100分de名著 ドストエフスキー“カラマーゾフの兄弟”2▽神は存在するのか[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

100分de名著 ドストエフスキー“カラマーゾフの兄弟”2▽神は存在するのか[解][字]

イワンに、絶対的な悪が存在する以上「神が創ったこの世界は認めない」と議論を投げかけられるアリョーシャは、ある事件をきっかけに信仰のゆらぎに直面させられる。

番組内容
問題解決のために町中を奔走するアリョーシャ。そんな彼にイワンは、絶対的な悪が存在する以上「神が創ったこの世界は認めない」と議論を投げかけ「人間は所詮自由の重荷に耐えられずパンを授けてくれる相手にひれ伏すだけだ」と告げる。更に尊敬する師ゾシマ長老が死亡。その死に直面したアリョーシャは信仰上の激しい揺らぎにさらされる。第二回は「神は存在するのか」という作者が問い続けた根源的な問いに迫っていく。
出演者
【講師】名古屋外国語大学学長…亀山郁夫,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】津田寛治,【語り】加藤有生子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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  1. イワン
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  19. 大事
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

NHK
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修道僧アリョーシャと 無神論者のイワン。

二人は 神の存在をめぐって
激しく議論します。

そこで交わされたキスの意味とは…?

イワンの可能性といったものにかけて

彼は キスをしたんだろうというふうに
解釈すべきなんじゃないかな。

いや ちょっと震えたな 今のは。

「神」のいる世界で
なぜ 悪が はびこるのか?

第2回は 信仰と現実の間で揺らぐ
人間の姿を通して

ドストエフスキーが問い続けた
「矛盾」に迫ります。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の…

さあ 今回の名著は
小説「カラマーゾフの兄弟」です。

第1回で 主要登場人物を
ご紹介しましたけど 更に出てきますよ。

頑張って ついていきたいと
思います。 はい。

指南役の先生 ご紹介します。
ロシア文学者の亀山郁夫さんです。

お願いいたします。
よろしく。

前回は カラマーゾフ家の父と
息子たちの

財産や女性をめぐる確執を
見せて頂きましたけれども

これに続いて語られるのは
どういう話になるんでしょうか。

この三男のアレクセイ
アリョーシャをめぐる

子どもたちの物語なんですね。

極めて唐突なんですけれども

アリョーシャと 町の小学生たちの
エピソードというのが

この「カラマーゾフの兄弟」 第一の小説の
ラストで大きく花開くことになります。

さあ では そこからご覧頂きましょう。
朗読は 俳優の津田寛治さんです。

父と兄の不仲に悩みながら
アリョーシャが歩いていると

小さなドブ川を挟んで向き合う
子どもたちがいました。

手前に6人 向こう岸に1人。

彼らは やがて 石の投げ合いを始めます。

向こう岸から飛んできた石が
アリョーシャに当たると

手前の集団にいた少年は言いました。

それでも 石投げは続き

向こう岸にいた少年の胸に
石が当たりました。

泣きながら去っていく少年。

追いかけるアリョーシャに
他の少年たちが警告します。

追いつかれた少年は
アリョーシャに石を投げつけ

いきなり 飛びかかったかと思うと…

アリョーシャの指を 激しく噛みました。

大きなショックを受けたアリョーシャは
言います。

なんとも不思議な出来事ですけれども

実は アリョーシャと あの少年は
関わりがあったんですよね。

そうなんですね。
この一件が終わったあとに

ドミートリーの婚約者である
カテリーナさんからですね

ドミートリーが この
ある この二等大尉

スネギリョフという人を
かなり侮辱したので

この人に対して お見舞いに行ってほしい
ということを頼まれるんですね。

それを聞いた時に
アレクセイは ひょっとして

あの少年のお父さんかなっていうふうな
連想が働くんですね。

そこで まあ スネギリョフの
物置小屋のような そんなおうちを

訪ねることになります。

スネギリョフという
出てきた人物ですが

こちらが自己紹介の口調です。
セリフですね。

と まあ…。
何か それ ちょっとコントチックな というか…。

何か 「私 『ございます』二等大尉って
言った方が

みんなには通りがいいんで
ございますけども」っていう

もう 何か
落語的な人ですね。 ほんとですね。

1861年の農奴解放後 間もなく
この物語が成立するわけですけれども

その当時は
ロシアっていうのは混沌としていて

お金が いかにね ものすごい力を持って
人間を支配してるかって

格差社会の持ってる悲劇がですね

大きく大きく こう浮上してきた
そんな中の いわば典型的な人物

貧しいスネギリョフですね。

言ってみれば 自尊心を
完全に喪失しきった人間というふうに

まあ はた目からは見えるんですが

実は 極めて
誇りの高い人物でもあるわけなんですね。

そんなに自分を卑下しちゃってる
お父さんを バカにされることが

そんなに許せない子どもって
すごいですよね。

逆だ。 ほんとですね。
逆なんです。

さあ いよいよ このあとはですね

本作最初のクライマックスが
やって来るんです。

「プロとコントラ」というところなんですが。

「肯定と否定」という意味に
なるんですけれども

相反する二つの原理を表すと
思っていいんでしょうか。 そうですね。

生命という観念があるとするならば

かたや 死という観念があると。

かたや キリスト教
かたや 革命思想という

この「プロ」の思想というものをですね
アリョーシャが担い

「コントラ」の思想というものを
いわば イワンが担う形で

象徴層における「父殺し」の問題が
描かれていくっていうことなんですね。

そこで まず語られるのが無神論者

つまり このコントラの体現者である
イワンの主張なんです。

小料理屋で出会った
イワンとアリョーシャは

「神」について 激論を交わします。

神がいるなら
なぜ 世界に 悪がはびこっているのか…。

イワンは 最も恐ろしい例を挙げて
アリョーシャに迫ります。

イワンは 次々と
幼児虐待の例をあげつらいます。

暴動のさなか トルコ人が
妊婦の腹から 赤ん坊をえぐり出した話。

5歳の娘に 殴る蹴るの暴力を振るった
ロシアの 教養ある両親の話。

そして 飼い犬に石をぶつけて
けがをさせた少年を裸にして

猟犬の群れに噛み殺させた将軍について
イワンは アリョーシャを問い詰めます。

神がつくった世界は 調和に
満ちているとされるキリスト教の世界観。

その中で 子どもたちが犠牲となり
苦しんでいるのは理解できないと

イワンは こう宣言します。

この時のイワンの言葉って
別に へ理屈でもないし

僕なんかも 無神論者なんで

まっとうなことを言ってるように
聞こえますけど。

その神の下で
なおかつ 不幸は存在するという

キリスト教の考え方からすれば 最も
大きな矛盾ということになるわけですね。

その矛盾を どうやって解決できるのか。

究極の問題を アリョーシャに提示して

アリョーシャという人間の

本当のところを
見たかったんだと思うんですね。

一人の人間として この問題に怒りを
やっぱり ぶつけるということは

当然 あるべきことなんだと。

確かに 自分の弟として
このアリョーシャという人間が

いつかは 神が何とかしてくれるって
言いだしちゃうと

それは もう幻滅も幻滅なんでしょうね。
そうですよね。 はい。

で イワンというのはですね ず~っと
ある一つの思想を展開してきました。

それは 「神がいなければ
すべては許される」という考え方なんです。

非常に恐ろしい言葉で

もしも 神が存在しないならば
監視するものは いないわけなので

殺人を犯しても
かまわないしという

ある意味では
どんな不道徳も許されるという

そういう その哲学を
彼自身は持っていたんです。

で いわば この議論を前提として…

はい。 「カラマーゾフの兄弟」の中で
最も難解で かつ有名だという作中物語

「大審問官」をご覧頂きましょう。

物語詩「大審問官」の舞台は

異端審問の嵐吹き荒れる
中世末期のスペイン セヴィリア。

街は
教会の絶大な力で治められていました。

そこに イエス・キリストとおぼしき
「彼」が現れます。

「彼」は 死んだ娘をよみがえらせるという
奇跡を起こしますが

権力者である大審問官は
「彼」を捕らえて 言います。

福音書の「マタイ伝」には

「人は パンのみに生くるにあらず」という
キリストの言葉があります。

ところが大審問官は 精神の自由より
飢えの充足の方が重要。

つまり 「天上のパン」より「地上のパン」が
大事だと主張するのです。

「あれ」とは 悪魔のこと。

つまり 自らが反キリストの立場に
いることを 大審問官は認めたのです。

大審問官を認めるようなキリストのキスで
イワンの物語詩は終わります。

あの~ まず亀山さん
2つのキスが出てきましたけれども

あれ
それぞれ どういう意味なんでしょうか。

非常に難しいですね。 でも僕は
ここの場面が非常に好きなんです。

で これは あくまでも
イワンが作った物語詩だということを

前提にしなきゃいけない。

当然 これはイエス・キリストは大審問官に
「分かった 君を認めるよ」という

「敗北宣言」としてあるキスだというふうに
解釈すべきだと思うんですね。

ところが
キスをされたあとにですね

大審問官の心が
一瞬 熱く燃えるんですね。

つまり 彼の中に
もちろん 信仰心が残っていて

それが 一瞬ながらも燃え立つという
描写があるんですよ。

そこでは…

恐らく…

…というふうに
解釈すべきなんじゃないかな。

そうするとね…

そうなんですよ。
そうですよね。

だって 無意識のうちに 自然に

大審問官の中に
何か 生まれたっていう描写を

なぜか
入れちゃうわけですよね。 そうです。

本当に そこが大事なんですよね。

で ドストエフスキーは
アリョーシャについて

現実主義者だって
言ってるんですね。

人間の心を 意外と スパッと
見抜くところがあって。

それを やっぱり見てるんですね。

いや ちょっと震えたな 今のは。

このあとの展開をいきますと

アリョーシャが尊敬してる
ゾシマ長老は亡くなるわけです。

で アリョーシャが彼の伝記

「ゾシマ長老の一代記」を
書くことになるんですが

「傲慢だったゾシマの兄が 病になって

おだやかな心を得る」という話。

また 「ゾシマ自身が
決闘することになるんだが

思いとどまる」という話が描かれます。

ドストエフスキーにとって
最大のですね 問題というのは

傲慢っていうことだったんですね。

ゾシマ自身も 極めて傲慢な
若い時代を生きていて

それが まあ
ある事件をきっかけにして

更生して
自分の傲慢さを捨てるという。

傲慢を捨てるということは
まさに 「プロ」の思想であり

キリスト教的な 非常に大事な

思想のコアにあるものと
言ってもいいと思います。

あの「銃殺するべきだ」っていうところで
一度 負けかかりますよね。

そうです。

そうですね。 はい。

この傲慢さを捨て なおかつ
人に対して 裁くということを捨てて

善も悪も ひとしく
自分の中に受け入れていかないと

一人の人間として 成熟という道をたどり
聖人の道は たどれませんよというのが

その ドストエフスキーの根本思想だった
ということが言えると思います。

イワンの無神論と
ゾシマ長老の伝記に書かれた

まあ ある意味
有神論 神は いるという

象徴層における議論が
展開されましたけれども。

まさに そうですね。
その二つの間に

イワンとスメルジャコフの
対話シーンというのが

入ってくるんですよ。
お~ 出てくるんだ。

そうなんですね。 モスクワから
やって来た イワンはですね

「神がいなければ すべては許される」
という この根本思想によって

なぜか このスメルジャコフを
魅了してしまうんですね。

果たして 完全な崇拝かというと
クエスチョンもある。

当初 何か面白いやつだと

イワンは スメルジャコフを
結構 大事にするんですが

徐々に徐々に
慣れ親しんでいくにしたがって

一種の近親憎悪の関係が働いていきます。

さあ
どんな対話シーンになるんでしょうか。

ご覧頂きましょう。

アリョーシャと別れ
父の家に行った イワンに

スメルジャコフは
謎めいた問いかけをします。

更に スメルジャコフは言い連ねます。

フョードルが グルーシェニカのために

ひそかに用意している現金
3, 000ルーブルを奪うために

ドミートリーが
踏み込んでくるかもしれないこと。

そして グルーシェニカが財産目当てで

フョードルと結婚する可能性も
あることを…。

つまり 明日 何か起こると
ほのめかしているのです。

スメルジャコフの話を聞いたイワンの顔は
なぜか ゆがみ 真っ赤になりました。

そのあと イワンは
眠れない夜を過ごします。

モスクワに帰る予定だった 翌朝

イワンは突然
スメルジャコフに こう告げます。

そして イワンが出発した日の夜

ついに
フョードルは殺されてしまうのです。

「父殺し」が起きましたね。
起きましたね。 起きましたね。

まずは あの対話ですよね。
はい。

この 行くと言っている
地名に ご記憶はありませんか?

俺 これ ほんとに思った。
今 朗読 聴いてる時に。

ドストエフスキーのお父さんが
殺されたとこじゃない?

えっ すごい!
よく ご記憶でいらっしゃる。

なおかつ ドストエフスキーの父親は

農奴によって殺されたと
されてるわけですよね。
はい はい。

この農奴のことを ロシア語ではですね
「スメルド」って言うんですね。

ということは 何か非常に意味深に
ここを この場面 つくってるんですよね。

一方で 物語層においての このセリフが
どういう意味を持ってくるのかっていう。

そうですよね。
チェルマシニャーっていう村はですね

この いわば
カラマーゾフ家の財産であるわけです。

何とか処分したいと
父親は このイワンに

チェルマシニャーに行って
交渉にあたってくれと言うわけですね。

「私は これから
モスクワに行くんだ」と言って

彼自身は それを否定するんですが
最後の最後になって ひと言 ぽろっと

「チェルマシニャーに行く」って
言うわけですよ。

そしたら 何か スメルジャコフは

何かを読み取ったわけですよ。

その 何かを読み取ったかっていうことを
言ってしまうと まあ 言ってみれば

ネタバレになってしまうというか。
はいはい。

ここは 何も語らないでおきたいなと。

イワンの あの夜の行動というのは
いかにも不審な感じでしたよね。

自分の父親が 今 何をしてるの? って
まさに これから死ぬかもしれない

人間のですね 行動を探るというのは
まさに 神の視点に立ってるんですね。

神の視点に立って
自分の父親の死というものを

いわば 「黙過」するっていうんですか。
黙過っていうのは まさに

見て見ぬふりをするということ
なんですが。

イワンは 地上の不幸に
神が 手を差し伸べないという

この現実に 激しい怒りを表明しながら
自分自身は 父親の死を黙過してるという。

じゃあ一体 フョードルって
一体 誰が殺すのか殺されたのかという

これが 次回のテーマということに
なるんでしょうか。

はあ~
俺 二択になったな。 誰と誰の?

スメルジャコフと 長男。

あ ドミートリー。
ドミートリー。

ミステリーの度合いも深まってきてますしね。
深まってきてます。

はい 今回も
ありがとうございました。 どうも。

♬~

北海道にお住まいの
ニックネーム カナコさんです。

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