こころの時代~宗教・人生~ 無宗教からの扉(4)「他力をえらぶ」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

こころの時代~宗教・人生~ 無宗教からの扉(4)「他力をえらぶ」[字]

遠藤周作や三木清など多くの作家や哲学者に愛されてきた「歎異抄」。多くの日本人が自らを“無宗教”だとする現代、そのメッセージを、シリーズ6回にわたり読み解く。

詳細情報
番組内容
「歎異抄」には「自力」による悟りではなく、阿弥陀仏の本願の力によって救済される「他力」の思想が綴られている。その精髄は、現代を生きる私たちにとって一見意外とも思える念仏のあり方。「父母の供養のための念仏はしない」「念仏すると罪が滅ぶという考えは誤っている」。なぜこのような言葉が記されたのか。シリーズ第4回は、浄土仏教の核心にある「他力」の本義を探り、あわせて日本の宗教的風土について考えてゆく。
出演者
【講師】明治学院大学名誉教授 宗教学者…阿満利麿,【語り】髙橋美鈴,【朗読】糸井羊司

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
福祉 – 社会福祉

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  1. 自分
  2. 念仏
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  10. 大事
  11. 自然宗教
  12. 本願
  13. 本願念仏
  14. 死者
  15. 弟子
  16. 法然上人
  17. 信心
  18. 日本
  19. 浄土
  20. 問題

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

「歎異抄」は 700年以上前の
鎌倉時代に書かれた 仏教の古典です。

そこに貫かれているのは
自分の力 「自力」による悟りではなく

阿弥陀仏の本願の力によって
悟りを手にしようという「他力」の思想。

法然が唱え 親鸞らが受け継いできた
その教えを正しく伝えようと

親鸞の門弟となった唯円が
書き留めました。

他力の思想の中心にあるのは

阿弥陀仏の名前を称える「念仏」。

「歎異抄」には
現在の私たちが抱くイメージとは

異なる念仏の在り方が つづられています。

なぜ このような言葉が
「歎異抄」に書かれているのか。

宗教学者の阿満利麿さんは

法然 親鸞の説いた本願念仏の思想を
中心に据えながら

日本人の宗教意識について
研究してきました。

シリーズ
「歎異抄にであう 無宗教からの扉」。

第4回の今日は 本願念仏の核心にある
「他力」とは何かをひもとき

「他力」を通じて みえてくる

日本の宗教的風土について
考えていきます。

♬~

♬~

「歎異抄」を貫く「他力」の思想。

その「他力」について
詳しく説かれているのが第十六条です。

「万事につけて
浄土へ生まれるためには

すべて利口ぶらずに

ただ 我を忘れて

阿弥陀仏のご恩の深重であることを

常に思い出すのが よいのです。

そうすれば 念仏も自然に口をついて
出てくるようになるでしょう。

これが 阿弥陀仏の
おのずからの はたらきです。

私が あれこれと考えたり

按配しないこと

それを『おのずから』と申すのです。

それが とりもなおさず
他力ということです」。

今日は 「他力を選択する」という
テーマでありますけども。

普通の暮らしの中で
「他力」という言葉は

あんまり評判のいい言葉じゃ
ございませんね。

学校のテストなんかでですね

あんまり勉強もせずに
適当にやりながら

結果だけは欲しくてですね
ちょっと神様にお願いするとか。

つまり他力本願っていうのは どうも

専ら他人をあてにする
ずるいとかですね。

なんか丸投げであるとか
そういうふうな意味で

あんまり いい意味には
使われておりません。

しかし それは この「他力」という言葉は
仏教の言葉なんですね。

仏教の言葉である「他力」が だんだんと
まあ いわば変質してですね

今のような使われ方に至った
ということだと思います。

「他力」という言葉はですね

中国にインドから仏教が入ってきた時に
その中国の人たちが工夫した言葉ですね。

今から およそ2, 500年前

ゴータマ・ブッダを開祖とし
インドで生まれた仏教。

世俗を離れて 出家し
修行を重ねることで

人間が苦しみから脱け出す
悟りを開こうとするものでした。

ブッダの死から
およそ500年が過ぎた紀元前後

その仏教の中から 出家者のみならず

人々があまねく救われる道を説く
新たな教え「大乗仏教」が興ってきます。

大乗とは「すべての人々が乗れる
大きな乗り物」という意味。

この教えは 中国に伝わり
発展してゆきました。

6世紀に活躍した中国の僧 曇鸞。

彼は 厳しい修行を重ねて
自力で悟りを得ようとする道ではなく

阿弥陀仏の本願の力
すなわち「他力」によって

誰もが悟りを手にできる道を示します。

これが やがて「歎異抄」でも説かれる
浄土仏教の礎となりました。

曇鸞という人は 6世紀の前半に
活躍をした高僧 偉いお坊さんで

親鸞の「鸞」というのは この曇鸞の
「鸞」から来てるわけですけれども。

その曇鸞さんはですね

当時の中国社会で普通に使われている
「他力」という言葉に注目をされて

ちょうど その
中国に入ってきた仏教の中で

阿弥陀仏を中心とする
新しい仏教ですね。

その新しい仏教を
仏教の中で位置づけるために

この「他力」とか「自力」とかいう言葉を
使われ始めたんですね。

ですから 「他力」という言葉は
この仏教では 当初から

阿弥陀仏の本願の力という意味を
鮮明に持っているわけです。

曇鸞が それまでの仏教を
全部「自力」というふうに一括して

新しい仏教を
阿弥陀仏の信仰に基づく仏教を

「他力」というふうに呼んだ
根本の理由はですね

すべての人が同じように

その仏教の実践ができるとは
限らないという

そういう問題があったわけですね。

で 私は「他力」の仏教が 誰のための仏教か
ということを考える時にですね

面白い現象に気が付いたんです。
というのは

日本に その浄土仏教を初めて
詳細に紹介したのは源信僧都であります。

で 源信僧都の「往生要集」
というものが

日本の浄土仏教の
原点みたいなものでありますけど

その源信さんはですね
自分のことを

「頑魯」というふうに言ってるんですね。

「頑」というのは
かたくなで 自分の考えを変えない

頑固のあの「頑」ですね。
「魯」というのは 愚かなという意味です。

で この源信さんというのは

比叡山の教団の中で 始まって以来
というぐらい優秀な人だったんです。

極めて優秀な人がね
自分のことを頑魯と こう言うんですよ。

それから更に200年後
この源信さんから200年後に

浄土宗というものを開かれた法然さん
法然上人もですね

比叡山の中では まれに見る秀才と
言われたわけですが

法然さんも自分のことを
何と呼んでいるかというと

愚癡の法然坊と こう言うんですよ。

愚癡っていうのは
「愚」っていうのは愚かですね。

「癡」っていうのも
愚かという意味の「癡」ですけれども。

そして 法然さんのお弟子になった
親鸞さんもですね

自分のことを 最後は愚禿と言うでしょ。

愚かにっていう字を書きますね。

そうするとね この浄土仏教を
選択をした大先達たちがね

皆 自分のことを愚かだと
言ってるというのは

これは重大な鍵だと思いますね。

まあ 変な言い方ですが

「阿呆が分かった賢い人たち」だと
私は思うんですね。

関西弁でいう「阿呆」つまり愚か。

自己の愚かさというものに気が付くのに

こんなに賢い人たちが
努力をしたっていうか。

それは何を意味してるかというと

愚かという人間のために
阿弥陀仏の本願はあると。

つまり 「他力」の仏教というのは

自分が愚かな存在だというふうに
認識した人にとって

意味のある仏教だということだと
思うんですね。

ですから
自分を愚かだと思うことができないと

「他力」の仏教は遠いことになると
思いますね。

私どもは やっぱり自分のものの考え方に
執着してますよ。

その自分のものの考え方を基準にして
いろいろ判断をしている。

そうすると お互いに自分の世界

自分は世界をこう見てるということで
つきあうわけですから

衝突するのは当たり前に
なってくると思いますね。

それが愚かということの
根本的な意味ですから

そうなると源信や法然上人や
親鸞さんたちと私たちと

ある意味では愚かさにおいては同じ
同じなんですね。

私たちは 真理というものが
何であるのかは なかなか分からない。

何が本当であるかは分からない。

問いを発することはできるけれども

その問いの答えを
見いだすことはできないという

そういう悲しい一面を
持ってるわけでありますけれども。

心の底には やっぱりどこかで
真理というものに近づきたいとか

本当でありたいという そういう気持ちが
どこかでやっぱり流れているんですね。

そういう願望に答える道として

「念仏」というものが
生まれてきているわけですね。

ですから 「他力」の仏教というのは
今 申し上げましたように

阿弥陀仏の本願力を
意味するわけですね。

この他なる力 他
自分と違う別の力。

これは 阿弥陀仏の本願の力のことである。

そうすると 「他力」の仏教を
選択するということのためには

今 申したように
己の中の愚かさの自覚というものが

どうしても必要になってくる。

浄土仏教の教えが息づく「歎異抄」。

「他力」という言葉は
その冒頭 序文に早くも現れます。

「他力の宗旨を乱ることなかれ」。

そこには 法然や親鸞が説く
「他力」の教えを ゆがめて解釈し

混乱させることがないようにと戒める

唯円の願いが込められています。

唯円は 更に第三条で

「他力」とは対照的な立場にある人のことを
「自力作善の人」と呼び

「他力」の意味を
伝えようとしています。

「自らの努力によって
善を積み行う人は

阿弥陀仏の本願を
たのむことがなく

したがって

阿弥陀仏の本願の
対象になる人ではないからです」。

法然から親鸞が学んだ「他力」の教え
というものを 更に唯円が聞いて

しかし 唯円の仲間たちが
その「他力」の宗旨 教え

「他力」の本来の意味というものを
誤解するようになってくると。

そのことについて
唯円が いろいろ心を痛めて

以下 「歎異抄」という形で

その問題を書き上げていく
ということでありますから。

「歎異抄」自体が
「他力の宗旨を乱ることなかれ」という

その一点で まとめられていると。

だから積極的に言えば
この「歎異抄」を読めばですね

「他力」の教えというのは
どういうことかということが

分かるように書かれているはずだと
思うんですね。

あの 第三条でも
「他力」という言葉が出てきて

その場合には
「自力作善」という言葉と対比して

「他力」という言葉が出てきたと
思いますけれども。

非常にこう今日 その「自力」ということ
自分の力で何かをしていくということが

非常に言われているような社会であると
思いますけれども。

また その点が一番 多くの人が
ちゅうちょするっていうか

引っ掛かるというか。

なぜ「自力作善」が駄目なのか。

自分で努力をするっていうことは
否定されるのかということについて

なかなか納得しがたいということが
出てくると思うんですが。

「自力」「他力」というのは
仏教という土俵の中の言葉ですね。

一般の世俗社会の中で

いつも他人に丸投げして
生きていきましょう なんてことを

主張しているわけじゃないわけです。

ですから「自力」「他力」
ここの第三条で言えば

「自力作善」の人は 戒律を守ると。

あるいは いろいろな
仏教で悪と言われてることはしないと。

ものの命を取らないとか
うそをつかないとか いろいろあります。

そういうことを いつも守り続けると
そういうことですね。

戒律を守るというのは大変なことですね。

座禅一つにしてもですね
その自分の精神を集中させて

自分の意識に
波が立たないようにするというのは

これは大変なことですよ。

ずっと そういう意味で 意識の集中に

エネルギーを注ぎ続けることが
できるかっていうと

それは なかなかできませんよ。

そういう自分の「自力」を尽くして
その「真理」に近づこうという

そういうことを試みて
いっぺん挫折しないと

阿弥陀仏の本願というものが
用意されてるということの

この意味が分からないと思うんですね。

いろんな行をして
どの行も自分は実践し 果せないという

そういう悲しみがあって初めて

阿弥陀仏の本願というものに
目が向いていくわけですね。

ですから 私たちが なぜ「他力」でないと
駄目なのかというのは

ひとえに自分がどういう存在であるのか。

つまり 行が実践できるかどうか
ということもさることながら

もうちょっと言うと 行が実践できない
理由を尋ねていくというやり方で

自分の本質を見ていくという そういう
プロセスが必要になると思うんですね。

そういう自分の中に自分でも分からない
闇を抱えているという

そういう不安定さというか。

そういうふうにして 自分の本質に
だんだん気が付いてくると。

そうすると
阿弥陀仏の本願という「他力」が

ぐっとこう近くなるということが
あるんじゃないでしょうか。

つまりその これは
言わずもがなかもしれませんけども

「他力」という言葉が 他人任せ
他人に任せるとかっていうことでは

全くないということですね。
そうですね。

仏教という宗教は
人間が未完成だっていうか

あらゆる因縁果というか

因と縁と果の流れの全体を見る
智慧がないと

そういう その思いから

阿弥陀仏の物語というのが
生まれてきてですね

この世で最高の智慧を手にすることが
難しかったら

死んでからあと 死後の世界に
それを設けてみようではないかと。

で 浄土という言葉はですね
あるいは極楽浄土という言葉は

世間では どういうふうに
言われてるかというと

相当その 快楽の場であるかのような
印象が流れておりますけど。

本来の仏教で 極楽とか浄土というのは
仏道修行の邪魔が一切ない場所

それが浄土 あるいは極楽なんですね。

この現世では
つまり肉体を持ってる間では

煩悩がいろいろ騒いでですね
なかなか その実現が難しい。

だから いっぺん その肉体を離れて
つまり死んだあとですね

その理想的な仏になるための環境が
整っている そういうところに行って

そこで仏になろうではないか
というふうになってきてですね。

浄土とか極楽というのは 仏になるための
最高の環境が整った場所と

そういう意味なんですね。

(鎌倉)え~ その先生がおっしゃっている
「仏」という言葉ですが

仏という読み方もございますよね。

それはね 仏教では
インドの言葉のブッダの音を

中国語で漢字に写すと
あの仏になったわけですね。

だからブッダというのは
覚者 悟った人です。

仏教の真理を体得した人
それが仏なんですね。

ところが 日本に入ってきますとね

「仏」という訓が生まれてくるんです。

で なぜ その死者を仏というように
なったのかということの

直接的な背景は なかなか難しいですが
1つは浄土仏教が広まっていく中で

念仏をしていた死者が浄土に生まれて
仏になるんだと。

だから死は仏になるということと
イコールだというふうなことが

だんだんと念仏をしない人にも
当てはめるようになって

死者を仏という一般的な言い方が
生まれてきたのかもしれませんね。

特に これは
親鸞が強調したことですけれども

仏になる 究極の悟りを手にするための
道が「念仏」なんですね。

だから念仏するたびに
仏になりつつあるわけです。

その仏は何のために存在するかといったら
人々を助けるためですね。

人々に慈悲を行使するために仏になる。

だからもっと言えば 浄土に行くのは
自分の快楽のためではなくって

あらゆる存在を救うためという
それが目標なんですね。

その肉体を捨てるまででもですね

仏になるための道を歩んでいる
ということの意味があると。

それが本願念仏の大事な点なんです。

あくまでも生きてる間に役に立つんです。

生きてる間に役に立たなくて
死んでからだったら

これはもうどうしようもないです。
生きてる間の仏教なんですから。

ただ その仏道の完成は
肉体を離れた時であるけれども

そこへ至る道筋を歩んでいる。

念仏の道は 仏道そのものであって…。

ですから その煩悩を持ったままで

つまり煩悩を 全部克服したうえで
というんじゃなくて

煩悩を持ったままで
つまり今の自分のありのままで

しかし 究極的な安心に至る道が
それが念仏というものなんだと。

ところが どうでしょうかね。

世間では お念仏される場合はですよ

大体 追善供養の場ではないですか。

死者の追善供養のために
お念仏がなされている。

なぜ 私どもが いつの間にか
死者のための追善供養に念仏をする

というふうなことに
なってきているのかというと

これは私の言う
自然宗教のなせるところですね。

自然宗教というのは

いつの間にか知らないうちに
身についている宗教意識であります。

その宗教意識というものは しばしば
年中行事の形を取っていたりですね

あるいは 例えば先祖供養であるとか
そういう形で伝わってきているんですね。

「自然宗教」とは
人々が地域や家庭において

いつの間にか自然と身につけてきた
宗教意識のこと。

教えを説く教祖が存在し

人々が その教義が示す道を
選び取って信仰する宗教

いわゆる「創唱宗教」とは異なる宗教心を
指します。

日本では 昔から 先祖を敬う
「祖霊信仰」が受け継がれてきました。

「念仏」も また
そうした自然宗教と結び付き

死者の鎮魂や慰霊のために
広く行われてきました。

「歎異抄」には 阿弥陀仏の本願に基づく
念仏とは異なる念仏が

人々の間に広まっていたことを示す
記述があります。

第五条。

そこに登場するのは

念仏が 亡くなった祖先の供養のための
ものではないと語る 親鸞の言葉です。

「私 親鸞は
父母の追善供養のためと思って

一度でも
念仏を申したことはありません。

そのわけは 一切の人々はすべて

輪廻の世界を流転する間に

父となり母となり
兄弟姉妹となってきたのであり

どなたであっても

次に浄土に生まれて
仏となったときに

救うことが
できるからです」。

第五条はですね

「親鸞は
父母の孝養のためとて」

つまり 父母の
追善供養のためにですね

「一返にても
念仏まうしたること
いまださふらはず」と。

こういう激しい
ある意味では

激しい言葉で
始まっていますね。

つまり 本願念仏は
父母の孝養のために念仏しないんです。

これを どういうふうに考えたら
いいのかですね。

我々は 親しい人が亡くなったら
親しい人についての思いを大事にすると。

それは 宗教を持っていようがいまいが

人間である限り
みんな大体 持つものですよ。

ですから ちょっと
宗教のような気がするけれども

私は人情だと 美しい人情だと
言っていいと思いますね。

その亡くなった方のことをいろいろ思って
手をあわしたりされるのを

別にそれは不思議なことじゃないです。

日本には ある時期からですね

人は死ぬとですね 33年間

その子孫から
供養を おまつりを受けてですね

33年たつと
ようやく その死の穢れが拭われて

「ご先祖」という清らかな

しかも個性を失った
その村全体の清らかな魂になると。

先祖になると。
こういうふうな考え方がありまして。

そのご先祖は 時には
地域の神様になったりですね

あるいは また孫子になって
生まれ変わってくるとか

いうふうにも言われていました。

ですから こういう
日本の自然宗教が生み出した

人間は死んだら ご先祖になるんだという
そういう道と

浄土仏教が教えた「人はその念仏によって
死後 仏になるんだ」というものが

微妙に一つに まじわり合って
人々の中で受け止められてきていると。

ですから 死者のために念仏をする
というのは

念仏は 確かに
仏教の言葉であるけれども

その死者にたむけて念仏をする
ということは

これは仏教ではなくて自然宗教の
しからしむるところなんですね。

そういうところから宗教というのは

どうも死者の世話をすることだとかですね
いうふうなことに どうもなりがちで

死者の世話をすることは宗教行為だと。

生きている その自分を問うという
そういう契機が

どうも薄くなっているように
思うんですね。

で 私は大事なことはですね

親鸞が その両親のために
いっぺんも念仏をしなかったと

その理由が
そのあとに書いてあるんですね。

これはあの 大きな考え方だと思いますね。

自分は そういう追善供養のために
いっぺんも念仏しないと。

それは一見 冷たそうに見えるけれども

実は「一切の有情はみなもて
世々生々の父母兄弟」だという

そういう なんか大きな生命の流れの中で
見ているわけですね。

私どもは一回だけ人間として生まれてきて
もう死ねば無になるという

そういうことではなくて
インド以来 仏教徒たちはですね

長い長い その時間軸と空間軸の中で
この大きな生命の流れがあって。

そういう大きなつながりの輪の中では

すべて 生まれ 死に
生まれ 死にしてきている人は

どこかで 父や母の
関係になっているのではないかと。

ということは 特定の
今の父母だけが父母だというのは

ちょっとやっぱり
視野が狭すぎるんではないか。

つまり命あるものは
長いスパンで見ると 父母兄弟になると。

その父母兄弟のために
どうこうということではなくて

その世々生々の父母兄弟が 全部 仏になる
ということが大事なことであって。

肉親の追善供養を熱心にするというのは

やっぱり
その人の身内の問題じゃないですか。

そこからヒューマニズム全体にまで
広がるような

この可能性があるかですね。

ですから 父母の その孝養のために
念仏をしないというのは

一見 我々の常識を逆なでするような
言い方だけれども

逆に我々の常識が持ってる危うさ
ということを教えていると思うんですね。

ですから 本願念仏をえらびますとね

1つは その死者の鎮魂慰霊のため
死者の追善供養のために

普通は お念仏というのは
使われているんだなということは

以前よりも はっきりするように
なってくる。 それが1つです。

それから2つ目はですね
同じ念仏であっても

滅罪の念仏 滅罪を目指す念仏がある
ということにも気が付く。

これは 第十四条を見るとですね
「歎異抄」の第十四条を見ると

それは非常に面白い形で
表現されています。

「念仏を一回称えるだけで

未来に久しく受けなければならない

苦しみの原因となる重罪を

消滅させることができると信ずべきだ

という考え方があります。

この考え方は 滅罪の効能を信じて
念仏するという立場です。

念仏者たちも
殺生をはじめとする十悪や

父を殺すなど
五逆と呼ばれる罪を犯した人は

日頃 念仏をすることはなくとも

臨終に際して 初めて先達に出遭い

その教えにしたがって
一回の念仏をするだけで

『八十億劫』の罪を滅し

十回念仏すれば その十倍の罪を滅して
往生ができる と言っています。

これは とても私たちが信じる念仏には
及びません」。

「念仏をするたびに
罪が滅ぶであろうと信じること自体

すでに自分の力で わが罪を消して

浄土に生まれようと
つとめることではありませんか。

阿弥陀仏の
摂取不捨の誓願を
たのむ身となれば

どのような
不思議なことが生じて
罪業を犯し

念仏を申さずに
死んでしまうことに
なっても

たちまちに
浄土へ生まれることが
できるのです」。

一声の念仏で 極めて重い罪が滅ぶんだと
こういう受け止め方ですね。

こういう滅罪を目指す念仏というものには
いくつか問題がある。

1つはですね 罪を滅ぼす 滅する
ゼロにするということですね。

これはですね 罪というのは
自分と別個にあるということを

前提にしているような考え方ですね。

自分に罪がたくさんついていて
その罪をこの滅ぼすことができると。

ですから その自分にくっついた罪を
全部滅ぼして ゼロにしてしまうと

自分は本来 清浄
清らかな存在だというふうなことが

恐らく背景にあるんだと思いますね。

しかし 本願念仏ではですね
私から罪悪を取り除くなんてことは

考えようがないというのが
本願念仏の立場なんですね。

私が煩悩であって
大事なことは その煩悩の私が

そのままで摂取不捨されるというのが
本願念仏の教えなわけですね。

それから もう一つ
滅罪の念仏の問題というのは

犯した罪をあがなうというんだけども
そういうこと 本当にできるのかと。

あたかも わが身の罪悪のすべてが
もう分かっていてですね

それを一つ一つ消去できるという
思い込みが

どうも こういう滅罪の念仏に
あるんではないか。

私たちは 自分の
この罪悪のすべてなんかを

知る智慧なんか
どこにもなくてですね

自分の心の奥底に深い闇を持っていると。

それが その本願念仏の人間認識ですね。

お念仏をすることによって

自分が清らかな存在になるんだと
思う人もいるかもしれない。

しかし 自分は自分の力で

自分の罪を滅ぼすなんてことは
ありえない。

自分が罪そのものなんだから。

ですから 私は そういう念仏に
滅罪の利益を認めるという考え方は

要するに念仏を手段視してるわけですね。

自分の利害を解決するための手段に
念仏を使うと。

これは本願念仏とは
真っ向から やっぱり違ってくる。

やはり念仏は手段ではない
っていうお話が

非常に本質的なとこなのかな
というふうに思いまして。

私たち
無宗教的な宗教意識から見ると

何か念仏を称えるであるとか
神様にお祈りをする

仏様にお祈りをするというような。

何か お祈りをしたら
お返しがあるというか

何か利益があるというふうに思って

神仏に祈っていたなということを
自覚させられまして。

無私の祈りってよく言われるけれども
私を無くした祈りですね。

そういう祈りは
確かに美しいけれども

多くの場合 私たちはやっぱり
ギブアンドテイクで

お祈りをしたら 何かお返しがあるんじゃ
ないかという そういう期待がある。

つまり神仏に これだけお願いをしたと。

こういうお返しがあって
しかるべきではないかと

いうふうに どうもなりがち。

しかし それで安心感が得られるのか
どうかということから見るとですね

生涯そういうことを
繰り返していかざるをえない。

つまり手段としての念仏は

その本人の自我の要求を
クリアにはするかもしれないけれども

自分の業の報いへの その苦しい面と

真正面から向かう力を
与えるかどうかとなると

ちょっと よう分かりませんね そこは。

ですから 何か宗教を信ずると
幸福になれるというのは うそであって

不幸も見えてくるというのが宗教ですよ。

幸福と不幸を対等に見ることが
できるようになるということは

宗教の一番大きい功徳ですね。

そういう ある意味では 現実の客観化と
言っていいと思いますけれども

そういう現実の客観化が 前よりは進むと。

そこに余裕とか判断のゆとり
というものが生じてきて

それがまあ「他力」を選択した結果
生まれてくる

安心と言って
いいように思いますけれども。

阿弥陀仏の本願に基づく念仏を
えらんだ人々は

互いに どのような関係を結ぶのか。

そのことを示しているのが
「歎異抄」第六条です。

「専修念仏の同朋方が
自分の弟子だ 人の弟子だと

言い争っているようですが
思いもよらない事態であります。

親鸞には 弟子というべき人は
一人もおりません」。

「そのわけは
自分の力によって

人に念仏させることが
できるとしたら

その人を
弟子と呼ぶことも
できるでしょう。

しかし専修念仏に
おいては

人は もっぱら

阿弥陀仏の
御うながしを

こうむることに
よって

念仏するので
ありますから

その人を
わが弟子と
いうことは

まことに尊大な
言い分と

いわねば
なりません」。

「親鸞は 弟子一人ももたず
さふらふ」と。

「私には弟子という人は
お一人もいらっしゃいません」と

こういうふうに
はっきり言ってるわけですね。

これはですね 「他力」の選択で
一番はっきりする

その 何ていうのか
宗教的指導者の在り方の問題ですね。

なぜ 親鸞がですね

「弟子一人ももたない」と
こういうふうに言ったのか。

親鸞の この手紙の中に残っている
門弟と考えられる人は

39人ほどいらっしゃって
その39人のそれぞれに

100人近い また信者がいて
だから親鸞には間接的には

4, 000人か5, 000人かの
信者がいらしたんでしょう。

その門弟たちに対して 自分は
自分にとっては弟子は一人もいないと

こういうふうに はっきり言ったと。

その理由として 親鸞が
この「歎異抄」の中で挙げているのは

その信心というのは
如来よりたまわるものであると。

だから その信心は
私があなたに与えたんではなくて

如来から あなたが
たまわられたものだと。

私も如来からたまわったし
あなたも如来からたまわれたんだと。

これは 「歎異抄」の結びのほうの中で

親鸞が若い時のことを思い出して話した…
例として出ていますね。

法然上人のもとにあった時に 親鸞が

「私の信心と法然上人の信心は
同じです」と こう言ったら

他の高弟たちが ひどく反対をしたと。

その時に その法然上人が
「自分の信心も親鸞の信心も同じだ」と。

理由は「いずれも信心は如来より
たまわったものだ」というふうに

法然上人 お答えになっている。

私は 「信心は如来よりたまわる」
というのは

とても美しい よく分かるように
一見思います。

しかし どうですか
どうして たまわるんですか?

お一人お一人 如来からたまわる。
どうするんですか?

空中に向かってると
口の中に入ってくるんですか?

そうじゃなくて 信心は如来より
念仏によってたまわるんですよ。

念仏によるというのは
一番大事な行為ですね。

念仏によって
如来の心が我々に伝わってくる。

つまり称名。 称名によって…。

つまり称名をするということは
阿弥陀仏が私の中ではたらくことですね。

私の中ではたらくということは

私の中に阿弥陀のまことの心は伝わる
ということです。

だから私の中に
まことの心 信心というものは

存在するようになるんです。

で そうなると 「親鸞は
弟子一人ももたずさふらふ」というのは

当たり前のことになりますね。

しかし 多くの宗教集団ではですね

その宗教の指導者という者が
絶対的な力を持っていて

その指導者から何らかの形で
この教えというものを伝えられることで

その人が信心を持つようになると

そういう考え方になりがちだと
思うんですね。

だから 大事なことは

名号は阿弥陀仏がつくって
我々に与えたものだという

この一点を
はっきりさせることですね。

これが揺らぐと
「わが弟子 人の弟子」という

こういう争論が起こってくる。

しかも やっかいなことに
この「歎異抄」の…

「歎異抄」で この第六条が
記されるようになった背景には

いわゆる「善鸞事件」というのが
どうも関係しているように思うんですね。

善鸞とは 親鸞の息子のこと。

彼は 自らを

「慈信房善鸞」と
名乗りました。

関東での布教を終えた親鸞は
60代で京都に戻りますが

残された門弟たちの間で 教えを巡って
さまざまな誤解が生じました。

その誤解を正すため
親鸞が関東に派遣したのが

自分の息子である善鸞でした。

ところが善鸞は
「自分は親鸞の息子だから

他の門弟たちが教えられなかったことを

夜中に ただ一人
教えてもらった」
などと

吹聴して回る
ようになります。

親鸞は

「念仏者を惑わし
うそをつくとは

悲しいこと」と嘆く
書状をしたため

親子の縁を切る
「義絶」を

言い渡しました。

ある時期 この慈信がですね

北関東の門弟たちのところへ
姿を現すんですね。

そして何を言いだしたかというと

自分は親鸞の子だということを
もちろん言いますよ。

で 京都でですね 親鸞から夜中に

ひそかに特別の教えを
自分は授かっているんだと

こういうことを言いだす。

それから その北関東の
親鸞の門弟たちの集団というか

集まりを率いている有力な人たちを

鎌倉幕府に
何らかの口実をつけて訴えてですね

その指導者の地位から引きずり下ろそう
というようなこともやっていると。

そういうことは全部
親鸞のほうに伝わってくるんですね。

そこで親鸞は
この もう親子の縁を切ると

慈信は自分の子供ではありませんと

それを門弟たちにも
同じく手紙で知らせてですね

いわゆる 善鸞と絶縁をする
ということが起こった。

これは 親鸞84歳の頃だと
言われておりますけど。

で こういうことがあってですね
ますます関東の念仏者たちの間で

誰がリーダーになるか
あの人は誰の弟子であるのか

といったようなことが
一段と問題になっていたということが

恐らく この背景に考えられるんだと
思いますね。

ですから 「親鸞は 弟子一人ももたず
さふらふ」というのは

これは 本願念仏に対する
あつい確信がないと

なかなか言えないことですし

また弟子に見える人もですね

「いや 親鸞上人は
自分にとっては大事な人だけど

あの方は先生ではありません」と
言い切れるかどうかですね。

しかし 面白いことにですね
「歎異抄」全体で

そういう親鸞は「弟子一人ももたず
さふらふ」と言いながら

「よき人」は大事だと こう言ってんですよ。

で 親鸞自身もですね 自分にとっては
法然上人が「よき人」であると。

法然上人のおかげで
自分は本願念仏を手にできたんだと。

「よき人」は大事だということを
繰り返し 繰り返し 言うんですね。

で それと弟子は
「親鸞は 弟子一人ももたずさふらふ」と

どうなってるんだと。

私は そんな難しいことじゃないと
思うんですね。

「よき人」というのはですね

求める人が 「よき人」であるかどうかを
決めるんですよ。

求める立場から決めていく。

初めから「よき人」は
決まってるんじゃないんですよ。

自分の求める気持ちに ぴたっと応じた
教えを説明してくれた人が

その人にとっては「よき人」なんですね。

だから 「よき人」は
求める人で違うと思います。

ところが
多くの宗教集団における指導者は

最初から「よき人」として
もう君臨してるわけですね。

そういう この宗教集団の
指導者の在り方を

難しい言葉で 「カリスマ」
というような言葉で言いますけれども。

本願念仏においては
カリスマは成立しないんです。

「よき人」は存在する。

しかし それは求める人が
決めることであって

「よき人」は 最初から
君臨するわけではないんですね。

特にね この

「親鸞は 弟子一人ももたずさふらふ」
という言葉の重さが感じられるのは

やはり日本ではですね

霊力があると信じられた人に対する
信頼が 絶大なんですね。

ですから
神に等しい霊力を持つ指導者と

その人に その人の教えに つき従う

まあ いわば羊のごとき
おとなしき信者の群れ。

この二極分化が非常に激しいんですね。

あの 今 先生が
おっしゃいました中に

「よき人」という表現ございました。

親鸞聖人が 私が選んで
法然さんが「よき人」で

この人の言うことを 私は聞いて

今こうなってるんですよ
っていうふうに言ってましたが

そういう関係であっても問答っていうのは
非常に重要であるということですか?

それはあの… これは

大事な問答というのは
やっぱり徹底的になされるんですよね。

この親鸞という人は 法然上人のもとを
訪ねるまでに 100日かかってます。

法然上人のもとへ訪ねて
やっぱり100日かかってるんです。

それで初めて門弟になるんですね。

ですから 法然上人に対しては

恐らくもう ありとあらゆることを
聞いたんだと思いますね。

そこには 何の遠慮もなく。

そうでなかったら 心底の納得というのは
起こらないと思います。

だから その法然上人の人格に対する
この敬意の念ということと

親鸞が知りたいと思う気持ちとは
それは両立すると思いますね。

やっぱり親鸞は 自分の持ってる問題を
全部ぶつける その過程の中で

自分に目覚めてきて その中で初めて

本願念仏の意味が了解できるようになった
ということだと思いますね。

問答で大事なのは 問う人間なんですよね。

問う人間が
どんな答えをもらうにせよですね

本人が 徐々に徐々に気付いていく
ということだと思いますね。

何か答えを待ってるという姿勢では
宗教的な疑義というのは解決しませんよ。

それは なんか 霊力ある人の言うことを
聞いて それで満足するという

そちらのほうへ行ってしまいますね。

大事なことは やっぱり
自分の疑問が解けるまでは

徹底して やっぱり
聞くということでしょう。

聞く過程で
自分が目覚めていくわけですね。

だから仏教では 広く仏教では やっぱり
「聞く」ということはとても大事にされる。

「聞く」っていうのは
自分が目覚めていくことなんですよね。

今 先生のお話 聞いてまして
思いましたのは やはり その

阿弥陀仏の本願っていいますか
阿弥陀仏っていうものの本願の前では

罪の軽重であったりですね
あるいは その

賢かったり 愚かであったりっていう
そういう差ではなくて

全部その前では平等だって
認識っていうのが

非常に強く はたらいているというふうに
考えてよろしいでしょうか。

そのとおりだと思います。 ですから

人間の平等というのはむしろ人権の段階で
言うこともできますけれども

やはり宗教的原理に根ざすということは
一番大事なことだと思いますね。

やっぱり お互いが この同朋であって

その特別の霊力ある指導者
なんていう発想は 絶対起こりえない。

お互い平等で。

平等であるということは
お互いに大事な問題を

お互いが議論して解決していかなくては
ならんということですね。

誰かに解決して… 解決を期待する
ということは ありえなくて

やっぱり自分のない智慧を絞ってでも

一緒に仲間と共に問題を解決していくと
そういう姿勢が大事なんだけど

実は それが日本の社会で
一番欠けてるんですよ。

(池座)今回やっぱり あの 私も その
無宗教的な宗教意識の中で生きてきて

その 自然宗教が 地域共同体を
維持するための ある種の装置で

それは日本人は ある種 非常に
大切にしてきたと思うんですけれども

そういう こう 自然宗教だったり
地域共同体が 非常にもう

ここ何十年かにわたって
崩れ続けていっているという

そういう現実は 先生
どんなふうにお感じになってるかと…。

私は 自然宗教の中でも もう

自然宗教の全体の その構図が
崩れてきた現代ですね。

その自然宗教の まあ
遺産である言葉だけを使って

自分の死生観を組み立てる
ということは やはりもう

力がやっぱり なくなっていくんじゃ
ないかという気がしますね。

要するに地域共同体というものが
存続しうる条件があって

自然宗教が成立すると。

一つの共同体の中で 人々が
お互いに思いやりを持って

助け合いながら生きていこうという

そういう一つの仕組みの
一つの部品として

「先祖」という観念が
あったんだと思いますね。

今 多くの場合
自分の死後 自分の肉親が

自分の追善供養をしてくれる人が
どれだけいますか。

多くの人は それぞれ ばらばらの人生を
歩んでいるじゃありませんか。

それで ましてや自分の子孫がですね

自分を供養してくれるというふうな
保証は どこにもないですね。

ましてや 子供のいない人たちは
どうしたらいいんですかと。

しかも住む場所も これだけ
人の移動の激しい場所はもうなくて

ふるさとは それこそ遠くにありて
思うしかないわけでしょう。

外国からも日本に来てる。
日本からも外国に行くと。

そういう激しい移動の時代にですね

その ある一定の地域の安定を前提にした
自然宗教というのは

もう成立しないですよ。

だから自然宗教では もう安心は
得られない時代だと言ってもいいと思う。

だからこそ というと妙ですが

創唱宗教の検討ということは
必要になってくる。

しかし 創唱宗教自体も
大きな変化を受けてきている。

ですから 僕たちが それぞれ自分の本当の
心のよりどころを探そうとするには

本当 簡単なことじゃありませんよ。
大変な苦しみの時代だと思いますね。

今の日本社会 世界中から言ったら

この近代化と呼ばれて もう久しくなった
そういう社会が

次の社会に生まれ変わっていくために
どれだけの時間が かかるかですね。

その時の支えが何であるのか。

少なくとも私は 紀元前後ぐらいに
生まれた大乗仏教というのは

そういう時代を見越して
つくられているから

大乗仏教の最も核になる部分を
手にしながら

次の時代をつくって
次の新しい宗教思想を生み出していくと。

そういう なんか
長いスパンで考えていかないと。

だから まあ 私で言えば

13世紀の法然 親鸞の仏教の
最も中核的な部分を握ったうえで

次の世代を期待すると。

その創唱宗教の本質的な部分を
握ってですね

新しい社会をつくっていく

種まきの仕事をしていくと
言うしかないんじゃないか

というふうに思いますね。

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