒトラーやムッソリーニの悪口を言いながら取材したり、
1940年7月7日の日中戦争3周年記念日では、
午後12時に国民全体で戦没者へ黙祷を捧げるという様子を取材するために、
銀座に足を運ぶも、誰も黙祷をしておらず困り果てたこと。
さらに終戦後には、マッカーサー元帥夫妻に
「エクスキューズミー」と声をかけ、
笑顔の写真を撮るなど、
まさに激動の昭和を写し、目撃し、体を張って取材してきた
歴史の生き証人なのだ。
今回の取材では、残念ながら時間の都合で
一部のエピソードしかお聞きすることができなかったが
お話は、どれもこれもとても興味深く
当時の日本の様子が目に浮かぶようだった。
個人的にショッキングだったのはこのお話。
笹本
『夫婦で夜に団らんしているときに、
外を自転車が通る音が聞こえると、
二人とも黙ってしまうんです。
こんな時間に召集令状がくるわけないんだけど、
思わず黙りこみ、自転車が通り過ぎると、
またしゃべり出すんです。
こんな状態が、日中戦争から何年も続いたんですよ』
これまで、召集令状が届くという情景は、
太平洋戦争をイメージしていた。
しかし、出征命令に怯える生活が、
日中戦争から8年も続いていたなんて!
とても衝撃だったし、
日中戦争の続きとして太平洋戦争があったということを、
リアルに認識させられた。
とても101歳には見えない、
チャーミングな笹本恒子さんの戦争証言インタビューを
是非、ご覧ください。
インタビュアー:元NHKアナウンサー 堀 潤
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