“Tatsunoko Taro–Taro: The Dragon Boy” Opening TV Version. directed by Kirio Urayama

貴重な浦山桐郎監督「龍の子太郎」オープニングのテレビ放映バージョン。主題歌は3番まであり、オリジナル・オープニングでは2番まで収録されているが、TV放映時は再編集され1番のみに短縮されている。また、テロップも置き換えからロールに変更。オリジナルのタイトル文字は、スタッフ・キャストの文字までも、クレジットにも出ている星野忠雄氏によると思われる筆文字になっているが、テレビ版はメインタイトル以外は写植になっている。オリジナルでは「タイトル文字 星野忠雄」という表記だが、テレビ版では「メインタイトル 星野忠雄」と唯一表記が変更されている。星野氏は、長年、東映の手書き文字を担当された方だろうか。
 新たな写植文字のロールは、テレシネの時に入れるのではなく、本編の質感とあわせるため、わざわざ再撮影・再現像されたと思われる。当時はデジタル撮影など存在しなかった時代。1分半ものスタッフ・キャストロールをフィルム撮影するには、撮影台に取り付けられたハンドルを少しずつ動かして、0.数ミリずつ台を移動させ、それを1コマ1コマ、シャッターを押し35mmのハイコントラストフィルムで撮影、さらにそれを現像所でバックの絵に焼き付けるという、手間も時間も費用もかかる。それをこのたった一回限りのテレビ放映のために行なったわけである。
 テレビ版のメインタイトルが出る瞬間、画面が大きく揺れている。プリント済みの16mm版ポジフィルムに、撮り直したオープニングを、ダイレクトに編集テープか編集用セメントで繋いだ可能性もある。ただしテープ痕が見られないので、セメントの可能性が高い。テレシネ元素材が16mmであっても、クレジットは35mmのハイコンフィルムで撮影するのが通常である。(東映は、東映W一〇六方式で制作された「飢餓海峡」( 1965年/監督:内田吐夢、撮影:仲沢半次郎、東映W一〇六方式指導:碧川道夫 宮島義勇)以降、「仁義なき戦い 広島死闘篇」(1973/監督:深作欣二)、「実録三億円事件・時効成立」(1975/監督:石井輝男)など、16mm挿入がたびたびあり、「仁義なき戦い代理戦争」(1973/監督:深作欣二)の16mm撮影部分では、渡瀬恒彦の顔の上に、テープと思われる大きな編集痕が写っている)。
 写植の左端が、オンエア時やや切れており、撮影時、テレビのテロップフレーム(テレビフレーム、セーフティゾーン)をあまり意識しなかったと推察される。
 また本作オリジナルはシネマスコープで撮影されており、通常シネスコは、テレビ放映時にスタンダード(4:3)にトリミングされる(左右が大きくカットされる)が、この作品はビスタビジョンサイズで放映されている。
 他の東映動画の劇場用長編は、テレビ放映の際、大幅にシーンをカットするが、本作はオープニングを作り直した以外はノーカットである。
 関係者(プロデューサー、もしくは監督、もしくは東映の担当者)がこの映画をテレビ放送であっても慎重に、大切に取り扱ったことが伺える。たとえ一回きりのテレビ放映で、オープニングを短縮するのであっても、わざわざ再撮影・再編集してスタッフ・キャスト全員の名前を入れるというのは、作品への敬意と愛情が無ければ、なかなかできることではない。
 本作が関東地方の地上波テレビで放映されたのは1回限りと思われる。

オリジナル・オープニング https://www.youtube.com/watch?v=Sk2RRraKq9s

予告編 https://www.youtube.com/watch?v=79NXUTkYAEo

 公開直前、民放の朝のワイドショーで、本作宣伝のための特集が組まれた。生中継の番組の中で、原画担当の角田紘一氏が透明のボックスの中に入り、番組で紹介中、原画作業を一般の観覧者の前で進めるという、やや乱暴な企画もあった。その時、角田氏は、熊との相撲のシーンを描いていたが、特集終了間際「今日はあまり描けなかった」と苦笑していた。
 2000年頃、某NPO法人主催の上映研究会で、当時のスタッフから、この作品制作時のすさまじく壮絶な(殆どが浦山監督に関する)エピソードが公開された。当初浦山監督は若手のシナリオライターに書かせたが、この出来がよくなく、現場の猛反対に合い、監督自ら脚本を書き直したところ、すばらしいものができあがった。また、浦山監督は当初天狗を男性器のデザインで行こうとしたが、これも現場の反対にあい中止となった。東映上層部が浦山監督に気をつかい、毎夜、仕上げなどの女性スタッフに酒の酌に行かせた。浦山監督は酒に強く、飲み会は毎晩のように続いたが、ある夜、浦山監督は何を思ったか、突然ガラスのコップを素手に握りつぶし手が血まみれになった。なぜそのような行動をとったのか、そばにいたスタッフは呆気にとられ、確認する余裕もなかった。
 浦山監督は、特に美術に対し、社会派リアリズムに基づく厳しい注文とリテイクを出した。当時の日本の貧困な山間地帯の生活や貧富の格差などを描ききっている。浦山監督ならではの視点とそれに応えた東映動画の美術スタッフの力量の成果である。
 アニメーションではめずらしく、1シーン=1カット=FIXの手法が多用されており、本作に続く1980年公開の「地球へ…」(監督:恩地日出夫)も、1シーン=1カット手法が多用されている。
 東映動画長編ではめずらしいことではないが、本作も、テレビアニメの声優でなく、舞台や映画の俳優が起用されており、また、アップを極力避け、ロングショットを多用する。これらは、1シーン=1カット=FIXの手法とともに、「地球へ…」にも引き継がれている。恩地監督は、「龍の子太郎」には直接言及していないが、他にも実写的な手法を盛り込み、「照明の位置と影の関係を統一させる」(「ロジャー・ラビット」の先駆けとなった)、カメラの位置を人間の目の高さ=約1・4メートルの高さで固定(「ゴッドファーザー・シリーズで、フランシス・コッポラと撮影のゴードン・ウィリスが行なった手法)、宇宙空間の戦闘シーンまでも1シーン1カットで行ない、さらには佐藤勝との対談で、クロード・ガニオン監督「Keiko」を例にあげるなど、浦山氏のアニメーション初監督ぶりを意識していた感も垣間見える。
 プロデューサーの山口康男氏は、浦山監督の長回し演出について、「50秒のフルショットはざら。その分、作画枚数・セル枚数も増え、モブシーンも多い」「カメラは動かすものではないというのが浦山監督の基本理念」と述べている。
 浦山監督は、本作で、脚本やコンテも担当し、当時アニメーション映画には監修的な立場の多かった実写監督としては初めて細部まで本格的に関わった。(ただし、原画・動画~撮影の専門的な行程は葛西治氏が担当した)。
 本作は、1960年代、一回東映動画で企画され、シナリオ・キャラクターまでできていたが流れたいきさつがある。1980年代、東映動画の作品は低調気味で、演出出身のプロデューサー:山口康男氏は、現場では「民族の原点を求めるようなものをやりたいという気運がもりあがっていた」という。
 過去、一回東映動画を退社後、再び古巣の東映動画に戻った、作画監督の小田部氏と奥山氏は、「東映動画長編アニメ大全集」(東映動画:編、発行:徳間書店 1978年発刊)の中で、「ただ長いだけの長編アニメを作るだけなら、いくらでもある。東映動画が長編を作る意義は、他では絶対に作れないもの、その部分が東映動画には残っている。私たちも久々にものを作っているという感じがしている」とコメントを寄せている。小田部氏と奥山氏は、当初、監督に高畑勲氏を希望したが、会社側から「予算的にもスケジュール的にも無理」と言われたという。
 浦山氏は「今度の仕事を引き受けた理由として、プロデューサーの方の理由がキチンとしていて、ああよく見ているなという感じが持てたから」と同書籍内で述べている。
 水墨画のように見える背景画は、ジェッソを地塗りした画用紙にポスターカラーで描かれているそうだ。私が東映動画を取材した際、美術の土田氏は「綺麗と言われないような背景を目指した」と述べていた。
 キャラクターデザイン・作画監督の一人奥山玲子氏は「波は東映の伝統なので、どんなフォルムにするか考えました」と述べている。結果的に仕上がったのは、緑のよもぎうどんのようなかつてない独創的なフォルムで、そこに東映動画伝統の特殊効果「波タッチ」(彩色済のセルにさらに特殊効果担当者が、波しぶきを1枚1枚、細かく筆や金網ブラシ等で描き込む)が加わり、迫真の描写となっている。原画に参加したアニメーターの荒木伸吾氏は、のちに自身が担当したテレビアニメで、このよもぎうどんの波を描いている。
 過去に発売されたVHS、DVD(現在は廃盤)では色あせ、質感も圧縮され、オリジナルプリントも退色が進んでいるが、公開時の色彩は見事なものだった。
 晩年、仕事に恵まれなかった浦山監督は、本作の16mmプリントで自主上映会を各地で開いていたという関係者の証言がある。また、地域のNPO法人や市民団体の手によって自主上映も数回行なわれている。うち一回の上映は確か、退色の進んだプリントを危惧し、新たにネガから焼いた16mmプリントでの上映だったと記憶する。(市民団体の中に、東映動画出身者がいたため実現)。

 関西テレビで放送されたビデオ・ドキュメンタリー「映画監督 浦山桐郎の肖像」(1998年/製作:関西テレビ・疾走プロダクション/演出:原一男/構成:小林佐智子)でも龍の子太郎は、浦山監督の母への思慕という流れの中で紹介されている。

 主題歌「龍の子太郎」(作詞:若林一郎・浦山桐郎/作・編曲:真鍋(眞鍋)理一郎/歌:加藤淳也、コロムビア合唱団)は公開当時シングル・レコードが発売されたのみだったが、復刻されたCD「眞鍋理一郎の世界」に、ボーナス・トラックとして収録されている。
 音楽の眞鍋氏は、報道用のプレスシートの中で、「浦山監督+アニメ+東映」の稀な関係性に興味を示している。眞鍋氏は、本作担当の縁がきっかけか、同年6月公開の東映映画「地獄」(神代辰巳監督)の音楽も担当している。(眞鍋氏は1960年から東映作品の作曲を開始しているが(勿論、大島渚監督「天草四郎時貞 」も含まれる)、1965年から本作1979年まで、東映作品は遠ざかっていた)。
 作詞者の一人・若林一郎氏は、日活映画「事件記者」シリーズの脚本などを担当した、脚本家・劇作家の若林一郎氏と思われる。
 公開当時発売された主題歌・劇中歌を収録したシングル・レコードには作詞に浦山氏の名前が無い。70年代、東映の主題歌(監督が作詞)レコード化でよく起きた、JASRAC登録上の問題か。(鈴木 則文:著「新トラック野郎風雲録」 (ちくま文庫) 文庫などを参照)。浦山氏の詞を、若林氏が大きくアレンジした可能性もある。
 この作品は同年に公開された「ルパン三世カリオストロの城(製作:東京ムービー、配給:東宝、監督:宮崎駿)」と大藤信郎賞を争ったが、軍配はカリオストロの城にあがった。それは「龍の子太郎のラストには、太郎の母親のオールヌードのシーンがあったからではないか」と、一部のファンはアニメーション同好会の機関紙でささやいている。

原作:松谷みよ子、企画:有賀健、山口康男、アニメーション演出:葛西治、音楽:眞鍋理一郎、作画監督:小田部羊一・奥山玲子、美術:土田勇、撮影:山田順弘、高梨洋一 編集:千蔵豊、録音:波多野勲、音響効果:伊藤道広

声の出演:加藤淳也、冨永みーな、熊倉一雄、北村和夫、黒田絢子、矢吹寿子、樹木希林、左奈田恒夫、酔銘亭桐庵、吉永小百合、ナレーター:黒田絢子

1979年3月公開 製作:東映動画、配給:東映 1979年国際児童年記念作品

75分 カラー モノラル 35mmシネマスコープ(1:2.35) 映倫番号:19481 洋題:Taro, the Dragon Boy

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