戦後最悪の火山災害となった御嶽山の噴火から27日で7年…いまだ行方不明の息子を捜す父は今年も普段は立ち入れない山頂の捜索を行いました。小5の娘を亡くし自身も被災した母は今も噴火の悪夢に苦しめられるといいます。
噴火から7年。長野県王滝村では新型コロナの影響で追悼式は中止され、関係者による献花が行われました。
大勢の登山客を襲った7年前の噴火では58人が死亡、5人が今も行方不明です。
今月21日、長野県王滝村にある御嶽山の登山口では、野村敏明さんが、いまも行方不明の息子、亮太さんを捜すために、山に登る準備をしていました。
「7年経ってやっと亮太の一番近くに行けるのかなって。期待というか、いろいろ複雑な思いがあります」(野村亮太さんの父・敏明さん 21日)
愛知県刈谷市の亮太さんは、噴火の時は19歳でした。あの時、亮太さんと共に御嶽山に登っていた叔父の正則さんも捜索をします。
「2時間という限られた捜索ですけど、悔いなくしっかりやりたいと思います」(亮太さんと登山していた 叔父・正則さん)
「7年経ってやっと亮太の一番近くに行ける」立ち入り規制エリアの捜索続ける父と叔父
山を登ると、亮太さんと登った7年前の記憶がよみがえります。
「当時ここで、亮太が写真を撮ったところですけど『やっと八合目だね』っていう話をして、『山頂はあの辺だ』『まだまだ先だね』って、そんな話だったと思います」(亮太さんの叔父・正則さん)
噴火が起き、良太さんの行方が分からなくなったのは「八丁ダルミ」と呼ばれる場所です。
今は立ち入りが規制されていますが、2020年に続き、今年も捜索を行うことが許可されました。
2時間という限られた時間で、亮太さんが避難した可能性がある岩の周りなどを探しました。
「簡単ではないことがよくわかるけど、迷いが出てくるよ。特に何も出てきたというところはなく、残念ながら手がかりまでは見つかりませんでした」(亮太さんの父・敏明さん)
難しさを感じる結果となりましたが、これで終わりではないという思いが強まったといいます。
「いつになるか分かりませんけど、必ず手がかりを見つけて連れて帰りたいという思いを今日強く感じました」(亮太さんの叔父・正則さん)
小5の娘亡くし自身も被災の母「マスクつけると火山灰で苦しかった記憶が…」
噴火2分前に撮られた写真。山頂では30人以上がそれぞれの思いに耽っていました。その中には、犠牲になった小学生の女の子もいました。
小学5年生だった愛知県豊田市の長山照利(ながやま・あかり)さん。母親や友人らと17人のグループで登っていました。
噴火当時、母の文枝さんは山頂には到着しておらず、近くの岩陰に隠れながら、娘の無事を祈りました。
「死を覚悟する状態だったので、頂上はもっとすごいと想像できたので、心の中で必死で名前を呼んでいた」(長山照利さんの母・文枝さん)
あれから7年が経ちました。
「明るくて友達もたくさんいて、噴火がなければ部活とか楽しんで学生生活を送っていたのではと想像できます」(照利さんの母・文枝さん)
文枝さん自身も被災者として、当時の記憶に苦しめられることがあるといいます。
「コロナ禍になり始めて、マスクをつけると、当時のことが思い出されて、息苦しくてマスクをつけるのが嫌だった」(照利さんの母・文枝さん)
なれる前はマスクをつけると、火山灰で息苦しかった記憶がよみがえったといいます。
「当時の噴火の様子を、今も半年や年に1回夢にみます。噴石が落ちてくる状況が夢で再現されて、起きたときは『あ~』という感じです」(照利さんの母・文枝さん)
国と県に損害賠償求める遺族ら 父は29日の法廷で証言へ「63人の思いを」
照利さんの父、幸嗣さんは噴火当時の娘の足取りを追い続けています。
「照利が噴火に遭ってから亡くなるまでの時間、どういう経路で逃げたりしたのか、いまだに分からない」(照利さんの父・幸嗣さん)
遺族らは国と県に損害賠償を求める訴えを起こしています。
「63人も犠牲者を出しておきながら、国としては『やることはやった』みたいな対応。火山性地震の回数とか山体膨張とか普段とは違う状況になってきていたにも関わらず、現場も何も知らなかった」(照利さんの父・幸嗣さん)
幸嗣さんは29日の証人尋問で、被災者の家族として法廷で証言するといいます。
「被災者の家族全員が原告ではないが、命の尊さや重みは一緒ですから、63人の思いを裁判でぶつけていければと思ってのぞみたい」(照利さんの父・幸嗣さん)
(9月27日 15:40~放送 メ~テレ『アップ!』より)
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