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中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 – )は、広島県広島市中区出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズに所属。
人物
ヘルメットと帽子のつばには『克己心』という言葉が書いてある。
チーム屈指の歌唱力を誇ると言われ、カラオケでの十八番は松山千春の「大空と大地の中で」だという。
好物は焼肉。広島でしか食べられない「コウネ」が好き。
高校の先輩である西岡剛と親交が深く、例年自主トレをともにしている。
清原和博を尊敬しており、清原も中田に対して「俺の後継者」と期待を寄せているとのこと。
2011年まで同僚だったダルビッシュ有と渡部龍一を慕っている。ダルビッシュからは「日本記録(2012年当時は55本が最高であり、2013年にバレンティンの60本で記録は塗り替えられた)の56本塁打を打つまで認めない」などと叱咤され、ダルビッシュのメジャー移籍後も言葉をかけられている。2012年には前年に戦力外通告を受け退団した渡部のラッキーカラーである紫色のグッズを身につけて試合に臨んだ。
後輩にはとても気さくに振る舞い、後輩選手のモチベーション向上のために自信が考案した「中田賞」を設けている。毎年、中田自ら後輩選手のシーズン目標(例えば、本塁打数や安打数、勝利数など)を設定し、その目標をクリアできればポケットマネーで後輩の希望する賞品(主に高級ブランド品)をプレゼントしている。これは、かつて稲葉や西岡に成績に応じて食事をご馳走してもらった経験があるからだという。特に杉谷拳士のことを「かわいい後輩」としており、その親交ぶりが時折メディアで取り上げられるほどである。
スライディングパンツに擦れたり挟まったりして集中を乱されたくないという理由で、バリカンで股間の剃毛を行っている。
清宮 幸太郎(きよみや こうたろう、1999年5月25日- )は、東京都出身のプロ野球選手(内野手)。北海道日本ハムファイターズ所属。
来歴・人物
生い立
ラグビー選手・指導者として知られる清宮克幸(現 ジャパンラグビートップリーグ・ヤマハ発動機ジュビロ監督)の長男として生まれる。
2006年(平成18年) – 全国高等学校野球選手権大会決勝・早稲田実業学校 対 駒大苫小牧高校戦を見て、オール麻布で野球を始める。早稲田実業学校初等部4年生からは硬式野球に転換、東京北砂リ。
2012年(平成24年) – 東京北砂リーグに所属し、リトルリーグ世界選手権では投打で活躍して優勝に貢献。米メディアでは「和製 ベーブ・ルース」と報道された。調布シニア時代には全国優勝を経験。この年の日本シリーズ第1戦では始球式を務めた。
高校時代
2015年(平成27年) – 早稲田実業学校高等部に進むと、1年生ながらスラッガーとして期待され、第97回全国高等学校野球選手権大会に出場し本塁打を2本記録した。また同年2015 WBSC U-18ワールドカップ 日本代表に選出された。
2016年(平成28年) – 3年生が引退後、主将に就任。
2017年(平成29年) – 3年次の第99回全国高等学校野球選手権西東京大会では開会式で選手宣誓を行った。宣誓は「私達は野球を愛しています」という言葉から始まり、「好きです」ではなく「愛しています」という言葉を選んだことについて、この年の6月22日に乳癌で死去したフリーアナウンサーの小林麻央が綴った言葉の影響を受けたことを明かした。 夏の西東京大会では決勝戦まで進出したが、東海大学菅生高等学校に敗れ甲子園出場を逃した。8月23日、2017 WBSC U-18ワールドカップ日本代表の主将を務めることが発表された。
プロ入りへ
大会後の9月12日に帰国後、父・克幸や家族、早稲田実業高校野球部監督の和泉実ら関係者との話し合いを行ったうえで、清宮はプロ志望届を提出する意思を固め、9月22日に記者会見を行い、プロ志望届を提出することを表明した。9月25日、正式にプロ志望届を提出した。10月26日のドラフト会議では、1995年の福留孝介に並ぶ7球団の競合の末、北海道日本ハムファイターズが交渉権を獲得し、11月16日に仮契約を結んだ。11月24日に入団会見が行われ、背番号は21となった。
日本ハム時代
2018年3月、オープン戦の期間中に限局性腹膜炎で緊急入院するなど体調を崩し、開幕1軍入りを逃したが、2軍戦に出場した15試合で4本塁打を放つなど、復調ぶりをアピールし1軍へ昇格。5月2日に1軍デビューを果たした。5月4日、5番・一塁でフル出場し、3試合連続安打となる中前打を放った。ドラフト制後、高卒新人のデビュー戦から3試合連続安打は1999年・赤田将吾(当時西武)、2015年・淺間大基(日本ハム)に次いで3年ぶり3人目となった。5月5日、ロッテ戦に5番・一塁で先発出場し、6回の第3打席で4試合連続安打となる遊撃内野安打を放った。高卒新人の初出場から4試合連続安打は、1966年のドラフト制度以降では1999年の赤田将吾(当時西武)、2015年の浅間大基(日本ハム)に並ぶタイ記録となった。5月6日の対ロッテ戦で内野安打を放ち、高卒新人のデビュー戦から連続安打記録を5に更新し、プロ野球の最多記録(ドラフト制後)を更新した。5月8日、オリックス戦の第3打席で右前打を放ち、ドラフト制以降の新人では原辰徳らに並ぶプロ野球タイ記録となるデビューから6試合連続安打を達成した。5月9日のオリックス戦で、第1打席に右翼へプロ1号本塁打を放ち、デビューからの連続試合安打記録を7に伸ばし、ドラフト制後(1966年以降入団)では単独トップの新記録となった[33]。また、高卒新人の本塁打は2017年細川成也(DeNA=2本)以来で、日本ハムでは2013年大谷翔平(3本)以来9人目となった。
選手としての特徴
高校通算本塁打111本の史上最多記録保持者で、高校野球の公式戦に限った通算成績は70試合出場で247打数100安打、打率.405、29本塁打、95打点。50メートル走6.3秒、遠投110メートル。
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