日本を代表する漫画家の藤子不二雄Aさんが、7日午前、神奈川・川崎市の自宅で亡くなっていたことが分かりました。88歳でした。「オバケのQ太郎」など数々の名作を残した藤子不二雄Aさんについて、「どのような人物だったのか?数々の名作は?」「伝説のトキワ荘でのエピソード」、「残した偉大な功績」を詳しく解説します。
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■藤子不二雄Aさんはどのような人?経歴・作品は
藤子不二雄Aさんは、本名は「安孫子素雄」で、1934年、富山・氷見市で生まれました。小学校で藤子・F・不二雄さんと出会います。小学校時代から漫画家を志したといいます。
1951年、高校在学中に2人の合作でペンネーム「藤子不二雄」としてデビューしました。卒業後は、一旦、新聞社に勤めましたが、藤子・F・不二雄さんに誘われて退社し、1954年、漫画家になるために2人で上京しました。
その後、2人の合作で数々のヒット作に恵まれましたが、1987年に、35年間にわたったコンビを解消し、「藤子不二雄A」として新たなスタートをきりました。本名の「安孫子」から、「A」としたといいます。
主な作品について、藤子・F・不二雄さんとのコンビでは、代表作として「オバケのQ太郎」、藤子不二雄Aさんとしては、「忍者ハットリくん」、「怪物くん」、「プロゴルファー猿」、「笑ゥせぇるすまん」などがあります。
■“トキワ荘”下積み時代を過ごし…当時の思い出は
藤子さんが下積み時代を過ごしたのが、豊島区にあったアパートのトキワ荘です。昭和を代表する漫画家たちが若手時代に暮らし、多くの名作が生まれました。
当時、トキワ荘には、漫画界の巨匠、手塚治虫さんをはじめ、「サイボーグ009」や「仮面ライダー」の代表作をもつ石ノ森章太郎さんや、「天才バカボン」や「おそ松くん」で知られる赤塚不二夫さんなど数々の名漫画家が青春時代を過ごしました。このトキワ荘での当時の思い出について、様々なエピソードがあります。
・夏は皆で裸になって、タオルをぬらして肩からかけて、漫画を描いていた
・皆で銭湯に行っていたそうで、銭湯のおじさんに「若いのになんで午後3時から来てるんだ」と言われて、「僕ら受験生です」ってうそをついていた
このトキワ荘の功績を伝える「トキワ荘マンガミュージアム」を7日午後、訪れました。去年4月に藤子不二雄Aさんも訪れたというこのミュージアムですが、7日、訪れた人たちからは、別れを惜しむ声が多く聞かれました。
「もうびっくりしました、先ほど聞いて。なんかショックですね。もっといろいろ描いていただきたかったなと思いました」
「すごいレジェンドなので、身近な方ではないですけど、また1人いなくなったのは、すごいさびしいなと思います」
豊島区文化商工部 トキワ荘マンガミュージアム担当課長・熊谷崇之さん
「藤子A先生が愛してやまないトキワ荘でしたので、藤子A先生がいたから、みなさんから愛される存在になったと思うので、そういった意味で文化は、先生あっての文化かなと思っています」
■マンガ以外にも才能を発揮…映画を企画・製作し“受賞”も
藤子不二雄Aさんは、マンガ以外にも多方面で才能を発揮しました。
1990年には、井上陽水さんの名曲が主題歌の映画「少年時代」を企画・製作しました。戦時下に疎開した少年たちを描き、日本アカデミー賞など多くの映画賞を受賞しました。
2005年には、日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞、2008年には、旭日小綬章を受章しました。数多くの人気漫画を世に送り出し、漫画業界の発展に貢献したことが評価されました。74歳での受章で、当時、次のように話していました。
藤子不二雄Aさん
「章とは縁がなかったので、勲章がいただけるということで、本当にびっくりしている」
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「忍者ハットリくん」や「怪物くん」など子供も夢中になれる作品を生みだす一方で、現代社会の心の闇を切り取るブラックユーモアも藤子不二雄Aさんが愛された理由でした。年代を問わず幅広い層に親しまれた作品は、今後も読み継がれて漫画家を目指す多くの若者に影響を与え続けていくと思います。
(2022年4月7日放送「news every.」より)
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