出典:EPGの番組情報
プロフェッショナル「マグロも男も、止まれない~クロマグロ養殖・福島和彦~」[解][字]
豊洲市場や三つ星すし店で絶賛されるクロマグロ養殖のプロがいる。愛媛の離島で育てるマグロはきめ細かな脂が乗り、時に天然物を超える。世界一のマグロを作る夢を追う男。
番組内容
愛媛の離島で“海のダイヤ”クロマグロを養殖する福島和彦(55)。4年以上かけて育てるそのマグロは時に天然物さえも超えると言われ、養殖の常識を覆す大きさときめ細かな脂が乗った美味は、豊洲市場や三つ星すし店で絶賛される。福島は去年、脳出血で倒れ、左半身には今もまひが残る。それでも「世界一のマグロを作る」という夢を追い、復帰は不可能と言われる中、再び海に戻ってきた。マグロに人生を懸ける男の執念の物語。
出演者
【出演】クロマグロ養殖…福島和彦,【語り】橋本さとし,貫地谷しほりジャンル :
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
言えない事情があると。
「海のダイヤ」と呼ばれる クロマグロ。
その男が手がけるマグロは
養殖でありながら
時に 天然さえも凌駕するといわれる。
「しょせん養殖」
という言葉にあらがい
マグロを
進化させてきた。
養殖の出荷重量は平均60kgほどだが
福島のマグロは100kgを超える。
上質の脂は口の中でとろけ
その味は 世界を魅了する。
去年 福島は脳出血で倒れた。
だが 復帰は不可能といわれる中
再び海に帰ってきた。
愛媛県 宇和島市から
高速船で40分。
四国と九州の間に
その島はある。
人口290人の…
島民のおよそ7割が 漁師や養殖を
なりわいにする漁業の島だ。
4月の昼下がり。
あっ。
福島は自宅の裏で
水槽に囲まれていた。
無類の魚好き。
金魚だけで200匹を飼っている。
(エンジン音)
福島は日振島の沖合で 15年前から
クロマグロの養殖を手がけてきた。
21台のイケスで 年間およそ550トン
6, 000匹以上の養殖マグロを出荷する。
体重2kgほどの
天然マグロの幼魚をイケスに入れ
手間暇かけて育てていく。
3~4年で出荷する養殖場が多いが
福島は4年以上をかけて 成長を見守る。
そして 養殖マグロの常識を覆すサイズと
肉質に育て上げる。
その飼育の秘密は どこにあるのか。
この日 福島は
餌やりの担当者に声をかけた。
目に見えない変化を読み解き
餌を与えるタイミングや量を判断する。
♬~
福島は去年 脳出血を発症。
左半身に まひが残り
現場での作業は難しくなった。
だが 鋭い観察眼は衰えず
今も司令塔として 6人のスタッフを率い
養殖を取りしきる。
夕方。
陸に戻った福島が 必ず向かう場所がある。
(息切れ)
入院していたとき
以外
この観察を
欠かしたことはない。
福島は 気になるイケスがあれば
すぐに現場に向かう。
現場の担当者に
潜って様子を確かめるよう指示した。
イケスが波立ち始めた。
担当者が餌のタイミングを逸したことで
知らぬ間にストレスが蓄積されていた。
このイケスには
集中的に餌を与えることにした。
天然のクロマグロは
年々 資源量が減少し
旬の時期も限られる。
そんな中 上質なものを
安定的に提供できる 福島のマグロは
世界各地 600以上のレストランから
頼りにされる。
高い品質を可能にしたのは
日々の研究の積み重ねだ。
例えば イケスに使う網。
素材を吟味した上で
マグロの衝突を防ぐため
網に付いた貝や 海藻の一部を残し
しま模様のカーテンを作る。
餌にも こだわりが。
イワシや人工飼料ではなく
マグロの脂に近い サバを使う。
単価は高く 1日の餌代は
500万円にもなるが妥協しない。
更に 餌やりの装置も自ら改良。
マグロの食い気を逃さぬよう
短時間で大量に与えられるようにした。
仕事から帰っても マグロ漬け。
ありとあらゆる
マグロの情報を収集しては
片っ端から目を通す。
そして左半身に まひが残る今も
毎日 同じ時間に高台に通い
観察を続ける。
満足してないっていうより…
(福島)つまらんと思います。
(雨音)
おい。
(福島)
誰? おいって誰。
あ~あ~あ。 おい…
福島さんには
3人の子どもがいる。
おっ。
でも 島には
中学校がないため
小学校卒業以来
離れて暮らしている。
それでも ここにとどまり
マグロに懸けるのはなぜか。
日振島で代々漁師を営む家に生まれた
福島さん。
子どもの頃から
魚を飼うのが大好きだった。
宇和島市の水産高校を卒業すると
漁師になった。
だが 漁業規制により
食べていけなくなり
28歳の時 魚の養殖を始めた。
持ち前の研究熱心さで
タイやハマチ 高級魚クエなど
次々と新たな魚種に挑み 成功させた。
転機は40歳の時。
地元の水産会社から クロマグロの養殖は
できないかと相談された。
まだ歴史が浅く 未知数だったが
引き受けることにした。
だがそれが 想像を絶する
苦難の始まりだった。
マグロはとても
繊細な魚だった。
僅かなストレスで餌を拒み
一向に大きくならない。
そして網に衝突しては
次々と死んでいった。
更に その血のにおいを嗅ぎつけ
大量のサメが イケスの中に入り込んだ。
福島さんは毎日イケスに潜り
命懸けでサメを追い立て
銛で刺した。
半数のマグロを失いながら
2年間を耐え忍んだ。
(福島)こういうマグロです。
もう…
でも その評価は残酷なものだった。
だが もう後戻りはできなかった。
当時 イケスは1台1, 600万円。
1日の餌代は200万円。
赤字は膨れ上がっていた。
家族の暮らし 自分の意地
マグロに全てがかかっていた。
福島さんは 腹をくくった。
衝突事故が起きる度
食べ残しが出る度 イケスの底に潜り
死体や沈んだ餌を分析した。
マグロが衝突しにくい 網の工夫。
食欲をかきたてるような 餌の与え方。
風向きや水温 餌の量などのデータを
毎日 収集しては
課題を一つ一つ潰していった。
走り続けて9年。
マグロの体重が100kgを超えた。
その身を口にしたとき
心の底から うまいと思った。
養殖の常識を覆す大きさに
きめ細かな脂が乗った クロマグロ。
時期によっては
天然物を上回ると評価され
取り引きの申し出が
殺到するようになった。
しかし 去年。
福島さんは…
左半身に 重度のまひを負った。
それでも福島さんは諦めなかった。
きつい
リハビリを重ね
4か月後
なんとか歩けるまでに回復した。
そして 海に戻ってきた。
♬~
マグロを生かし
マグロに生かされてきた人生。
福島さんは今も ただひたすら 前に進む。
(波の音)
マグロの養殖にとって 勝負の季節が
始まろうとしていた。
水温が上がる春
マグロは一気に食欲を増し
一年で最も成長する。
この時期に どれだけ大きくできるかが
その後の出来を左右する。
♬~
この日 福島は出荷するマグロを
宇和島市へと運ぼうとしていた。
往復3時間。
体への負担は大きいが
大切な出荷作業は
できる限り 自ら行う。
その道中 不意に語りだした。
無理がたたったのか
両足の筋肉の 鈍い痛みが続いていた。
日振島への帰り道は
季節外れのしけとなった。
(取材者)お疲れさまです。
はあ。
(取材者)酔いましたか。
はあ。
(取材者)大丈夫ですか?
大丈夫。 大丈夫ですか?
(取材者)私も酔いました。
6日後。
出荷するマグロの釣り上げに立ち会い
成長を確認する。
(福島)背中に。
まずは 6年目のイケス。
(福島)ああ…
100kgを超えるマグロが順調に育っていた。
だが 4年目のイケスに
取りかかったときだった。
50kgを見込んでいたが
それを下回る 小ぶりなマグロ。
(福島)35?
あっ はい。
若いマグロへの餌やりが追いつかず
計画どおりに成長していなかった。
この1年半 新型コロナの影響で
マグロの出荷数は
例年の半数に落ち込んでいた。
その分 抱えるマグロの数が増え
餌やりの配分が難しくなっていた。
福島は 古参の現場リーダーに
懸念を伝えた。
だがそれ以上 強くは言わなかった。
以前の自分であれば 現場で先頭に立ち
自ら課題に対処していた。
福島は葛藤していた。
2日後。
再び 餌不足だったイケスに向かう。
人生を懸けてきたマグロが 飢えていた。
♬~
(福島)飢えて。
(福島)なんや こら。
(笹尾)大概 わしはこらえとる。
(笹尾)わしも さっき…。
嫌われても
情けない姿を
さらしても
世界一のマグロを
作りたい。
まあ…
♬~(主題歌)
♬~
2日後。
ワハハハハ。
福島の
養殖人生で
最大のマグロが
水揚げされた。
でかいのばっかり。
≪狙いました。
その情熱は
止められない。
ここに立たなければ
私がやらなければいうことが
まだ残っとるんですよ。
やり続けること 立ち続けることが
プロフェッショナルと思います。
♬~
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