出典:EPGの番組情報
歴史探偵「大江戸SDGs」[解][字]
江戸のくらしを調査!見えてきたのは何でも再利用し、ごみがほぼ出ない驚きのシステム。これ世界で今注目のSDGsにぴったり!?江戸に起こった知られざる気候変動も調査
番組内容
世界で注目されているSDGs。未来にわたり豊かな社会を持続させるための目標だ。実はこのSDGsの参考になると注目されているのが江戸のくらし。徹底した再利用が行われ、ごみがほとんど出なかった。さらに最新研究から、江戸時代が日本史上、一番雨が多く寒かった時期だったことがわかってきた。現代の2倍近くの雨が降ったという江戸。人々は、どうやってこの気候変動に対応してきたのか?歴史から地球の未来を考える!
出演者
【出演】佐藤二朗ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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キーワード出現数ベスト20
- 江戸
- 岡本
- 再利用
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- 縞柄
- 農民
- 未来
- お願いいた
- 河合
- 気候変動
- 降水量
- 浅利
- 長屋
- 歴史探偵
- 今日
- 仙台藩
- 着物
- 当時
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
おぉ~ おっ?
河合先生 今日 あれですね。
初めから いらっしゃるんですけど。
はい。 これ 初めてのパターンです。
そうですね。
初めてのパターンですね うん。
なぜか 所長が緊張してるっていう。
そうなの。
もう いきなり
先生が いらっしゃるとですね
もう 何か学校気分。
ムズムズしちゃいますけれども。
今日は 歴史の謎を
明らかにするだけじゃなくて…
…っていう壮大なテーマで
お送りします。
地球の未来?
♬~
「歴史探偵」。 今回はスペシャル版!
地球の未来を考えるために
徹底調査するのは 江戸の暮らし。
というのも
江戸って すごい町だったんです。
限られた資源を うまく活用し
およそ260年も
続いた社会でした。
しかも 江戸の経済成長率は
なんと 当時 世界トップクラス!
これは まさに今 世界が取り組んでいる
SDGsにぴったり。
持続可能な社会を実現するために
国連が定めた 17の目標です。
江戸を学べば 未来に役立つヒントが
盛りだくさん。
最新研究をもとに
江戸の暮らしを ひもときます。
「歴史探偵」 調査開始です。
♬~
ほう。 これは でも面白いね。
歴史から学ぶとは よく言うものの
それを ねえ
何か未来のことをね 歴史からね。
でもね 今年 来年で
学校の歴史教育も
そう変わるんですよ。
なるほど。
歴史を学んで
未来に生かすっていうのは まさに。
まあ 同じ 僕たちの先祖 人間が
やってきたことなんでね 歴史もね。
学ぶ そして それによって 未来を
変えることができるかもしれないねえ。
今回は 特別ゲストもお招きしております。
なんと!
SDGs教育に取り組んでいる
京都大学准教授の浅利美鈴さんです。
よろしくお願いいたします。
お願いいたします。
今日は 先生2人。
そうなんです。
実は 浅利先生は
ごみ問題のスペシャリストなんですね。
はい 実はね ほんとに…
ごみで… ほう。
(浅利)ですので…
…っていうのが
よく お分かり頂けるかと思います。
さあ この 地球の未来を考える
という重要な調査を担当したのは
SDGsに意識高い系 森田探偵です。
森田洋平探偵ですか?
どうもすみません。
やっと呼んで頂きました。
「歴史探偵」の森田でございます。
このSDGs やはりちょっと
最初 聞くと 大きなテーマだなあと
お思いになりましたよね。
私もね ちょっと腰が引けたんですよ。
ところが 実際 調査してみますと
目からうろこの発見が
数多くありましたので
是非 ご期待下さい。
いやいや これは期待しましょう。
ちなみに このSDGsですけれども
NHK自体も 公共メディアキャンペーン
というものを行っておりまして
我が探偵事務所でも
取り組んでいかなければならない
大事なことと考えて
われ… われ… ちょう… さ…
あっ かんじゃった~…。
あのさあ!
一番大事なとこ!
あのさあ…
一番 やっちゃいけないところで
やってしまいました。
一番やっちゃいけないことだ。
今 置きにいって失敗したよ? 今。
大変 失礼いたしました。
気を取り直しまして
まず調査したのは 江戸のごみ事情。
現代では考えられないシステムが
あったそうなんです。
ここですね。
おお~!
えっ 地下に
こんな町が広がってますよ。
(猫の鳴き声)
あっ 猫が鳴いた。
あそこ あそこに猫がいます。
あ~ 猫… 動いた!?
動いてますね。
こんなにリアル。
(鈴が鳴る音)
この施設は 江戸時代末の
深川の町並みを忠実に再現。
建物は 当時の工法で建てるという
こだわりよう。
更に 古文書や古地図に基づき
家族構成や職業まで設定。
ここは まさに 江戸そのもの。
あ~ こんにちは。
こんにちは。
「歴史探偵」の森田と申します。
深川江戸資料館 職員の
岡本でございます。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
今回は その 江戸のごみについて
調査しに来たんですけれども…
見てもらったら分かるんですけど
あんまり…
あっ これは 展示用に
きれいにしてあるんじゃなくて 実際に?
このぐらい
きれいな道でしたということですね。
江戸っ子は ルールを守って
ごみを捨てていたのでしょうか?
ごみ箱があるというので
見に行きました。
あっ こちらが ごみ。
ちょっと 中 のぞいてもいいですか?
(岡本)どうぞ。
おお~ お~。 …うん?
これは 長屋の共同のごみ箱。
驚くほど ごみが少ないですよね。
しかも 割れ物ばかり。
ここは ほんとに ごみが少ないというか…
えっ? で… 出なかったんですか?
どんな生活をすれば
そうなるのでしょうか。
長屋の暮らしぶりを調査します。
長屋の入り口。
あっ こういうふうに
門があったんですね 長屋って。
この門に 燃えるごみが
出なかった秘密が隠されていました。
(岡本)こちら。
あ これですか。
(岡本)はい。 何て
書いてありますでしょうか?
え~…。
「木ひろい
紙屑ひろい
一切 入べから須」
ですかね これね。
(岡本)はい そうです。
ん?
実は…
えっ?
なので… はい なので…
木とか紙くずを
自分で売ってたってことなんですか?
木くずは
燃料になるため
銭湯などに
売れました。
紙くずも 再生紙の原料として
買い取ってもらえました。
江戸では 数多くのものが
再利用されていたため
ごみが ほとんど出なかったのです。
これは SDGsで掲げられた
持続可能な消費・生産を目指す
「つくる責任 つかう責任」を
見事クリアしています。
調査を続けると 他にも驚くような
再利用があったことが見えてきました。
こちら。
こちら 四畳半の居間に
台所と土間のついた長屋です。
こちらは?
流し。
(岡本)そうです。
かまどの すぐ横に棚があって…
なるほど なるほど。
再利用されたのは この棚… ではなく
その下のかまどに
関係するものでした。
かまどを使って出てくるもの?
(岡本)はい。
え~と…。
ああ こっちで 火 使いますね。
(岡本)はい。
あっ 燃えかす?
(岡本)
燃えかす。 もうちょっと言いかえると?
(岡本)そうです。
灰!?
(岡本)灰です。
灰?
はい。 フフフッ。
わらや木くずなどを燃やして出た灰を
再利用していました。
灰を?
これは 灰集め専用のほうきです。
うわ そんなものもあったんだ。 灰を?
アルカリ成分を含む灰は
焼き物の釉薬に使われました。
また 火鉢の中に入れるなど
多くの需要があったのです。
考えてみりゃそうだね。
続いて むきみの政助さんの家。
何だろう?
(岡本)はい。
え~っと… あっ…
(岡本)はい そうです。
ああ!
深川といえば
アサリが有名。
身だけを売り歩いた
「むき身売り」という
商売がありました。
残った貝殻 これも再利用されました。
こちらが 米蔵ですね。
それが 蔵に塗られた…
貝殻が しっくいになるの? ほほう。
焼いた貝殻を
細かく砕いて作った しっくいを
「貝灰」と言います。
きれいな色ですよね。
きれいな色ですね。
あ!
美しさで有名な
あの姫路城にも使われました。
江戸文化を研究する…
なぜ 江戸の町で
これほど再利用が発達したのか
理由を聞きました。
そうではなくて ちゃんと…
今なら有料で引き取ってもらう ごみが
お金になる。
そんな仕組みがあったからこそ
再利用が進んだのです。
江戸っ子は ありとあらゆるものを
回収していました。
家々や銭湯を回って
灰を買い取る…
破れた傘も もちろん回収。
こちらは ロウソクの…
溶けたロウまで 再利用していました。
また 修理業も充実。
割れた焼き物を直す 焼継屋や
鍋を修理する 鋳掛屋。
玄関先まで出張してくれる
サービスぶりでした。
再利用が盛んになると
こうした問題にも役立つことに。
簡単に始められる商売が増え
多くの人が
職に就くことができたのです。
そんな中でも かなり大きな稼ぎとなった
再利用の仕事がありました。
何だろう?
それが こちら。
何?
あっ これはですね 私 小さい頃
おじいちゃん おばあちゃんちに
行った時に
まだね ありました。
ありました?
(岡本)はい 正解です。
(岡本)そうです。
ええ!?
ええ~!
そうそう 肥料になるのは
何か 知識として知ってますけど。
排せつ物は 発酵させれば
「下肥」という 質の良い肥料になります。
近郊の農民たちが
江戸の町に くみ取りに来ていました。
ちょっと こう
鼻を押さえてるね 女性がね。
記録によると 買い取り価格は
長屋の共同トイレで
年間10両。
いや~ すごいね!
結構な お金ですよね。
結構な お金になりますね。
江戸の中頃になると
裕福な農民の中から
多数の契約先を持ち 運搬船を使って
大々的に
ビジネスを行う者も現れました。
排せつ物は 一大マーケットとなり
最盛期には 年間10万両。
現代で言うと 40億円ほどの
市場規模があったと推定されます。
すごい
もう 大ビジネスじゃないですか。
うんうんうん そうか。
ですから…
排せつ物が商品化した結果
公衆トイレが 町じゅうに
つくられるようになりました。
これは SDGsの「トイレを世界中に」という
目標にも沿っています。
当時 江戸は 世界の中で
かなり衛生的な都市だったのです。
なるほどな!
ちなみに くみ取りの値段には
こんな話もあるそうで…。
場所によって ランクがあった?
例えば こういう…
ああ そう! ああ そう!
その 排せつ物までね
お金になるっていうね。
で まあ すごい印象的だったのは
現在だと 粗大ごみとかね 処分するのに
お金を払わなきゃいけないんだけど…
でも河合先生 こういう
再利用するシステムっていうのは
最初から 江戸時代 あったんですか?
こう クリーンにしなきゃとか
学校で 地球の環境を守るって
教えられたから
っていうことじゃなくて…
お金になるとか その 新たな価値を
生み出すっていう点では
先ほど その 貝殻を
しっくいにもしていましたよね。
ああいった発想って
今も通用するような気もしますが
いかがでしょう?
そうですね。 リサイクルっていうのは
どっちかというと 品質が落ちていく
再利用なんですけれども
そうではなくても 価値を上げる
アップサイクルするっていう
考え方ですよね。
最近 すごく はやってまして
アップサイクルファッションで
あったりとか
例えば…
そういうのも
たくさん出てきてますね。
古着ばかりでは
おしゃれも楽しめないのでは?
そんな疑問のもと 訪ねたのは大阪。
ここで 当時の
ファッション事情を調査です。
おっ!
着物が展示されてますね。 お~。
藍染めですかね。 へえ~。
ここ 八尾市は
江戸時代 着物に使われた木綿の生産地。
「河内木綿」と呼ばれた
高級ブランドでした。
奥 行きますと…
女性の浮世絵。
何枚も ずらっと ありますけど。
結構 何か…
こんにちは。
ああ こんにちは。
「歴史探偵」の森田と申します。
学芸員の李と申します。
どうぞ よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
江戸時代 今で言うチェック柄や
縦や横のストライプを
「縞柄」と呼んでいました。
…などの浮世絵にも縞柄が描かれ
人気ぶりが うかがえます。
この縞柄について
面白い史料を発見しました。
よく知っている「縞」とは
別の漢字が使われたものがあったんです。
なぜ アイランドの「島」の文字が
使われていたのか。
実は そこに
「アイデアの再利用」がありました。
こちらは 江戸時代
木綿商人が お客や金額などの
取り引きの詳細を記した史料。
(李)ここが 縞木綿が出ておりまして
こちらが 「おませいらす 一疋」。
値段が「二十一匁二歩」
というふうに書かれてます。
おま… おませ?
「おませいらす」って
何か 不思議な響き。
(李)実はですね これ
こちらは セイラス島…
セイロン島っていう
島の名前なんですね。
あっ そうです そうです
そうです そうです。
え? それが着物?
ええ。
実はですね…
えっ!?
(李)これまで見たことない…
それで…
はあ~。
南の島から来た
最新のデザインは
急速に普及していきます。
これは 今で言うサンプル帳。
たくさんの縞柄があります。
実はこれ 全て
河内の職人が考えたオリジナル。
江戸で大人気の柄ということで
全国で趣向を凝らした縞柄が
次々と生み出されました。
外国由来のデザインが
日本の新しい産業を発展させたのです。
ただ 新品の着物は かなりの高級品。
庶民には 手が届きませんでした。
しかし そこは
再利用の町 江戸。
すぐに たくさんの
古着が出回り
誰もが 縞柄の着物を
手に入れることが
できたのです。
再利用ばかりの暮らしでも
知恵と工夫で楽しんでいた。
そんな 粋な江戸っ子の姿が
縞柄からは かいま見えます。
ああ なるほど…
その 縞柄ってね
今でも使いますけど
その アイランドの「島」だったんだね。
もともとはね。
(河合)そうですね…
で それが…。
結構 時間かかってるってことですか?
国産化っていう意味では
新しいSDGsのマークにも
関係してきますね。
8番の「働きがいも
経済成長も」であったり
9番の「産業と技術革新の
基盤をつくろう」。
まさに これを表現している例かな
というふうに思いますね。
この技術革新が
江戸時代にこそ できたっていうのは
何か 理由はあるんですか?
(河合)やっぱり…
(河合)そうですね。
で 続いて見ていくのは
13番「気候変動」です。
今 世界中で
大きな問題になっていますよね。
ほんとだよね。 何かね…
まあ それは分かるんだけど…
それが…
あっ アリなんだ?
調査に向かったのは…
(ノック)
≪はい。
すいません 失礼します。
はじめまして
「歴史探偵」の森田と申します。
「古気候学」という
過去の気候変動の
研究をしている
科学者です。
3, 000年前?
それで分かるの?
どういうことでしょう?
中塚さんは 木の年輪から
「酸素同位体」という
物質の比率を測定し
古代に遡って
降水量を導き出しました。
世界初の成果です。
えっ? すごい!
1年単位で復元した
紀元前500年から
現在までの 本州の降水量です。
真ん中の線は 現代の平均値。
上に行くほど 雨が少なく
下に行くほど
雨が
多かったことを示します。
時代によって 降水量が
大きく変動していることが
分かります。
このグラフを見て 驚きました。
というのも…。
ちょっと待って下さい。 え?
700… めちゃめちゃ落ちてますね!
(中塚)そうですね。
えっ これって
この年代 見たら 江戸ですよね。
そうですね。
江戸時代ですよね。
おお~! えっ?
雨が 長く続く気候は
米の生育には適しません。
日本の歴史上
最も 雨が多かった江戸時代。
人々は この気候変動に
どう 対応していたのでしょうか?
手ががりを探して
やって来たのは 滋賀県大津市。
古文書から
農村の生産力を調査しています。
鎌谷さんが注目しているのは
全国各地の「免定」という文献です。
免定は 領主から村に向けて
毎年 発行された 年貢の請求書のこと。
そこには 田畑の状況が
詳細に記録されていました。
(鎌谷)「水押し 水込み 虫付き」とか
この年は すごい…
すごい年だなって思います。
この年は
雨で 田んぼが水浸しとなりました。
更に 害虫まで発生しています。
やはり 雨が
農民たちを かなり困らせていたようです。
こうした災害が起きた時
実は 農民を助ける
特別な措置がありました。
びわ湖近くにあった村に
それが分かる
記録が残されていました。
見てみましょう。
ここらは
春先に
水が 1尺余りも
入って
田植えが でけへんかったんです。
あの大雨で
びわ湖が あふれたか。
水害が起きると 農民は
被害状況を 藩に申告していました。
役人は 現場に出向き
状況を確認します。
230石余りも とれなくなったか。
多いな…。
これほどの 水込みの多さ。
つきましては 例のご沙汰を…。
農民は 収穫できなかった分の年貢を
免除してほしいと
願い出ていました。
結局 この年の年貢は
村の石高から
600石余りが 差し引かれたと
免定には記されています。
江戸時代 今で言う
災害時の税金控除のような制度が
全国で行われていました。
なるほどね。
何となく イメージとしては
年貢とかね もう上の人たちが
もう… もう
無理やりにでも納めろっていう。
むしり取ってっていうイメージですよね。
イメージがありましたけどね。
ああいう 今で言う税金控除というか
差し引きが行われていたっていうのは
意外でしたね。
そうでしたよね。
…っていうのが
あるんですけど
まさに そうだなと
思いましたね。
で その中で
例えば 2番の
「飢餓をゼロに」で
あったり
あとは やっぱ
17番ですよね。
官民連携して
「パートナーシップで目標を達成しよう」。
まさに これで。
まさに そうでしたね。
今ね 取り立てる側と お百姓さんがね
話し合ってっていうのをね。
(浅利)驚きました。
手を組んでたってことですね。
(河合)江戸時代になってくるとですね…
これを 「仁政」 仁義の「仁」に「政治」で
仁政というんですね。
いや なるほどね。
先ほど 所長 おっしゃいましたけれども…
これが 「年貢引き」というもの
だったんですけれども
これ…
なるほど。
改めて その史料をご覧頂きましょう。
いや どういうことなの
って思うくらい
すごく細かくないですか?
ああ そうですね。
ものすごく 細かく
数字が並んでおりますね。
(河合)何か 皆さんは多分
江戸時代の農民って
もう 文字が書けないし
計算もできないっていう。
イメージもあります。
とんでもないですね。
(浅利)まあ 今もね ほんとに
質の高い教育ってのは
すごく重要で…
そうかもしれないですねえ。
ここまでは 雨が多かった状況に
うまく対応できた事例を
見てきましたけれども
残念ながら うまく対応できなかった
失敗してしまった事例というのも
あるんですね。
江戸時代に それは もっと大きな
気候変動が起きたからだったんです。
凶作が引き起こした
享保・天明・天保の三大飢饉。
数万人から数十万の死者を出した
大災害でした。
古気候学者の
中塚さんによると
これらには
共通点があるといいます。
江戸時代の降水量に
飢きんの件数を合わせたグラフです。
3つとも
降水量が急増した時期に
発生しています。
注目は それぞれの飢きんが
起きる前の数十年間。
降水量が
それほど多くない年が
よく見られます。
つまり 安定した気候が
続いていたのです。
三大飢饉は
およそ50年おきに発生していました。
こうした 数十年に一度の
大きな気候変動が起きた時
問われたのが 政治力です。
それを示す
興味深いデータがあります。
飢きんの時の 百姓一揆の件数です。
一揆が
急増している
天明・天保の飢饉。
しかし 享保の飢饉では
増えていません。
なぜでしょうか?
この飢きんの対策に当たったのは…
飢えに苦しむ西日本に
幕府の蔵を開け
救済米を送りました。
一揆が ほとんど
起きなかったのは
この決断があったからと
考えられます。
逆に 政治のまずさが
悲劇をもたらしたこともありました。
天明の飢饉での仙台藩です。
1782年 天候不順が続き
西日本では 大凶作が
見込まれていました。
そこで動いたのが 仙台藩。
安倍清右衛門という
商人出身の財政担当です。
安倍は 米の値段が高騰すると考え
藩の米を売却することを進言します。
悪化した藩の財政を 立て直すためでした。
これを受け 仙台藩は
備蓄米までかき集め 売り払いました。
ところが 翌年
東北でも ひどい凶作となったのです。
米のない仙台藩では
15万人以上が
飢えや病で亡くなったと
言われています。
恨みを買った安倍は
人々に 屋敷を壊され
藩からも
処分を受けることに。
更に災害は 時代をも動かしました。
グラフでは
飢きんの時以上に
百姓一揆が激増しているのが
分かります。
…だと思うんですね。
つまり こういうふうに…
…だと思います。
なるほど。 まあ…
ほんとに 気候変動だけがね
原因ではないんですね
幕府が倒れたのは。
ただ やっぱり 当時 ほんとに
巨大な台風が 江戸に襲来したりとか
一揆が 急激に増えて
それが やっぱり
崩壊する一因になったのは
確かだと思うんですね。
しかも 仙台藩が
財政を立て直すためとはいえ
備蓄米まで
売り払ってしまったっていうのは
ちょっと驚きですね。
(河合)そうですね。
(浅利)
そうですね。 今 ほんとに まさにね
身につまされるようなことが
たくさんあると思いますね。
(浅利)例えば そうですね 7番の
「エネルギーを みんなに
そして クリーンに」
つまり…
(浅利)そんな考え方が
今 既に もう始まっていますね。
まあ ほんとに いろんなSDGs
はまってまいりましたけれども
一口に 持続可能な社会を実現しようと
言っても
難しいなというふうにもね 思いますが。
まあ 例えば 「飢餓をゼロに」と
「貧困をなくそう」とかですね
それと 例えば「つくる責任 つかう責任」。
そういう形で
一挙解決できるっていうのも
特徴かと思いますので。
ほんとですよね。
だから いろいろ関連して
バババッてね いくつか関連してね
何か いろいろ
いい方向に向かってくといいですよね。
そうですね。
いや 森田探偵
いつも よくやっておりますけどもね
今日は もう なに?
とても 今日…
そこ 使わない予定になっているんで。
駄目です。 今 私が言ったことで
使う可能性が増えました。
いやいや 使わない予定で
もう ずっと進行してたんですけども。
駄目です 駄目です。 使います 使います。
あれ? 探偵として持続可能かどうか
ちょっと怪しくなってきました。
うまいこと言うな!
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