昭和の漫才。大阪の漫才はほのぼのと笑えましたが、東京のには、なぜか、いじめを連想させるようで笑いがひきつりました。あほと馬鹿の使い方の違いかもしれません。「馬鹿」が上から目線の罵倒なのに対して、「あほ」には、少し愛情が含まれているからなのでしょうね。後に、沢田研二の歌に「憎み切れないろくでなし」という曲がありましがた、アホを東京弁に訳すとさしずめこの曲名のようなニュアンスかもしれません。
そのアホを前面に出して漫才に挑んだのがコメディNo.1(コメディナンバーワン)。1967年から2009年まで活動した漫才コンビです。所属事務所は全期間を通じ、吉本興業大阪本部。略称は「コメワン」。コンビ名は吉本新喜劇の作家檀上茂が命名しました。
坂田利夫さんと前田五郎さんのふたりは吉本新喜劇の座員でした。同じく新喜劇出身で、漫才で成功した西川きよしから「漫才はもうかるでえ」と転身を勧められ、コンビ結成。ラジオの深夜放送『ヒットでヒット バチョンといこう!』(ラジオ大阪)の土曜日を担当し、同番組の全曜日通じての最高聴取率を記録するほどの人気を獲得したほか、関西テレビ『爆笑寄席』での、体を張ったコントで評判を取りました。
放送メディアでは特に坂田ピンの活動が多くなり、コンビとしての活動は、なんばグランド花月などの舞台中心となりました。また2人はプライベートではほとんど付き合いがなく、コンビ仲が悪い漫才コンビの代表的存在といわれています。
前田五郎さんが2009年4月3日に起きた中田カウスさんへの脅迫状送付事件に関与していたと一部で報道されたため、「世間を騒がせた」という理由で同年5月25日よりタレント活動を休養。同年7月21日、吉本興業は前田五郎さんが大阪府警南警察署より参考人として任意の事情聴取を受けたことを明かし、あわせて同年8月31日をもってコメディNo.1の解散を発表し、その後、前田五郎さんは吉本興業を解雇されたのです。
合掌
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