1970年代に“世界同時革命”などの主張を掲げ、航空機ハイジャックや大使館占拠など世界各地で数々の過激な事件を起こした『日本赤軍』。そのリーダーだった重信房子元最高幹部が20年あまりの服役を終え、28日朝、出所しました。
金平茂紀キャスター
「昭島市の医療刑務所の門の所に、一台黒い車が出てきました。黒い帽子をかぶって、支援者たちに手を振っています」
28日朝、東京・昭島市の医療刑務所から出所した『日本赤軍』の重信房子元最高幹部(76)。施設の前で支援者らと言葉を交わしましたが、周囲では右翼団体が抗議活動を行うなど混乱も見られました。
「日本赤軍」重信房子 元最高幹部
「戦闘第一にしたことで、見ず知らずの無辜の人に被害を与えたことがありました。古い時代とは言えこの機会にお詫びします」
『日本赤軍』は、1960年代後半の“新左翼運動”と呼ばれる動きのなかから生まれた、最も過激な社会運動の組織です。その源流は、武力闘争路線を掲げて登場した共産主義者同盟『赤軍派』でした。
『赤軍派』はその後、大きく3つに枝分かれします。
日航機を乗っ取り、北朝鮮に亡命した『よど号グループ』。
そして、長野県の“あさま山荘”で警察と銃撃戦を繰り広げ、その後、仲間同士のリンチ殺人が発覚した『連合赤軍』へと分かれていき、当時の社会運動全体に決定的な「負のイメージ」を与えたと言われています。
「日本赤軍」重信房子 元最高幹部(映画「赤軍PFLP・世界戦争宣言」より)
「北朝鮮に行った9人、またはパレスチナにいる私、それから日本にいる同志たち」
一方、『日本赤軍』は70年代はじめから“世界同時革命”を行う海外での拠点作りを目指していました。『日本赤軍』結成前の1972年、重信元幹部の仲間だった日本人3人がパレスチナの武装勢力に加わって起こしたのが、イスラエルのロッド空港乱射事件です。
その後も、仲間の釈放を要求し、“超法規的措置”が取られたダッカ日航機ハイジャック事件など、世界各地で数々の事件を起こしてきた『日本赤軍』。
重信元幹部は、1974年にオランダ・ハーグのフランス大使館を占拠した事件に関与したとして、国際手配されていました。
記者(2000年11月)
「重信房子容疑者、いま改札を通りました」
重信房子(逮捕時)
「(Q.何かメッセージは?)頑張るから」
そして、2000年11月。重信元幹部は潜伏していた大阪府内で逮捕され、懲役20年の実刑判決となりました。
服役中にがんを患い、4回の手術をしたという重信元幹部。今後の活動については…。
「日本赤軍」重信房子 元最高幹部
「(がんの)治療と学習です。すぐに病院を選んでリハビリしていけるようにしたい」
金平茂紀キャスター
「20年経って、外に出てきて今、一番感じていることは何ですか?」
「日本赤軍」重信房子 元最高幹部
「感じていることは、あまりに昔と違って一つの方向に流れているのではないか。国民はそうでなくても、政治家が一方向に流れているというのが実感」
『日本赤軍』をめぐっては、現在もメンバー7人が国際手配され、警察が行方を追っています。
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