ウクライナ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=8435 / CC BY SA 3.0
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ウクライナ(ウクライナ語: Україна、[ukrɑˈjinɑ])は、東ヨーロッパに位置する共和制国家。
首都はキエフ。
東にロシア連邦、西にハンガリーやポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、北にベラルーシ、南に黒海を挟みトルコが位置している。
ウクライナがかつて統治していた領土のうち、クリミア半島は2014年にロシアが併合を宣言して実効支配しているほか、東部2州の一部は親ロシア派武装勢力が支配している(クリミア危機・ウクライナ東部紛争)。
16世紀以来「ヨーロッパの穀倉」地帯として知られ、19世紀以後は工業を含めた産業地帯として大きく発展している。
天然資源に恵まれ、鉄鉱石や石炭など資源立地指向の鉄鋼業を中心として重化学工業が発達している。
キエフ大公国が13世紀にモンゴル帝国に滅ぼされた後は独自の国家を持たず、諸侯はリトアニア大公国やポーランド王国に属していた。
17世紀から18世紀の間にはウクライナ・コサックの国家が興亡し、その後はロシア帝国の支配下に入った。
第一次世界大戦後に独立を宣言するも、ロシア内戦を赤軍が制したことでソビエト連邦内の構成国となった。
1991年のソビエト連邦の崩壊に伴い現在のウクライナ国家が成立した。
本来の「ルーシ」「ロシア」とは、現在のロシア連邦よりもウクライナを指した。
歴史的・文化的には中欧・東欧諸国との関係も深い。
ウクライナの最高法規たるウクライナ憲法によると、当国の正式国号は「Україна」である。
公式の英語表記は「Ukraine」(ユークレイン)である。
日本語の表記は「ウクライナ」となっている が、2019年7月に在日ウクライナ大使館はウクライナ語を基にした「ウクライーナ」と表記すべきであるとの意見を表明した。
しかし、その後の2019年9月、同大使館や日本国外務省の代表者や国会議員、ウクライナ語専門家の参加を得て開催されたウクライナ研究会主催の「ウクライナの地名のカタカナ表記に関する有識者会議」にて「国号について、ウクライナの変更はしない」との結論が出され、同大使館案は採用されなかった。
漢字表記は現在の日本では滅多にされないが、「宇克蘭」、または「烏克蘭」 である。
「ウクライナ」というスラヴ語の地名の初出は、『原初年代記』イパチー写本の「キエフ年代記」、1187年の条である。
この地名は、キエフ公国・チェルニーヒウ公国と並んでルーシ大公国の歴史的中枢地に含まれるペレヤースラウ公国の範囲を示している。
また、この地名は他のルーシ年代記の1189年の条、1213年の条、1280年の条 にも「ウクライナ」あるいは「ヴクライナ」という形で登場し、ガリツィア地方、ヴォルィーニ地方、ポリーシャ地方を指す用語として用いられている。
13世紀にルーシ大公国が滅び、その中部・南部の地域がリトアニア大公国とポーランド王国に併合されると、「ウクライナ」は併合地の領域を表す地名としてリトアニア・ポーランドの年代記や公式文書などに使用されるようになる。
14世紀から17世紀にかけて広義の「ウクライナ」はルーシ人が居住するガリツィア地方、ヴォルィーニ地方、ポジーリャ地方、ブラーツラウ地方とキエフ地方の範囲を示し、狭義の「ウクライナ」はキエフを中心としたドニプロ川の中流域を示している。
「ウクライナ」の地名の両義性は、ウクライナ・コサックのヘーチマン国家が誕生する17世紀半ば以後にも東欧の古文書にみられる。
狭義の「ウクライナ」は当国家の支配圏を指しているが、広義の「ウクライナ」は当国家の支配圏外のルーシ人の居住地を意味している。
しかし、ヘーチマン国家がロシアの保護国になることにより、「ウクライナ」はドニプロ川の中流域だけを意味するようになり、17世紀以降はルーシの本土を意味する小ルーシという地名の同義語となった。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ルーシ系の知識人による民族運動が発展していくにつれて、「ウクライナ」はルーシ人が居住する民族領域を意味する名称となり、「ルーシ人」は「ウクライナ人」という民族名に取って代わられた。
1917年に成立したウクライナ人民共和国において初めて、「ウクライナ」という名称が正式な国号の中で用いられることとなる。
V・コロネリによる東欧地図(1690年)。
キエフを中心とした地域は「VKRAINE ou PAYS DES COSAQUES(ウクライナあるいはコサックの国)」と記されてい…
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