出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 大鶴義丹[字]
~女優として母として…李麗仙さんとの思い出~大鶴義丹さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
俳優・大鶴義丹さんがゲスト。昨年6月に亡くなった女優・李麗仙さんを息子の大鶴さんとともに偲ぶ。
◇番組内容
李麗仙さんは2018年に脳梗塞で倒れ、翌年に介護付きの老人ホームへ入所していたが、昨年春に肺炎を患い入院生活を余儀なくされた。幸いなことに入院した病院が近所であったため、大鶴さんは頻繁にお見舞いに行けたという。危篤の連絡をもらった際にも着の身着のまま病院へかけつけ、看取ることができたと明かす。李麗仙さんはこれまで『徹子の部屋』に4回出演。今日はその中から3回の貴重な映像を交えながら思い出を語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 稽古場
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)右が今日のお客様です。
そして 左側が
お母様の李麗仙さん。
素敵な親子の写真です。
今日のお客様 大鶴義丹さん。
あのアングラの女王と呼ばれた
李麗仙さん。
去年の6月 残念ながら
お亡くなりになりました。
今日は息子さんの
大鶴義丹さんと一緒に
いろいろ
お話をしたいと思います。
よろしくお願いします。 どうも。
李麗仙さんは残念でしたけど
去年 79歳で お若かったんですね。
はい。
去年の6月に
肺炎で亡くなったんですけど
私はベートーヴェンの話の時
ご一緒できてね
よかったんですけど。
あの時は 徹子さんにね
お芝居を誘っていただいてね
とても喜んでました。
あっ 本当に?
私 一緒にやって
思ったんだけど
普段は とっても穏やかな
優しい方でしたね。
あの… すごく常識人ですよね。
そうです。 私 そう思いました。
まあ モラリストですよ。
そう 穏やかでね うん。
もう 曲がった事 嫌いで。
本当 本当。
一緒にやってても
そう思いましたよ。
でも 昔は
自宅と稽古場が一緒だったんで
もう いやでも応でも
お父様とお母様が稽古してるの
見られちゃったんですって?
そう。 僕が その…
幼少から中学生ぐらいまでは
家と稽古場がね
2階ととか…
隣り合わせだったので
まあ とにかく うるさい。
フフフ…!
これね アングラ劇団が
壁一枚 挟んで あるね
子どもの生活環境って
ある種ね 最悪ですよ。
そう。 フフフフ…!
まあ もう…。
これは
小学校6年か中1ぐらいかな。
奥 清川虹子さんですね。
へえー!
清川虹子さんも
お出になった事があったの?
客演で何度か出てくださって。
そうなの。 そうですか。
母親も何歳だろう。 30代かな。
まあ あなたが
あのぐらいですからね。
これはね
父が芥川賞をとった時ですね。
僕が中学校2年ですね。
じゃあ みんな うれしい
っていう感じの時ですよね。
李麗仙さんが『徹子の部屋』で
義丹さんの…
あなたの話をしていらっしゃる
VTRがありますので
ちょっと ご覧いただきます。
「お子さんが
学校から帰ってきた時に
なるべく そばにいてやりたい
っていうんで
うちと稽古場と全部を一緒に
とにかくしたいっていうのは
ものすごい
願望だったんですって?」
「で そうしまして」
「あっ そう」
「そうしますと 私も安心ですけど
子どもも
とにかく 母ちゃんは うちにいる
っていう感じですからね」
「そうね それは違うでしょうね」
「そうですね」
「子どもさんは あれなんですって。
あなたたちより早くせりふを…
こうやって…
子どもって こうやって見てると
早く覚えちゃうんですね
せりふなんて」
「そうです。 だからね
ダメ出しの一番多い役者の
せりふを
一番早く覚えるわけですよ」
「だから まあ 小さい時は
よく 稽古場を
ゴロゴロしてましたから
学校上がる前は」
「そうすると
ダメ出しの多い人のせりふは
もう 彼は
バッチリ覚えてるわけですね」
「そうすると 詰まった時に
“こうだよ”なんて言われたりして」
フフフフ…!
でも ご両親に甘えたいと思う時は
ありました?
あの… 寂しいんですけども
近くにはいたんで。
そうですよね。
そういう寂しいっつっても
なんていうんだろう
遠く離れてるっていう感じじゃ
ないんですよね。
ただ まあ
とにかく忙しかったんで 当時は。
稽古も まあ 夜10時ぐらいまで
やるわけですよね。
もう 子どもも ごはんなんて
我慢しなきゃいけないんですよ。
ただ まあ… 子どもながらにね
やっぱり 壁一枚 挟んで
もう 命を懸けたような勢いで
芝居してますから
子どもなりにも やっぱりね
まあ 10歳か11歳ですけど
コンコン 「おなか すきました」
とは言えないんですよ。
こっちも やっぱね 大人が
それだけやってるの見たら
まあ 我慢するかと。
自分で作るかしかね。
だからね 料理ね
自分でやるようになって
うまくなっちゃったんですよ。
あっ そうなの?
小学校5~6年の頃にはね
もう いっぱしのものを。
もう 揚げ物から
もう ハンバーグから
もう こねて 自分で。
うん すごい。
もう 小学校の
本当 6年生前ぐらいには
もう 自分で こう なんか
洋食セットぐらい
作れる感じになってましたね。
あっ そうなの。
じゃあ もう… ねえ?
問題は まあ ごはんですもんね。
あとは なんとかなるもんね。
だからね 自分で
作れるようになっちゃったんで
逆に 親よりも贅沢なもの
勝手に作って。
でも お母様は お弁当作りは
あんまり 上手な方じゃ
なかったんですって?
母はね 弁当はダメでしたね。
フフ…! そう。
母の作る弁当はね
こう 振動に弱くてね
遠足とか行くと
もう なんか グチャグチャで
わけわかんなく
なっちゃうんですよ。
本当…?
なんか おつゆも入ったりして。
そうなんですよ そうなんですよ。
もう すき焼きとかも
汁をちゃんと抜かないんでね
もう なんか
グッチャグチャに
なってたんですよ。
僕 イヤで
もう 小学校3年ぐらいで
よそ様のお弁当を見て…。
得意なお母さん
いるじゃないですか。
そういう家庭のを見てね
あっ なるほど! こういう風に
お弁当は仕切るのだと。
ウィンナーのタコ形にするのは
こう 切れ目を入れてね
焼けばなるんだっていう
そういうのを
子どもながらに研究して。
すごい うん。
で プラモデルとかラジコンとか
好きだったんで
まあ そういうのの技術を
応用したら
料理なんて ラジコンより簡単だな
っていう事がわかって。
自分でできるようになった?
ええ。
李麗仙さんの晩年のご様子は
どんなのでした?
脳梗塞を起こしてしまいまして
コロナになる前に。
あっ コロナの前にね うん。
そこから やっぱり
ちょっと 女優業ができなくて
最後 1つ 自分のプロデュースで
一人芝居みたいのを
やるはずだったんですけど
それが やっぱり ちょっと
最後 かなわなくて。
あっ そう…。
ちょっと 能をベースにした
芝居だったんですけどね
『隅田川』という…。
そうですか。
なんか 二世帯住宅で
暮らしていらしたんですってね。
1つの敷地の中に
もう 全く別の家の中で
暮らしてたんですけども。
まあ でも やっぱり
母が こう 病気になって
脳梗塞 起こして
こう 芝居ができなくなったのを
見てね
やっぱり 役者っていうのは
体 資本… 全てだなとは
思いましたね。
本当にそうですよね。
ええ。 まあ 自分もね
母には及ばずながらも
やっておりますけども やっぱり
健康だったら なんでも できるな
と思いましたよ 本当に ええ。
本当にそう。
もう 俳優は病気になっちゃうと
せりふは覚えられないし
出て行かれないしとかね
本当にね。
まあ なんか 可哀想だなと
思ったのは やっぱり
うちの母も元気で
ある種 もう こう…
すごく こう 力を出すタイプの
女優さんだったので
そこの羽をもがれちゃうと
やっぱり もう
どうにもしようがなくなっちゃう
っていうね。
去年の春に お母様
肺炎になったんですって?
そうですね。 まあ 脳梗塞やって
こう 動けなくなって
徐々に 内臓のいろんな病気とかを
起こしたりして。
最後 こう 自分でも
ごはんも食べれなくなっちゃって
2カ月ぐらいあるんですけども。
あっ そうなの。
まあ なんか どうしても
最後 やっぱり こう
肺炎になる事が多いみたいですね
そうなると。
その時
なんか おっしゃったりした?
まあ 最後の2カ月は
もう 食べれなくなって
ある種 みんなで みとりという
形になったんですけども。
あっ そうなの。
家の すごく近くの病院で こう
そういう医療ができたんで。
そうなの? うん。
家から
歩いて3分 4分だったので。
じゃあ すぐのとこじゃない。
まあ もう 気が付くと
こう 会いに行ったりできたので
まあ 最後
ほとんど 言葉 発する事は
できなかったんですけども
2カ月 こう 人が自分の人生を
閉じていく姿っていうのを
家のすぐ近くの病院で
毎日 こう…。
毎日じゃない時もあるんですけど
まあ そういう… 通って
母親と こう
最後 まあ 2カ月 過ごして…。
ある種 母親が教えてくれたと
思ってるんですけど
人は こうやって
幕を閉じていくんだぞ
みたいな事をね
2カ月かけて なんか
教えてくれたような気がして。
それは とても悲しいんだけど
同時に なんか
意味のある2カ月だったなとは
思ってますね。
あっ そうですか。
ええ。
まあ 元気な方でしたからね。
はい。
でも 最期は みとる事が
できたっていう事ですか?
それが 本当 家が近かったのが
よかったんですけども
朝 出かけようと思っていたら
病院から電話がありまして
「今 来てください」というね。
もう 寝間着のまんま
家から3分 4分 走ってったら
いや 本当ね
10秒… 10秒でしたね。
心臓が止まる10秒ぐらい前に
手が握れたという感じで。
あっ そう…。
ええ。
もう エレベーター 1つ
乗り遅れてたらダメでしたね。
あっ そう…。
ええ。 これは 本当 ある種
ありがたい話だったんですけどね。
お母様としてはね
おわかりになっただろうからね。
人間って 最期…
一瞬 やっぱり 死ぬ最期って
なんか エネルギーが出るのか
ハッ! って 目を開いて
なんか言うんですよね 言葉で。
言葉にはなってないんですけどね。
あっ そう。
その10秒で… 10秒でしたね。
10秒遅かったらダメでしたね。
お父様の唐十郎さんは
なんか おっしゃってました?
まあ あの…
うちの父もね それなりに
年を取ってるんですけども
最後 こう お通夜も来て
なんか 芝居の歌を歌って
帰っていきましたね ええ。
芝居の歌っていうのがあるの?
うちの母と芝居をやってる時の
よく あの…
結構 代表的な状況劇場の中で
芝居の歌があるんですけど…。
お母様がね… 李麗仙さんが
高校2年生のあなたについて
話していらっしゃる
貴重な映像がございますので
ちょっと ご覧ください。
「赤ちゃん返りと
あなたが呼んでいらっしゃる?」
「ええ ええ。
あの… 高校2年ぐらいの時
ご飯よそうのもね それから
とにかく
全部 私の手をかけないと
気に入らないんですね」
「“イヤだ”って言うの?」
「ええ」
「だから 1杯目の…
ご飯よそうのも… 1杯目は
おばさんが よそってくれたら
食べるんですけど
2杯目は 私が よそわないと
ダメなんですね」
「それで こう
なんていうんでしょうね」
「くっつくの?
くっついたりするの?」
「そういう事はないんですけど…
そういう事はないんですけどね」
「なんとなく こう とにかく
私の… 全て そうですね」
「だから おみそ汁 作るのも
ちゃんと 煮干しの頭と
はらわた取って
前の日からね だし取って」
「サラダのドレッシングもね
タマネギとニンニクやなんか
いろいろ すって
もう ちゃんと作っておいて…
全部 作ってあげるんですよね」
「そうすると ムシャムシャ
ムシャムシャ食べて」
「1年間 とにかく やりましたね」
「どういうんでしょうね
そういうのってね」
「しかも ちっちゃい小学生とか
っていうなら わかるけど
高校2年になってね 男の子が」
「それまでは 逆に
自分の事を きちっとやる子
だったんですよね」
「まあ 私が やっぱり…
赤ん坊の時から
仕事しながらですから
半分 意識が
仕事の方に向いてますよね」
「だから 彼の中で
十何年 経って
自分で言い聞かせて
きたんでしょうけれど
大人になる直前に 不安に…
不安になるんでしょうかね」
「ちょっと 私も
その辺 わからないんですけど」
うーん…。
覚えてる?
覚えてる。 だからね ある種 こう
ちょっと 亭主関白みたいに
なっちゃったんですよね。
フフフフ…!
なんか 母親に対して こう
「おかわり よそえ」
みたいな感じでね。
なんか ある種 反抗心みたいな…
だったんでしょうね。
ちょっと もう忘れましたけど。
でも 今 54歳と出てて
ちょうど 僕は
4月24日に54歳に…。
偶然ですね!
ええ。
でも お母様の方が大人っぽい?
ちょっと。 どうかしら? 同じ?
今 やっぱり どんどん…
今の世代はね どんどん どんどん
あれですよね
大人に見えますよね。
そうそう そうそう。
両親から
口出しされた事っていうのは
ないんですって?
なんか あなたの行動について。
まあ… 多分 よそ様よりは
あんまり こう 勉強も
あれ やれとかは言わない方
だったんじゃないんですかね?
まあ あの… 放任…
よく言えば
放任主義なんだろうけど
僕も一人っ子で
比較的 なんか こう
器用にやる方だったんで。
親が信用できなかったんで。
こんな具合だから。
もうね いろんな事を
しでかすので
これは 自分で生きていかなきゃ
しょうがないなと
思ったんでしょうね
子どもながら。
でも 俳優の道に
あなたが進もうと思う時に
ご両親は
何か おっしゃいました?
あの… 父には いろいろ
こう 役者になるにおいて
サポートを
してもらったんですけども
もちろん だから
その感謝もあるんですけど
何も言ってこないですね
基本的には。
あっ そうなの?
ええ。
芝居を見に来てくださった?
それよりも。
そうですね。 見に来たり
僕も 父の芝居も母の芝居も
見に行く方でしたけど
意外と うちの家族は3人とも
それぞれ…
母と父はね
芝居のけんか しますけども
意外と それぞれ こう 勝手な
あんまり お互い
干渉しない3人でしたね。
3人の なんか
よくいう家族旅行とか
今でいう それこそ
家族でキャンピングカーで…。
みんなでね。
山に行くとか 海に行くとか
そんなのは
絶対に ない家庭でしたね。
なるほどね。
なんかね 同居人みたいな…。
同居人ね うん。 なるほどね。
だから 多分… 思うんですよ。
あの3人はね こう 前世で
なんか こう 戦場とかの…
戦で一緒だったメンバーがね…。
フフ…! たまたま?
生まれ変わって
この3人の家族になったんじゃ
ないかなと思ってるんですけど。
なるほどね。 わかりますよ
そういう感じってね。
何年ぐらい そうやって
一緒に暮らしてたの?
意外と短くてね。 だから
僕が19の時に離婚しましたから。
随分 早かったのね。
両親がね ええ。 だから…。
3人で暮らしたのは
18年 19年ぐらいなんでしょうね。
へえー…。 あなたは お母様と
結構 けんかしたんですって?
まあ 僕と母はね
もう けんかするんですよ。
二世帯住宅になってからも
3分話すと
けんかになるんですよ。
フフフフ…!
もう ウルトラマンの
カラータイマーじゃねえんだから
っていう…。
もう 3分経つとね
けんかになるので 3分前に…。
別れちゃう?
別れるんです。 言って 3分…
そろそろ 3分になるなと
思ったら
「では」「では」と言って。
なるほど。
その親子げんかの原因は
なんなんですか…?
今… そうですね 今 思うと
妻なんかも
その現場を見てるんですけど
妻なんか言う…
いわくなんですけども
「あんたら 同じ事を
ずっと 平行線で言ってる」って
言うんですよ。
だから 実は似てるかもしれない
って言われてね。
だから 赤か白かって話になると
お互い 赤だって言うんだけど
ちょっと薄い赤だ
ちょっと濃い赤だって
同じ赤の事を ずっと
言ってるらしいんですよね。
仲直りは どうやってするの?
ご両親と。
なんか 3日ぐらい会わないと
お互い こう 忘れてるという。
もう忘れちゃう?
ええ。
へえー 面白いね。
でも 最後 母も離婚して
晩年に こう 一緒に 二世帯住宅で
住むようになったんですけども。
そんな長い時期では
なかったんですけど
十… 最後 一緒に暮らしたのは
13~14年ぐらいですかね。
でも まあ
よかったかなとは思ってますね。
二世帯住宅っていう
セレクトをして。
そうね。 それは まあ よかった…。
でも ごはんも基本バラバラ?
バラバラでしたね。
それは お互い 勝手にみたいな。
あなたのね お料理について
話していらっしゃる
VTRがありますが
ちょっと ご覧ください。
李麗仙さんです。
「お料理上手なんですって?
義丹さんって」
「あの人はね
イタ飯系うまいですね」
「イタ飯? おお…!」
「あの人のパスタは
ちょっとした お店出せますね。
…と 私は思ってるんです」
「それじゃあ おいしい?」
「おいしいです」
「じゃあ たまに早く帰ったりして
向こうもいると
作ってくれないかなとか
思うでしょ?」
「こっちが言うと
“何言ってんだ”って
怒られますからね
もう 静かにしてて」
「それで 自分の方から
言ってくれるんですよ
自分が作ると」
「そうすると
“食べる?”って言うから
“あっ 食べたい 食べたい”
っつって
“おいしかった!”って言うと
また しばらく経つと
“作ったんだけど 食べる?”って
お誘いをしてくれるわけですよ」
「こっちから“作ってくれ”って
言ったら
“うるせえ”って言われるのが…」
「そうなの?」
「関の山ですよ
子どもなんていうのは」
「そうなの? うんうん うんうん」
「だけど そこは 上手に
こう おへそが
真っすぐ向いてるかなとか
横っちょ向いてるかな? を見て
時々 ごちそうになってます」
あなたのお母様 面白いわね。
でも 断った事あるの? あなた…。
そうですね。 面倒くさいと
「イヤだ」っつって…。
ハハハハ…!
そうか。 じゃあ しょうがない…。
でも パスタのお料理 上手なの?
そうですね。
料理 好きなんですけども。
ああ そうなの? ええー!
結構 本気で いろいろ
勉強しに行ったりとかして。
あっ そうなの? ええー!
これ 牡蠣のパスタでね
トマトのね はい。
うん パスタ?
はい。
おいしそう。
これは 奥さんと なんかね…。
持ってらっしゃるの
フライパンなの? あれね。
はい。
ふーん…。
奥様 可愛い方ね なんかね。
数年前の写真ですけどね。
そうですか。
2012年に
再婚なすったんですって?
はい。
お相手は なんと 高校の後輩?
そうですね。
地元の友達
だったんですけども
1つ下の…。
ええー! うん…。
なんか 40歳過ぎて
再会して
トントン拍子に再婚に
なったんですって?
そうですね。
なんか 気が合ったんですね。
向こうも それこそ 40歳過ぎまで
結婚してなかったって…。
してなかったの? ええー!
同じ高校で?
同じ… 地元なんですけどね。
あっ 地元で? うん。 へえ…。
なんか 運命的な感じで。
不思議ですよね。
その奥様と 李麗仙さんと…
お母様とは
うまくいったんですか?
あのね まあ うちの母も
難しい人間なんですけども。
あのね なんだろうな。
うちの妻も こう…。
結構 難しい人間 扱うのが
得意なんですよね うちの妻がね。
すごい うん。
意外と こう 歯車が合って。
なんだろうな 例えば こう
お母さん…
気ぃ使われると
うちの母はダメなんですよね。
そうなの?
うん。 それよりも なんか
うちの妻だったら こう…
「オカン」って
呼んでたんですけども
関西人ではないんですけど。
うちの妻が
「オカン これ やっといて」とか
そういう風に頼むと
バシッて言うと…
「オカン もう これ
早く洗っちゃいなよ」とか言うと
「あっ そうだった そうだった」
って うちの母は
全然 とがらないんですよ。
逆に なんか 気ぃ使って
「お義母さん
これじゃないですか?」
なんて言われると
「うるさいわね」なんて言う。
フフフフ…! 面倒くさいね。
面倒くさい人なんで。
フフフフ…! うん。
でも うちの妻とはね
すごく なんか…。
よかったわね でもね。
ねっ うん…。
それじゃあ 李麗仙さんも
後年 よかったんじゃない。
なんか 晩年はね あの…
妻の事を なんか
友人とかに
すごく良く言ってましたね。
そういうのが
聞こえてきましたね…。
あっ そうなの。
まあ あとは やっぱり
一人っ子で
男の子しか育てた事がないから
それで なんか 娘が
欲しいんでしょうね ある種ね。
そうね。 じゃあ 家事の分担は
あなたと奥様とは どういう風…?
まあ 今 こう ある種 2人…
中年夫婦 2人でやってるんで。
まあ お互い こう
ストレスにならないように
自分の事は 自分でというね。
フフフフ…!
「自分の事は自分で」。
まあ 料理は
大体 僕がやる事が多いですね。
僕 料理 苦じゃないので。
あっ そうなの?
全く苦じゃないので。
すごい。
家に大勢来るっつっても
こう パーティーみたいにやるのも
料理 バーッて作るのも
全然 苦じゃないですね。
あっ そうなの。 ふーん…。
ただね 服が畳めないんですよ。
フフフフ…! どういう…?
服がね なんかね ストレス…
畳めないんですよね。
うちの奥さんは
すごい服は… 得意なんですよ。
だから まあ
それで ちょっと バランスが…。
じゃあ バランス取れてて
いいかもしれない。
なんか あなた この頃
庭掃除 よくやるんだって?
これね 年取ってきたのか
わからないんですけど
昔は 庭なんか
気にならなかったんですが
最近ね… まあ 母がいなくなって
そういう部分も 全部 こう
自分でコントロールしなきゃ 家を
っていうのは あるんですけども。
まあ 庭のね 隅々が汚いと
気になって。
落ち葉なんか 飛ばす
ブーッて あの…
アメリカみたいに
空気で飛ばす機械が
あるんですよね
扇風機の強いやつで。
ああいうのも買ったりしてね
落ち葉を こう 集めたりね。
なんなんでしょうね?
フフフフ…!
すごいね 家の近所の汚れとかね
気になってね。
シャッターとか洗ったりしてね。
なんだろう
お掃除おじさんですね。
フフフフ…!
フフフフ…!
そういうおじさん
近所にいたなと思って。
昔ね。
イヤだなと思ってたんですよ
自分が もう 若い時はね。
そうそうそう。
このおっさん もう
家の掃除ばっかしやがって…。
しっかり それになりましたね。
気になっちゃうのね。 フフフ…!
そうね。
そういうものかもしれませんね。
なんか あなた
10年ぶりに長編小説を
お書きになったんですって?
はい。
最後に小説を… 長いの書いたのは
40前半だったんですけども。
ちょうど
母が脳梗塞で倒れた時に
ちょっと ある種 こう
発想を得まして。
母は もう 脳梗塞で
芝居ができなくなっちゃったので
その 自分の小説の中に
母をイメージするような
晩年の女優さんをね…。
天才女優と言われながらも
年取っていって
最後 芝居をやめようとしている
女優をね…。
書いた?
ある種 キャスティング
してあげようというかね
おこがましい話なんですけど。
自分の小説の中でね
こう 出してあげたら
まあ ある種 喜ぶかな
なんて思いまして 書いて。
それを 集英社の
『すばる』という文芸誌で
3回にわたって連載して…。
今年に
単行本になったんですけども。
『女優』というんですけど。
すごいわね。 ふーん…。
まあ ある種 出版が決まったら
逆に 死んじゃったんですよね。
そうだったの?
不思議なもので。
あらら 残念ね。
ええ…。
なんか お母様の死を通じて
あなたも
自分の死も考えたんですって?
これはね やっぱり
どうしても考えちゃうように
最近 なったんですけど。
まあ そうですよね うん。
生き様っていうのもあるけど
やっぱり
死に様ってあるなって
最近 思いだして。
どういう風に生きるか どうやって
格好付けて生きるかって
ずっと考えるじゃないですか
若い時って。
20代から… まあ 10代から。
でも なんか どうやって死ぬか…。
なるほどね。
でも 今日は お母様との話ね
聞かせていただいて よかった。
どうも ありがとうございました。
ありがとうございました。
本当 ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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