出典:EPGの番組情報
100分de名著 アレクシエーヴィチ(2)「ジェンダーと戦争」[解][字]
女から兵士への変身は女性を捨てることを意味したが決して全てを捨て去ることはできなかった。戦場でも女性でありたいという希求、それは戦争の非人間性を逆照射していく。
番組内容
過酷な戦場の中でもハイヒールを履いたりおさげ髪にする喜びを忘れない。経血を川で洗い流すために危険をおかす…女たちの語りは男と違い生々しい「身体性」を帯びる。女子から兵士への変身は女性を捨てることを意味したが、決して全てを捨て去ることはできなかった。戦場でも女性でありたいという希求、それは戦争の非人間性を逆照射していく。第二回は、「ジェンダー」という視点から戦争の過酷さや悲惨さを浮かび上がらせる。
出演者
【講師】東京外国語大学大学院教授…沼野恭子,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】杏,【語り】加藤有生子ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
アレクシエーヴィチが
集めたのは
戦場にあっても
自分らしさを追い求めた
女性兵士たちの思い出。
戦争の現実は 彼女たちを
容赦なく 打ちのめしました。
どれだけ この…
「100分de名著」
「戦争は女の顔をしていない」。
第2回は 「ジェンダー」という視点から
戦争の残酷さを見つめます。
♬~
(テーマ音楽)
♬~
「100分de名著」 司会の安部みちこです。
伊集院 光です。
今月は 「戦争は女の顔をしていない」を
読んでいます。
証言 いろいろ出てきましたけど
一つ一つ どれもリアルですよね。
それこそ 「小さい人たち」の証言を集める
という やり方は
ラジオで いろんなリスナーの方から
メッセージをもらう みたいなことに
少し似てるので。
題材の深刻さは 全然違うんですけども
でも すごく勉強になります。
そうですね。 では 先生ご紹介しましょう。
ロシア文学研究者の沼野恭子さんです。
お願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
第二次世界大戦中ですね
旧ソ連地域では
1941年に 女性を兵士として
動員することが可能になったんです。
100万人とも言われる女性が 兵士として
戦場に行ったんですけれども
なぜ これほど多くの女性が
戦場に行ったんですか?
一つには やはり その まあ男性たちは
もう戦場に行ってしまっていると。
そこへ もってきて
スターリンの呼びかけがあったんですね。
「兄弟姉妹たちよ!」という
呼びかけだったんです。
この「姉妹たちよ」という言葉が
入っていることによって
男性だけではなくて 女性たちをも
戦争に動員するという
きっかけになったのではないかと
思います。
で 実際ですね
非常に幅広い役職に就いているんですね。
例えば 狙撃兵 飛行士
高射砲兵 機関銃兵と
武器を持って 戦っているということが
これで よく分かりますよね。
しかも 前線な感じですもんね。
他の国と比べた時に この女性たちの
本当に戦争で 本当に戦っている人たちの
数の多さというのは
多分 ぬきんでているのではないかと
思います。
さあ それでは 武器を手にした女性たちの
証言 聞いていきましょう。
朗読は 俳優の杏さんです。
狙撃兵だったクラヴヂヤは
塹壕での ドイツ兵との戦いを
こう振り返ります。
人を殺すことを恐ろしいと感じていた
クラヴヂヤが変わったのは
小さな村を行軍している時のこと。
黒焦げになったバラックの中に
人間の骨を見つけます。
焼け焦げた軍服の星印から
ソ連軍の兵士であることが分かりました。
その黒焦げの骨を見てから
彼女は 敵を殺すことに 哀れみの気持ちが
起きなくなったといいます。
ゾクッとする表現ですね。
う~ん…。
娘を思う優しさが流れてるところに
より ゾッとしますね。 そうですねえ。
戦場に出ていく女性たちも それこそ
不具になる人もいたでしょうし
もちろん 亡くなる人も
たくさんいたわけで
一方 じゃあ そういう女性たちを
男性が どう見ていたかというと
実は 大きなギャップがあった
ということが分かってきます。
実際 戦場で苦労した様子が
こう書かれています。
男に伍して
あるいは それ以上 頑張らないと
認めてもらえないという状況ですよね。
共産主義になって
その 1919年のロシア革命があって
建て前としては
男女は平等ということになっていました。
それは 一つには
女性たちを労働者として 労働力として
市場で使いたいということもあるわけで
背景には。
ところが…
そうなると 女性たちは
昔ながらの家事ですとか
子育てですとかといったようなことも
しなければならない
すごく ダブルスタンダードといいますか
二重に負担が課せられていたんですね。
いや ずっと引っ掛かってたんですよね。
100万人も戦地に行くっていう
ある意味 そこにおいては
男も女も関係はないっていう においが
すごくするんです。 はい。
だけれども その彼女たちの証言は
一切 表に出てこないっていう時点で
バランスの悪さは
うすうす 感じてたんですけど…。
前回 教わったことで
女性が戦争を語ると
具体的な ディテールが分かりやすい
というお話 学んだんですけれど
他にも
女性が語ると 特徴がありますか?
私が 一番大きな特徴だと
思っているのは 身体性ですね。
つまり 女の人たちは
その 自分の体についての描写というのが
とても多いと思います。
「戦争は女の顔をしていない」には
過酷な戦場に 体がついていかず
月経に悩まされたという証言が
次々に登場します。
そして お下げ髪。
ロシアでは お下げに結った長い髪は
女性性の象徴。
女性たちは
髪を とても大切にしていました。
航空隊に入ったクラヴヂヤは
訓練のために 自慢の長い髪を切れと
言われた日 涙にぬれたといいます。
特別 この当時の
この女性たちというのは
髪に やっぱり
思い入れがあったんですか?
この本の意味の大きいとこは
そこですよね。
心の動き 気持ちの動きっていうものが
どうだったっていう 割り切れない
割り切れないことが
いっぱい あったっていうことを
証言して 書くということですものね。
そうですね。 ええ。
それから どれだけ…
結構 血が流れる描写というのが
多かったように記憶してるんですが。
そうですね。 月経だけではなくて
まあ 戦場ですから
流血というのは
とても多かったんですけれども
例えば そういう
血だとか 汗だとか おしっこだとか
そうした生理現象ですよね。
人間の生理現象を扱うということは
それまでのソ連文学では
多分 許されないことだったんですよね。
ところが ペレストロイカになって
かなり その 書く自由というのも
保障されるようになってきますと…
リュドミラ・ペトルシェフスカヤという
女性作家がいますけれども
この人は 集中的に そういうことを
扱っている作家なんですね。
なので
第1回目で アレクシエーヴィチは
19世紀のロシア文学に根ざしていると
申しましたけれども 同時に…
女性と男性の語りの違いについて
考える時に参照したい
日本の古典文学があると
先生 お考えなんですよね。 はい。
とっぴな比較のように
思われるかもしれないんですけども
実は 紀貫之の「土佐日記」なんですね。
そうなんです。
「男もすなる日記といふものを
女もしてみむとて するなり」で始まる
「土佐日記」ですが
男性の紀貫之が 女性になりきって
仮名文字で書いた
平安時代の日記文学ですね。
「戦争は女の顔をしていない」の共通点は
何だと お考えなんですか? はい。
この「土佐日記」を書いた時というのは
紀貫之は 自分の娘を亡くして
とても深い悲しみに暮れている時だったと
いわれているんですね。
それで その悲しみを
文章に残すことを考えた時に
いつも使っている その…
何か それ
近いとこ かすってるかなと思うのは
つい この間
僕 落語をやったばっかりなので
その 僕の師匠に聞いたら
武家 武士 立場のある人は
漢字で しゃべります。
一般の人は
平仮名で しゃべりますっていう
それを 基本ラインとして
覚えておくと
リアリティーが出ますよって
言われた時に
公的な場所にいる人が
感情を殺して 報告するには
やっぱり そういう言葉
でいて もっと私的なところで
ぶっちゃけて話す時には
平仮名的な言葉っていうのがあって
女性の方が 家庭にいて
男の方が 公的な立場にいることが多い
っていうことも含めると
それが 性に寄ってくのも
すごく よく分かるんですね。
まさに その男の人の言葉が
ソ連の公式の言葉を
代表しているものだったわけですよね。
女語りというものを評価し
全面的に 前に出そうと思っている
そこが この2つの作品に通じること
なのかなというふうに思います。
はい。 続いては戦場の中で
日常の ささやかな楽しみを愛した
女性兵士たちの証言
読んでいきましょう。
外科医のヴェーラは 前線に向かう時に
ハイヒールを買ったことを振り返ります。
運転手のタマーラが話してくれたのは
戦場で作った花束のことでした。
教師だったタマーラは
募集広告を見て 軍の運転手に応募し
訓練生活に入ります。
その時 あることで
指揮官から 注意を受けました。
ハイヒールと 銃弾。
スミレの花束と ライフル。
相反するように思えるものが
彼女たちの戦場の記憶には
同居しています。
証言者の中には
死が すぐそこまで迫っても
身なりが気になって しかたがなかったと
語る人もいました。
マッチョな男の考える戦争的なこととは
対極なところに
実は 戦争のディテールの大事なところが
あるというのが 何か すごく分かる。
一人一人の女の子たちが
何か 自分らしさを どこかに求めたい
どこかに残したいと思っていて
それが お花になったり
ハイヒールになったり
しているわけですよね。
あと やっぱり ああ 戦地って
バランスがおかしいっていうことが
銃とスミレみたいな 映像的なものに…。
違和感ですよね。
うん 違和感。 人殺しの道具だよ。
やっぱり ここ おかしいよっていうことを
際立たせてくれるっていう。
ある意味…
あと この本には 恋愛に関する証言を
まとめているところがありますよね。
あっ そうですね。 はい。
ちょっと 一部 ご紹介しますね。
という 狙撃兵の方の証言もあれば…。
ちょっと どちらも
胸にグッときますね。 そうですね。
何か 物語になりそうな証言だと
思うんですけれども。
…というふうにも言っています。
この作品の中でも 特に 私にとっては
印象的な部分でもあります。
証言の中には
母である女性の姿もあります。
お聞き下さい。
母親としてのエピソードが多いのは
生活の中に戦場があった
パルチザンの女性たちの証言です。
パルチザンの連絡係 ワレンチーナは
恐ろしい出来事を証言しました。
まあ すごいね もう次々と。
こういう証言を読むのは
非常に苦しいですね。
パルチザンというのは
先ほども説明がありましたように
正規軍じゃないんですよね。
生活をしながら 占領されているという…。
全員 殺されたりっていうことが
しょっちゅう あったんですね。
どうしても その 男の人の語る
イデオロギー的な
大義名分というのだけが
これまで それこそ華々しく
喧伝されてきたわけですけれども
そうじゃない戦争もあったのだという。
「異化」っていう言葉があって
ある一つの世界とか現象とかを見る時に
それを ちょっと変わった角度から
見ることによって
その世界が とても違って見える。
そういう意味では
その 女性の語りというのは
この戦争というものを 異化する働きが
あるのかなと思います。
伊集院さん いかがでしたか?
ちゃんと俺たちは ここからまた
読み取んなきゃなんないですね。
ここから 戦争って何なんだろう
ということを
立体的に
やっぱ 読み取らないとって思います。
沼野さん ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
♬~
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