出典:EPGの番組情報
歴史探偵「元寇(げんこう)モンゴル帝国の秘密」[解][字]
鎌倉時代、日本に攻めてきたモンゴル帝国。勝敗を分けたものは何だったのか?馬の輸送や船酔いなど、予期せぬ事態が次々とモンゴル軍を襲っていたことが明らかに!
番組内容
世界最強と言われたモンゴル帝国の騎馬隊。しかしその原動力となる馬たちにとって、船旅は初めての経験。今回、JRAの協力のもと馬の輸送を徹底検証。浮かび上がってきたのはモンゴル軍が直面していた予想外の事態!さらに、日本侵攻に使われたの船の揺れも検証。モンゴル軍の船には激しい船酔いを引き起こす致命的な欠陥があることがあきらかに!これまでほとんど語られてこなかったモンゴル軍の目線で元寇をひもといていく。
出演者
【司会】佐藤二朗,渡邊佐和子,【解説】多摩大学客員教授・歴史研究家…河合敦,【リポーター】山田大樹ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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- 世界最強
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- 輸送
- 元寇
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(いななき)
お~ もう嫌がってる 嫌がってる。
嫌がる馬たち。
船の上の 所長二朗も大きく揺れてる!
あ~っと!
くるくると…
今宵 さまざまな実験を
通して
あなたの歴史の常識が
覆るかもしれません。
(ドラの音)
モンゴル帝国が2度にわたって
日本へと攻めてきた…
当時 世界最強とも言われた
モンゴル軍の実態を徹底調査!
浮かび上がってきたのは…。
モンゴル軍の切り札
「馬」が抱えていた…
はい どうぞ。
よいしょ。
どうでしょうか?
あのですね…。
更に 近年 海底から発見された
謎の物体にも注目!
そこには モンゴル帝国の
真の目的が秘められていた!?
「歴史探偵」 調査開始です。
♬~
さあ 副所長。
はい。
今日は 鎌倉時代に起こった
大事件ですね。
そうなんですよ。
所長は この元寇
どんなイメージありますか?
やっぱりですね 「神風」ですね。
モンゴル軍の圧倒的な強さに
鎌倉武士が奔走される中
奇跡的に 暴風雨が起きたっていう
もう ほんとに
この神風のイメージに尽きるなあ 元寇は。
そうですよねえ 気象条件といいますかね
それに救われたっていう。
オラクシャー!
オラクシャー!
ちょっ… 山… 山田探偵。
オラクシャー!
山田探偵。 あの~ どうした?
どうしたんだ 山田探偵。
オラクシャー!
いや その あの~… フフフッ。
あの~ ごめんごめん。
あの その格好は 何だい?
これはですね…
そうですか。
強そうでしょ? どうですか?
まあ… 強そうではない。
強そうではない。
あの 鎧は強そう。 あっ そうですか。
ただ やっぱり
山田探偵の 少し貧相な感じが
その鎧の強さを
ちょっと相殺させてるという。
で 元寇と言えばね
これまで おっしゃったように 神風。
神風が勝敗を分けた なんてね
言われていましたけども
でもですね 今回 モンゴル兵について
モンゴル軍について
徹底調査しましたところ…
うん おっ!
意外な事実が 分かったんです!
これね 100回ぐらい
練習したらしいよ これ ほんとに。
あ ロケでも この格好なの? 山田アナ。
所長 所長。
何だよ。
私の後ろ見て下さい。
ゲルが たくさんありますよね。
モンゴルっていう感じですよね。
今回 私ですね
この新米モンゴル兵にふんしまして
なんと…
あ ここでもやってる。
弱そうだね しかし。
へっぴり腰も
いいとこだね。
で その調査の結果
モンゴル軍が なぜ 世界最強だったか
ということが 分かってきたんですよ。
で ちなみに所長
なぜだか 分かりますか?
世界に誇る騎馬隊だろ?
騎馬隊。
違うのか?
うん…。 うん。 何?
はいはい お~。
騎馬隊 騎馬隊。
そんな長く
しゃべってないよ。
終わってんだ もう。
答えはこちらです!
何だい?
やっぱりな 乗ってないとは
思ったんだよね 今ね。
ヒヒヒーン!
遊牧民である モンゴルの人たちにとって
馬は 生活に欠かせない存在。
幼い頃から 馬を乗りこなすための
高度な技術を身につけます。
まさに 人馬一体!
こうして編成された
騎馬隊は
圧倒的な機動力で
向かうところ敵なし!
13世紀に入ると
モンゴルは
みるみると
領土を拡大し
50年ほどで
ユーラシア大陸の大半を席巻します。
そのモンゴルが
次の標的に定めたのが 日本でした。
1274年 およそ4万とも言われる大軍で
博多湾へと攻め入ったのです。
当時の様子が分かる資料があると聞き
九州大学に向かいました。
おお!
お待たせしました。
出てきましたね。
こちらは 実際に…
当時の戦いの様子が
絵で分かる資料は これだけ。
とっても貴重なものなんです。
あ~! 馬が…
(兵藤)はい。 モンゴル軍から
弓矢を こう射られてですね
馬も 弓が刺さっている状態。
描かれていたのは
日本の騎馬武者が
今にも 討ち取られそうになっている場面。
やはり 世界最強のモンゴル軍を前に
なすすべがなかったのか…
と思いきや…。
(兵藤)ええ 良いところに
お気付きだと思います。
結構な数が モンゴル兵の方に向かって
飛んでますよ。
で 一部 刺さってますよ。
(兵藤)そうですね。
これも刺さってます。
(兵藤)はい 刺さってますね。
へえ~。
(兵藤)後ろの方は 逆に撃たれて
モンゴル兵が逃げてますね。
ほんとだ。
じゃあ 結構 日本側も
攻めてるというシーンなんでしょうか?
武士団の攻撃によって
大きな被害を出した
モンゴル軍は
なんと 戦い始めた
その日のうちに
撤退を余儀なくされたといいます。
向かうところ敵なしのはずの
モンゴル軍が
一体…
あれ? これ
ちょっと これはおかしいですよね。
あの 世界最強の騎馬隊って言われてる
モンゴル兵にしては…
(兵藤)はい。
ここのモンゴル兵は
一切 馬 乗ってないですよね?
そうだよね さっきも思ったんだよね。
馬に乗ってないんでさ。
絵巻に描かれたモンゴル兵は 歩兵ばかり。
世界最強の騎馬隊が戦った形跡が
どこにも見当たりません。
でも モンゴル軍は
確かに馬を連れてきていました。
日本側に
捕らえられた
モンゴル兵の
証言によれば
軍船1隻につき
5頭の馬を
積んできたとあります。
モンゴルの軍船は 全部で300隻。
つまり 最大で
1, 500頭もの馬がいたはずです。
なぜ モンゴル軍は
騎馬隊を 戦闘に参加させなかったのか?
実は 馬を使いたくても使えない
ある深刻なトラブルを抱えていた
可能性があるんです。
それを解き明かすには
まずは 馬について
知らなければなりません。
そこで向かったのは 北海道の日高地区。
さあ 見えてきました 見えてきました。
1周1, 600mを走っている 馬の集団が
見えてきました 見えてきました。
さっそうと走っています。
たてがみも美しい
そして 騎手の皆さんも美しい。
前を走り抜けていきます。
日高の大自然の中を走っています。
日高地区は 日本の…
600を超える牧場で…
今回は JRAの日高育成牧場に
協力をお願いしました。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
「歴史探偵」の
探偵の山田といいます。
日高育成牧場 副場長の頃末です。
案内してくれるのは…
馬を乗りこなすのはもちろん
獣医学にも精通。
馬の生態を知り尽くしています。
(頃末)じゃ 入りま~す。
ちょうどですね 今
ウォーミングアップをしてますので。
近くで見ると大きいですね 馬。
(頃末)そうですね。
450kg!
もう ほんと
最終の調整という感じになりますね。
で 実はですね この馬たち…
今日は…
あ えっ 単に 車に乗せて
運ぶだけじゃないんですか?
じゃないんですよね。
実は 馬の輸送は
とても難しく…
そのことが モンゴル軍に
大きな影響を及ぼした
可能性があるといいます。
そこで 輸送の2週間前に
必ず行うという
ある訓練を見せてもらうことに。
(頃末)これ 「馬運車」と言ってですね…
訓練の内容は
馬を一頭ずつ
馬運車に乗せるだけ なんですが…。
乗らないか。
そう。 乗らないんですよ。
なんと ほとんどの馬が
乗りたがりません。
止まるんですよね 1回。
何だろう。
いや ほんとだね ほんとだね。
おわ~ もう嫌がってる 嫌がってる。
いやいやいや これ一苦労だ。
もう 相当 嫌がってます。
馬は とても繊細な生き物。
初めての場所や環境に
激しい不安や
恐怖感を抱くんだそうです。
この日は 30頭の馬を乗せるのに
なんと 2時間近くも
かかっていました。
広大な中国大陸を駆け回る
モンゴル軍の馬にとって
海での航海は不安だらけ。
船に乗せるだけでも
かなりの苦労があったに
違いありません。
更に 乗せたあとの輸送は
もっともっと大変なんだそう。
そこで 輸送中の馬の様子も
特別に見せてもらうことにしました。
おお~!
(頃末)入ってきましたねえ。
入ってきましたねえ 大きい! 大きい!
今 あの 実は…
心拍計?
ストレスを
感じれば感じるほど
心拍数は
上昇していきます。
一体 どんな変化が見られるのか
調査開始です。
出発した時 ちょっと揺れますね。
今 67…
あっ 70 上がりましたね。
(頃末)あっ 上がってきました?
少し上がりました。
あ また 少し上がりましたね。
あっ 80台。 81 いきましたね。
うわ~ 倍じゃん!
一気に上がりましたね。
若干 コーナーとか
揺れますんで
やっぱ 左右の揺れというのが
馬は ちょっとストレスになりますね。
なんと 出発と同時に
心拍数は
みるみる上昇し
あっという間に
平常時の倍近くに到達。
その後も カーブや
ブレーキなどの揺れに
強い反応を示しているのが
分かります。
これ 大変じゃん お馬さん運ぶの。
そして…。
あっ 今ね 見て下さい。
109まで… 111 112…。
(いななき)
お~。
(頃末)不安な あの 鳴き声も表してます。
馬にとって大きな負担となる…
このことが
深刻なトラブルを
引き起こすといいます。
実はですね…
うわ~。
あ そうなんですか?
例えば 馬を10頭 輸送した場合。
18時間を超える頃には 1頭が発熱。
更に 20時間を過ぎると発熱率は上昇し
24時間過ぎには 3頭が発熱。
内1頭は高熱になり
時には 肺炎を合併して
死に至ることも
あるんだそうです。
いや~。
そこで重要になってくるのが
輸送中の休憩です。
現在は 3時間を目安に車を止め
馬が リラックスできる時間を
確保しているといいます。
一方 モンゴル軍は
実に 17日もかけて
朝鮮半島から 博多湾へ
やって来ました。
船での輸送は トラックよりも
はるかに揺れが大きく
馬への影響は
計り知れません。
ということは
モンゴル軍が 馬を運んできた時には…。
もしかしたら その馬の中には
残念ながら 死んでしまっていた
馬とかもいるかもしれない。
(頃末)そうですね。
間違いなく それは言えると思いますね。
そうですか。
「馬」という
最強の切り札を失ったまま
戦わざるをえなかった モンゴル軍。
勝敗の行方は 始まる前に
既に決していたのかもしれません。
いやいや いやいや
これは でもさ
ほんとに 何かちょっと
驚きの新発見といいますか
ねえ 先生 相当 馬
もう みんな 具合悪くなりますよね。
うん そうですね。
こんなに 馬って ストレスにね
弱いと思いもしなかったですね。
で 2回 モンゴル軍が
襲撃してきたわけで
最初が 「文永の役」
次が 「弘安の役」というんですけど…
習った。 はい 習いましたよ。
ところがですね 僕が教員になって
もう 最後の方にですね
最初の 文永の役が
教科書によって
書かれてることが バラバラで
どうもですね…
おやおや。 神風 起きなかった。
文永の時には。
はい。 ほんとに 学者によって
いろんな説があって
例えば 内部分裂を
モンゴル軍がしたとか
士気が低かったとか
ただ 何か この
今日ね 紹介された説を見ると…。
すごい信憑性があるような気が
しますよね。
当時のモンゴル軍というのは
朝鮮半島を治めていた 高麗の兵なども
含めた連合軍でしたので
全てが モンゴル兵というわけでは
ないんですけども
とはいえ やはり
馬がいなくなるということを考えると
大打撃だったことは間違いないなと。
本当に モンゴルって
遊牧生活からくる 最強の騎馬隊
っていうイメージがあるから
その馬が
今みたいなことになっちゃうと
それはもう 大打撃どころか
ほんとに 今のVでも言ってたけど
戦う前から もう雌雄決してたような。
ほんとですねえ。
その モンゴルの騎馬隊なんですけども
そもそも 世界最強と
言われてきたわけですよね。
じゃ その強さのヒミツは
どこにあったのか
それを知るためにですね
あるものを 今日は
用意いたしました。
何だい?
何ですか?
ごめんなさい 私 正直言って
グランドピアノが… って
思ってしまいますが。
確かに そうも見えますけども。
大きさ的に。
外しましょう。 じゃあ せ~の!
どうぞ。
お~!
注目して頂きたいのは…。
鞍ですか?
鞍です そうです。
実際に これは モンゴルの遊牧民が
使っているものなんですけども。
あっ そうなんですね 本物の。
ここに 騎馬隊が強かった理由を知る
ヒントがありますので。
また 乗れって
言うんじゃないでしょうね。 断ります。
乗ってみて下さい。 断らないで下さい。
そうですか。
よいしょ。
あっ いい感じです。
おっ いいですね 乗れましたね?
お~ 乗れた!
いや 高いね。
ごめん 「高いね」って
子供のような感想だったけど
ごめん そういうことじゃない?
何? どうすんの?
実は 動きますので。
怖いの 駄目だぜ 俺。
ほんと大丈夫? じゃ いくぜ?
よいしょ。
(電源を入れる音)
どうでしょうか?
あのですね あの…
一応… あの… あのあの…
ごめん しゃべれないんで止めたけども
あの 非常にね あの すごいもう
あの… あれで あの…。
揺れますね。
前後のね このね
ここの幅が狭くてですね
正直 ちょっと
言いづらいですけど
男性としては
ちょっと いろいろ きついですね。
ああ なるほど。
なので ちょっと その…
河合先生 分かるでしょ? 河合先生。
分かります。
ちょっと 男性として…。
その痛さは よく分かります はい。
実はですね…
あっ 座らない 鞍に。
座らないんです。
なるほど。 ちょっと立ってみようかな。
そっと。
どうでしょう?
あっ でもね 何かね
多分 立つとね 足に力が入るじゃない?
だからね ぐっと
あぶみを押しつけるような形になってね
逆に安定するっていう感じは ありますね。
で 所長 なぜ モンゴルでは
じゃあ このように立ち乗りになったのか。
そうだねえ。
まずは こちら ご覧下さい。
これ 「モウコノウマ」と呼ばれる
モンゴルの在来馬ですね。
かわいいですよね。
ちょっと 目がつぶらで
ずんぐりむっくりした体してますが
この馬 実は
こんな感じなんです ふだん。
ジャン!
めっちゃ けんかしてない?
そうなんです。 結構 気性が荒くて
なかなか たけだけしい馬なんですね。
で こういった馬に じゃあ
いざ 乗ろうということになりますと
なかなか 上下激しく動きますから
座ったままでは難しい。
ですから 立って乗ろうという
発想になったそうなんです。
あ~ なるほど。
で もともと モンゴルというのは
こうした馬の特性を
大切にする文化がありまして…
…という考えがあるんですって。
野性味を削って
人間が手なずけて 乗るというよりは
その 馬の荒々しい野性味を
利用してというか 生かしてる。
生かして。
…っていうことなんだね。
ちなみに 日本の競走馬などはですね
スキンシップを通して 徐々に
人に慣らしていくわけなんですけども
このモンゴルでは
最初から 無理やり乗るんだそうですね。
はぁ~ でもこれ
振り落とされてしまうんではないですか?
まあ そこは
振り落とされないように しがみつく。
なんというシンプルな答え!
で 振り落とされたら また乗る。
いや 更にシンプル!
そうやって 馬はですね
まあ 「ああ こいつなら
乗られてもしょうがないな」という
ある意味 こう 腹をくくるまで
格闘を続けるわけなんですよ。
うわ~ じゃあ その 何ていうか
ある種の戦いだ 何か。 根比べ。
で この…
はぁ~ なるほど。 これは
モンゴルの騎馬隊が強いわけだね。
そうですね はい。
でも それを聞くと なおさらね
戦闘に参加できる馬が
数少なかったとしたらさ
めっちゃ痛手だよね モンゴル軍にしたらね。
もう 痛手ですね。
でもですね
これ もっと調べていきますと…
重大なトラブルを
抱えてきたことが分かったんです。
いや まだ あんのかい トラブル。
はい。
博多湾へと攻め入った
モンゴル軍の艦隊は…
合わせて…
当時としては
類を見ない大規模なものでした。
ところが 最近の調査によって
モンゴル軍の軍船には
大きな弱点があった可能性が
浮かび上がってきているんです。
ほう。 何ですか?
モンゴル軍の船を造ったのは
当時 朝鮮半島を治めていた
高麗の人々でした。
現在 韓国では
モンゴル軍船に関する
発掘調査が進んでいます。
これまでに見つかった船の中でも
最大規模のもので
13世紀ごろに造られたことが
分かっています。
多くの人や物を運べることから
モンゴル軍も このような船に
乗っていたと考えられているんです。
高麗で造られた船に共通するのが
独特な船底の形。
ほぼ同じ時代の
中国式の船と比べてみると
ご覧のとおり。
中国式の船は
V字形になっているのに対し
高麗の船は
平らになっています。
底が平らな船は
短期間で つくることができ
費用も抑えられる メリットがあります。
でも所長
実は 大きなデメリットもあるんです。
何だか分かりますか?
平らな船のデメリットですか…。
平らだと?
でも あの 波とか
そういう衝撃を
もろに 逃がさず
受けちゃって
すごく
揺れるとか?
所長 お見事!
ヘーイ!
ハッハッハッ ありがとう。
あの ほんとに うれしい。
そこで どれほど
船酔いしやすかったのか
実際に調べてみることにしました。
やって来たのは
大手造船メーカーの実験施設。
模型船を使って
航海中のあらゆる状況を
シミュレーションすることができます。
今回 底が平らな船と V字の船
2つの模型を作製。
揺れ具合に どれほどの違いがあるのかを
検証します。
まずは 底がV字のものから
見てみましょう。
さあ いよいよ実験スタートです。
私の下 見て下さい。
船が設置されています。
で ちょっとね
誰かいるんですよ 船の前に。
ちょっと待ってくれ これ… 俺だな。
我らが所長でございますねえ。
「我らが」って言ってる割には
この扱いはどうなの?
船の揺れを体験してもらいましょう!
それでは スタート!
こっちが V字形ね。
あっ 波が 波がきましたね。
波がきました。 波がきました。
船は揺れています。
前と後ろが
大きく上下に揺れています。
あっ 少し
所長の顔も揺れています。
転んでも
すぐ起き上がるように
設計は
されているんですけども…
さあ 耐えることができるか。
これ 起き上がりこぼし? これ。
波が来る度 船は 上下方向に
かなり激しく揺れているように見えます。
所長の様子はというと…。
時々 動きを止める場面はあるものの
くるくると回転し続けていました。
こういうことだね こういうことだね。
こういうことだね。
まさにそうですね。
続いては いよいよ
モンゴル軍が乗ってきた
底が平らな船です。
え でも こっちの方が
揺れるってことでしょ?
だって 今のも
結構 揺れてたぜ?
揺れの大きさに
どれほどの違いがあるのか
所長の様子にも注目です!
「所長の様子」。
大丈夫でしょうか?
おっ 動き始めました
動き始めました。
少しずつ揺れ始めましたよ
揺れ始めましたよ。
あ~ 大きく 船が
前に後ろに 上下に
大きく揺れてる! 全然 違うな!
もう 水が… 水が 船の中に
入ってしまうんじゃないかと
思うぐらいです!
先ほどのV字のものとは
全然違いますね。
何か 激しいシーソーのような
そんな感じがします。
見比べてみると
その差は
一目瞭然!
よく見ると
V字底の船は
波を切って
進んでいます。
一方 平底の船は
波に乗り上げてしまうため
上下の揺れが
大きくなっているのが
分かります。
更に…。
船の上の所長二朗も 所長二朗も
大きく揺れてる。 あ~っと!
呼び捨てか おい。
所長が ぐるぐる回ってる 回ってる。
もう 回ってるどこじゃないですよ。
あ~ 回ってるよ~。
首が もげそうです。
何か 人形ではありますが
心なしか 所長が疲れている様子が
うかがえます。
いや 疲れてるどころじゃないよ。
所長 大丈夫か?
乗っている所長にも大きな違いが!
V字底の船では
動きを止める場面も
ありましたが
平底の船では
もう回りっぱなし!
これは きつそうです。
あ~ このカメラを見ている私も
少し 酔ってきたような感じが
してしまっております。
もう 何が何だか
分からないかもしれません。
(ベルの音)
あっ 今 ベルが鳴りました。
あ~ 止まりましたねえ。
所長 お疲れさまでした。
今回 波の高さは
1mの想定で実験しましたが…
実際の海では 数メートルに及ぶことも
少なくありません。
しかも モンゴル軍が越えてきた海は
荒れやすく 波が高いことで知られる…
これでは 多くの兵士が
つらい船酔いで
体力を消耗し
とても 戦いどころではなかったに
違いありません。
いや~ あの揺れでね
船酔いにならないわけがないですよ。
しかも 何日間も 何日間もでしょ?
これ でも
ここまで違いがあるならですよ
製造コストが 多少かかっても
底がV字にした方が
絶対 よかったように思いますけどね。
そう そう思いますよね。
ただ 船を造らされていた…
で これ 高麗の歴史が
書かれたものによりますと
もし 「蛮様」
これ 中国式の
底がV字になっている船ですね… を
「採用すると…」。
ちょっと困ってます。
高麗にしてみたら
船を造る費用も
ぜ~んぶ やっぱり
高麗持ちじゃないですか。
あら そうなんですね。
そうなんですよ。
で しかも 結構 納期がね 厳しくて
間に合わなかったら
やっぱり ペナルティーがあるので。
ペナルティーまであったんですか! はい。
あらら。
ほんとに困ったと思うんですね。
で じゃあ どういう船を造ればいいのか。
モンゴル側に確認したところ…
ああ よかったよかったと。
なるほど。
V字は めっちゃ お金かかると
つって モンゴルに相談したんだね。
そうなんです。
そうしたら モンゴルは
いやいや まあ
間に合わないのも困るから
それで あんまり 海とか
その 水まわりのこと あまり知らずに
平らでいいよっていうふうに言ったら
その 自分の その結果
最強の武器である馬も駄目になり
人も船酔いになり…
そうですね。
で まあ こうして モンゴル軍の
1度目の日本遠征というのは
大失敗に終わるわけなんですけども
それから7年後 再び 攻めてきます。
これが 弘安の役なんですけども
この時のモンゴル軍は
かなり本気だったようです。
弘安の役で モンゴル軍が
最後に立ち寄った島
長崎県の鷹島です。
こちらの施設では
島に残された 貴重な史料の
調査・研究が行われています。
ここに 弘安の役の時に
モンゴル軍が本気だった
ということを示す
何かがあると聞いてきたんですけどもね
ここですか?
おお 開いた! 開きましたよ!
えっ 何これ。 え!?
木が 水につかってますよ。
長さ数メートルにも及ぶ 大きな板。
実はこれ…
おお~。
いや~ それが残ってるの? 今。
貴重なものですねえ。
貴重なものですよ。
見つかったのは
鷹島沖の海底から。
毎年 潜水調査が行われ
モンゴル軍に関する重要な発見が
相次いでいます。
こんにちは~。
こんにちは。
どうも 学芸員の早田と申します。
どうぞ よろしくお願いします。
早田晴樹さんは
ダイバーの資格を持つ学芸員。
自ら海に潜り 発掘調査を行っています。
今回…
そちらの方に ご案内いたしますので。
では どうぞ。
ありがとうございます。
ほうほう こちらですか?
(早田)こちらです。
え? 何ですか これは。
ゴツゴツした表面に いびつな形。
長さは 40cmほどあります。
これは 一体…。
よろしければ 持ってみますか?
いいんですか?
あっ 大丈夫です。
えっ 持っていいんですか?
はい。
あ~ 重い! 重い重い重い!
重い これは!
相当 重いですよ。
これ 何だろう?
何か 塊…。
何か これで
戦ったんですかね。
武器ですかね? え~? 何ですか?
(早田)武器ではないですね。
武器ではない。
(早田)はい。
実はですね…
くっついてる?
(早田)はい。
おお!
こちらになります。 え~!
これが 先ほど 私が持った
あの9kgのものですか?
はい。
え~! 何か… 中に見えますね。
何だろう? これ。
私が気になったのが こちら。
大きな だ円形のようなものが
映っていますよね。
そして
もう一つが
赤線の部分。
台形に
棒状のものが
くっついています。
確かに
形としては…。
何なの? これ。
赤は…
見える 見える
見える 見える。
ちりとり… 何だろう?
え~と 実は あの…
同じような物を この部屋に?
ちょっ… ちょっと待って え?
うそだ うそだ うそだ。
なんと 答えは
この部屋の中にあるというんですが…。
随分 探してるね。
あっ! あっ! あっ!
ありましたね。
はい。
もう おもむろに
置いてあるじゃないですか!
えっ これは鍬ですよね。
(早田)はい。
これは シャベル?
(早田)そうですね はい。
ちりとりじゃない!
ちりとりじゃなくて ここの部分ですか!
(早田)はい そこが映っています。
あ~!
正確には シャベルではなくて
鋤が映っています。
鋤ですか。
(早田)はい。
そう 私が
ちりとりの取っ手だと
思ったのは
鋤のソケットの部分。
よかったね
ちりとりじゃなくてな。
そして もう一つは
鍬の刃の部分だったんです。
でも こうした農具が
見つかったことが
どうして モンゴル軍が
本気だったことを
示しているんでしょうか?
農具を わざわざ持ってきている
ということですので…
そういうことですか。
まず 一地域で
しっかりと こう 基盤をつくって
農地を耕して
自給自足 食べ物を作って
で 更に 日本の他のところに
ということを考えていた。
はい。
あ~ それ聞いたら分かりましたね。
それは モンゴル軍は
本気だったんですよ。
(ドラの音)
1281年6月 モンゴル軍は
博多の町を占拠しようと
猛攻を仕掛けます。
ところが…
なんと 町の占拠どころか
上陸することすらできず
作戦は 大失敗に終わります。
一体 何があったのか。
歴史上の 海の戦いに詳しい
海上自衛官の川上 智さんに
分析してもらうことにしました。
(川上)したがって 大きな船で 兵力を
できるだけ近くまで輸送して…
最近の戦いの中で
「ノルマンディー上陸作戦」というのが
あります。
これが ノルマンディー上陸作戦の時の
兵力を降ろした時の状況です。
全く あの 海と 砂浜しかないので…
その間が まさにキルゾーンになります。
ノルマンディー上陸作戦は
第2次世界大戦中…
連合軍が 最も大きな被害を出したのが
上陸の時。
無防備になる瞬間を
ドイツ軍に狙われたのです。
実は モンゴル軍を迎え撃った
鎌倉武士たちも
上陸を阻むための
さまざまな仕掛けを準備していました。
海岸沿いには
高さ およそ3mの
石垣を築き
そこから 一斉に
矢を放ちました。
更に もう一つ。
武士たちが使用したと
考えられているのが
こちらの 木の杭。
川の河口に
いくつも打ったと言われています。
(川上)この河口の部分というのは
川が流れてくるので
当然ながら 小舟でもですね
簡単に スーッと 奥まで入っていける
というようなことになります。
万全の対策で戦に挑んだ
日本の武士たち。
一方で モンゴル側の作戦には
重大な問題があったといいます。
例えば この ノルマンディー上陸作戦の
場合を見ますと
それぞれ ユタ オマハ ゴールド
ジュノー ソードという…
連合軍の作戦は
複数の地点に
同時に攻め入ることで
ドイツ軍の兵力を
分散させること。
守備が
手薄になった場所から
次々と上陸。
作戦を成功させたのです。
ところが モンゴル軍が
上陸を試みたのは
博多湾の1か所のみ。
そのため
武士たちからの攻撃を
集中的に 受けることに
なってしまったのです。
…と言わざるをえません。
日本側が築いた この防塁
そういうような守備体制ですね
こういったところの
知恵 知識 技術といったものに比べて
モンゴル軍の方の 上陸作戦を考えた
知恵 知識というのは
ちょっと かなり
劣ってたんではないかなあ
というふうには思われます。
上陸後の戦いに備え
農具まで持ってきていた モンゴル軍。
まさか 上陸することすらできないとは
全くの想定外。
陸に上がれないことで
船内の衛生環境は悪化。
疫病が流行します。
あらまあ。
更に 水や食料の調達も
難しくなっていきました。
農具 全然使えない。
使えない。
これだったら ちりとり持ってっても
一緒だった…。
「船は腐り
兵糧は尽きた。
これから
どうしたものか」。
そのさなか…。
(雷鳴)
大型の台風が
九州地方に上陸。
モンゴル兵たちは
次々と 波にのみ込まれ
部隊は壊滅します。
こうして
2度にわたる戦いは
幕を下ろしたのです。
いや~ でも ほんとに 元寇っていうと
これまで 日本側から語られることがね
多かったような気がするんでね
自然現象の神風に助けられっていう
イメージだったけど
全然違う話が 浮き彫りになりましたね。
やっぱり 何か 日本史から
どうしてもね 見てしまいますからね。
うん 日本側からね。
あの そもそも その 戦いが始まる前に
フビライという モンゴル帝国のですね
トップが 元のトップがですね
「国書」という書簡を
日本に送ってるんですけど
その時に 「国交をして 親睦を図ろう」
っていうふうに 言ってきてるんですね。
その時に ほんとに
本気で その どう思ってるかは
残念ながら 分からないんですけど
鎌倉幕府は その後 何回も
つかいを モンゴルから送ってきてるのに
ぜ~んぶ無視してるんで…。
無視しちゃったんだ。
そうなんですね。 その結果として
まあ 戦いが起こってしまったとも
言えるので
結構 そういう 相手を知るとか
意思疎通を図るっていうことは
やっぱり すごい
重要なことなんじゃないかな。
やっぱり これは 学ぶべきことなんじゃ
ないかなと思うんですね。
いや~ でも 今日1日 何かこう
モンゴルの側からね 元寇 見て
とっても勉強になりましたよ。
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