100分de名著 アレクシエーヴィチ[新](1)「証言文学という“かたち”」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

100分de名著 アレクシエーヴィチ[新](1)「証言文学という“かたち”」[解][字]

500人を超える元女性兵士たちの記録は「多声性」を獲得。証言同士が浄化し合い響き合うことで、魂の奥底から照らし出されるような新しい文学の「かたち」が生まれた。

番組内容
「私は大きな物語を一人の人間の大きさで考えようとしている」と語る著者は一人ひとりの苦悩に徹底して寄り添う。沈黙、いいよどみ、証言の忌避、男性たちの介入や検閲…記録を妨げるものは多々あった。彼女はそのプロセスをもありのままに記録し500人を超えるその記録はやがて「多声性」を獲得。証言同士が浄化し合い響き合うことで、魂の奥底から照らし出されるような新しい文学の「かたち」が生まれた。その魅力に迫る。
出演者
【講師】東京外国語大学大学院教授…沼野恭子,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】杏,【語り】加藤有生子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格

テキストマイニング結果

ワードクラウド

キーワード出現数ベスト20

  1. アレクシエーヴィチ
  2. 証言
  3. 女性
  4. 戦争
  5. 彼女
  6. 証言者
  7. インタビュー
  8. ソ連
  9. 意味
  10. 作品
  11. 自分
  12. 第二次世界大戦
  13. ウエディングドレス
  14. 言葉
  15. 五部作
  16. 大事
  17. 非常
  18. 本当
  19. お願いいた
  20. ノーベル文学賞

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

NHK
created by Rinker
エンスカイ(ENSKY)

第二次世界大戦で ナチスドイツを相手に
過酷な戦いを繰り広げた ソビエト連邦。

戦場には 知られざる存在がいました。

それは 100万とも言われる女性兵士たち。

彼女たちの証言から生まれたのが

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチによる 名著です。

女性たちの証言が照らし出す
戦争の もう一つの顔。

イデオロギーが隠した
感情の記録をひもときます。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の安部みちこです。
伊集院 光です。

伊集院さんは お仕事で
インタビューする側になることも

多いかと思うんですけれど 何か
心掛けてらっしゃること ありますか?

僕は インタビューをしてないっていう。
ああ~。

要するに ゲストを呼んで
しゃべってる時に

対談はしてるんですけど
僕は インタビューはしてないです。

それでも 心掛けることは
出しゃばりすぎて

はい・いいえで答えられるとこまで
いかないようにしよう ぐらいですかね。

今月 取り上げる名著はですね
インタビューからできた本なんですよ。

こちらは 第二次世界大戦で戦った
ソ連の女性兵士

およそ500人の証言を
まとめたものなんですね。

こちら 教えて下さる先生
ご紹介しましょう。

ロシア文学研究者の沼野恭子さんです。
よろしくお願いいたします。

お願いいたします。
よろしくお願いいたします。

東京外国語大学教授の
沼野恭子さん。

主な研究テーマは 現代ロシアの女性文学。

アレクシエーヴィチとも
親交がある沼野さんと

「戦争は女の顔をしていない」を
文学として読み解きます。

アレクシエーヴィチは 2015年度に

ノーベル文学賞を
受賞していますけれども

ノンフィクション作家が受賞する
というのは異例だったんですよね。

もともとが
ジャーナリスト出身なんですね。

その ノーベル文学賞 委員会ですよね。

そこが 受賞理由というのを
毎年 発表しますけれども

アレクシエーヴィチの作品は
ポリフォニックな作品であって

その 現代の苦しみですとか

勇気にささげられた記念碑である
というような言い方をしていました。

今の理由にあった 「ポリフォニック」
という言葉 キーワードなんです。

名詞形は 「ポリフォニー」です。

普通 文芸用語で使う時には

「多声性」というふうに訳すんですね。

たくさんの声。

作者1人の声で支配されているような
作品ではなくて…

この本は女性ばかりなんですけれども

もう
何百人という証言をとっているんですね。

多様な声を内包しているという意味で
使われていると思います。

そして 彼女たちの本当の気持ちですね。

じゃあ 基本情報を見ていきましょうか。

「戦争は女の顔をしていない」は
第二次世界大戦中

ソ連軍に従軍した女性兵士
およそ500人の証言を集めたものです。

ロシア語で出版されたのは
1985年なんですけれども

この1985年というのは
ソ連が大きく動いた年だったんですよね。

ゴルバチョフが
共産党の書記長に就任した年で

ゴルバチョフは
あの ペレストロイカという

社会を立て直していく
という意味ですけれども

それを始めた人ですね。

そのために 言論の自由が 割と
この辺りから押し広げられていくと。

これまで言えなかったことが
言えるようになっていくということが

大きいと思います。

著者は
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ。

ウクライナに生まれて

ベラルーシ国立大学
ジャーナリスト学部を卒業し

新聞記者になった女性ですね。

その 執筆言語が ロシア語なんですね。

ノーベル文学賞を取った時の
記念講演というのがありまして

その中で 「私には三つの家がある」という
言い方をしているんですね。

一つが ウクライナ
もう一つが ベラルーシで

もう一つが ロシアだと。

その土壌があって ジャーナリズム
何か分かるような気がするんですね。

いろんな人の話を聞くとか

いろんな出来事に
いろんな角度から見れるみたいな。

そうですね
多文化的と言いますかね。 はい。

では 「戦争は女の顔をしていない」
読んでいきましょう。

朗読は 俳優の杏さんです。

旧ソ連地域の人々は

第二次世界大戦のことを
「大祖国戦争」と呼びます。

それは 自らの国が他国の軍に侵入され
蹂躙された 史上最悪の戦争で

大きな悲劇の記憶であることを
意味します。

男性だけでなく たくさんの女性が
この戦いに従軍していたことを

世に広めたのが
「戦争は女の顔をしていない」なのです。

この本の最初に登場する 証言者は

アレクシエーヴィチが最初に取材した
マリヤ・モローゾワ。

女学生のような お下げ髪を
頭に巻きつけ

安楽椅子に座った 小柄なマリヤは

戦争中 75人を殺害し
11回の表彰を受けた狙撃兵でした。

アレクシエーヴィチを前に
彼女の物語を語り始めます。

この マリヤみたいな女の子
女性は いっぱいいたんですよね。

ちょっと衝撃的な数字ですよね。

100万人近くの若い女性が
自ら志願して 行っているんですね。

18歳から 25歳といいますと
ちょうど大学生ですよね。

今 私も大学で教えていますけれども

この大学生たちが戦場に行くのかと思うと
ちょっと ぞっとしますけれども。

この本のタイトルなんですけれども
ちょっと印象的ですよね。

「戦争は女の顔をしていない」。

それはですね
アレクシエーヴィチが師と仰ぐ

ベラルーシの作家
アレシ・アダモヴィチの作品に登場する

フレーズなんですね。

こちらの本なんですけれども
「屋根の下の戦争」というもので

アダモヴィチ自身が
第二次世界大戦に行っていますので

その自分の経験を
語っているものなんですね ここでは。

もう一冊 「燃える村から来た私」
というふうに訳せる本があるんですけど

こちらが証言集になっているんですね。

その 燃え盛る村の中から
もう本当に

1人2人という生存者しかいない
その生存者にお話を聞いているんですね。

その証言集を読んでアレクシエーヴィチが
ああ このやり方だと。

この手法だというふうに
思ったそうなんですね。

それ以後 ず~っと
たくさんの人に証言をとっていく

彼女のスタイルが決まってくると。

「ユートピアの声」 五部作という

5冊の証言集に
発展していくことになります。

そこに並んでいる 5冊が

「ユートピアの声」
五部作なんですけれども

第二次世界大戦に始まって

アフガニスタン戦争
チェルノブイリ原発事故 ソ連崩壊と

時代を追って ソ連社会の歴史を
たどったものなんですが

アレクシエーヴィチの
書きたかったものは 何になるんですか?

人類の実験であった
その共産主義というのは

一体 人間に何をもたらしたのか
もたらさなかったのか。

そういうことを
結局 大きな問いとして問う

そういう本に
まあ 五部作になったと思います。

この五部作を通して つづられた
証言者たちの声を

アレクシエーヴィチは
合唱に例えているんですね。

たくさんの人に語ってもらって
作者は あまり出てこないんですね。

実は私 2018年に ミンスクのお宅に
お邪魔したことがありまして。

そこで インタビューを
とらせて頂いたんですね。

その時に 彼女が答えたことは

自分の声を
全く消そうと思っているわけではない。

でも その証言の重みに比べると

自分の解説ですとか 説明というのは
比ではないと。

もちろん 時々 証言者と一緒に
涙してしまうような場面もあって

そういうところでは その聞き手ですね

つまり
アレクシエーヴィチの姿というものが

彷彿とされるんですけれども
それ以外は 本当に なるべくなるべく

自分の言葉を
差し挟まないようにしているようです。

何か その さじ加減が大事な気がして。

まさに 指揮者が悪目立ちしちゃうような
合唱とか演奏がいいもんかというと

多分 恐らく違うと思うんですよね。

じゃあ 数は少ないですけれども

アレクシエーヴィチの姿が見えている
箇所を読んでいきましょう。

射撃手の ローラ・アフメートワを前に
アレクシエーヴィチは質問します。

朗読 難しいパートだな~…。

でも 杏さん お上手ですね。
ねえ。 僕なら ギブアップ。

聞き手が泣いてしまうという
あの 言ってみれば

ちょっと センチメンタルすぎるんじゃないか
っていう人もいるかもしれないですよね。

でも それを アレクシエーヴィチは
あえて残しているんだと思うんですね。

やはり 彼女が 証言者に
非常に心を寄せていると

共感をしているということを
強く読者に印象づけたい

そういう意味があるのではないかな
というふうに思います。

さてですね
この 「戦争は女の顔をしていない」

最初に出版されたのは 1985年でしたよね。

そのあと 2004年に
増補版が刊行されているんですが

具体的には
どんなことが加わったんですか?

例えば 仲間同士で殺し合いをした
っていうような事実ですとか

ソ連の兵士が ドイツの女性たちを
暴行したという話ですとか

そういった真実ですよね。

その部分は
検閲では 削除しなければならない。

あるいは アレクシエーヴィチ自身も

自己検閲したというふうにも
言っています。

ソ連の崩壊したのが 1991年ですよね。

この辺りから かなり自由になってきて

いろいろな人たちが
自分は話し足りなかったと。

実は あの時は すごく遠慮していた。

自由な社会になったら
もう話せるようになったと。

なので 聞いて下さいということで

たくさんの人が 電話をかけてきたり
手紙をよこしたりとかしたんですね。

それで 今度は その証言を聞いてみると

非常に重みのある証言が多かった
ということで

これは書き直さなければいけない
というふうに

彼女自身が思ったそうなんですね。

もっと こういうこともあったんだって
言いに来た人がいるっていうのが

僕は すごく興味深くて。

それは その検閲や規制の中でも

彼女は 証言者たちの期待に
応えてたんだと思うんですよ。

あんただったら まだまだ 話したら
書いてくれるんだろう

ソ連も なくなったんだしっていうのが
僕は そこがちょっとグッとくるんですね。

おっしゃるとおりですね。

アレクシエーヴィチと証言者との間での
信頼関係というのが

すごくあったと思いますね。

そして 証言というのは
生き物のようなものなので

固定されたものではなくて
新しい いい証言があったら

そこの部分が広がっていくものなのでは
ないかというふうに言っていたんですね。

アレクシエーヴィチの その考え方を

とても顕著に表しているというふうに
思いました。

あの
キーワードで出てきた 「ちっぽけな人」。

これは アレクシエーヴィチは

どういう意味を込めて言ってるんですか?

これは 19世紀のロシア文学では
おなじみのキャラクターなんです。

プーシキン ゴーゴリ ドストエフスキー
彼らの小説の中に出てくる

社会の片隅で 身を寄せるようにして
生きている人々

そういう人たちを
あえて主人公にしているという

ロシア文学の
その 伝統がありまして。

アレクシエーヴィチは ロシア文学
ロシア文化に

非常に深く 根を下ろしている。

それが 「ちっぽけな人」という形で

彼女の作品に 色濃く投影されている
ということだと思います。

その
「戦争は女の顔をしていない」でいうと

その語り手の ちっちゃな人間というのは
女性だったというのも

もちろん 大きな特徴になるんですよね。
そうですね。

女性の中の ちっぽけな人間
ですから 二重に弱い人たちですよね。

なので 女性の語り 弱者の語りに
光を当てることによって…

聞き手であるアレクシエーヴィチと
証言者の

共同のクリエーティブな作業だったのでは
ないかなというふうに思いますね。

そこは やっぱり 聞き手としての
能力だと思うんだよね。

何か 緊張させなかったりとか。
そうですね。

「数字で言って下さいよ」って言ったら最後
出てこない感情ってあるわけで。

この人になら 心を開いて 話してもいい
というふうに思ったと思います。

では 続いて 大文字の歴史には出てこない
証言を読んでみましょう。

戦場で結婚したアナスタシヤが
語ってくれたのは

一晩かけて 包帯のガーゼで
ウエディングドレスを作ったこと。

その記憶は こまやかでした。

一方で その結婚相手である夫は
アレクシエーヴィチの聞き取りに備えて

事前に 「男の言葉」の戦争を
妻に教え込んでいました。

う~ん これまた いい文章ですねえ。

で しかも やっぱり いいのはね
夫が作った資料のことも入れるじゃん。

別に 奥さんのことだけ残すっていう
やり方もあると思うの 結局。

そういうふうに コントラストに
なっているところが面白いですよね。

この本は ほとんどが
女性の証言なんですけれども

中に ほんのいくつか
男性の証言も混じっているんですね。

そこでも やはり その
男性の語りと 女性の語りの

コントラストになっているところ
面白い場所がありますよね。

これですね。

これ 夫婦の 夫の言葉ですよね。
そうですね。

妻の方は
何だか おしゃれがしたかったですとか

そういう 本当に くだらないと
夫に思われてしまうようなことが

とても 実は大事なんですね。

そういう ディテールが大事だ
ということだと思うんですね。

ここで言えることは。

そうしたディテールに 全てのものが宿る
というのが文学である以上

やはり こういう証言というのは

非常に文学的なのだなというふうに
思います。

だから 俺は さっきのウエディングドレスの話
あるじゃないですか。 包帯の。

あれはね すごいのは
包帯で作ったウエディングドレスが

今のウエディングドレスに比べて
きれいなわきゃないんです。

だけども 彼女の感情で そう見えた
ってことを言えば言うほど

物が どれだけなくて

その ささやかな幸せが
どれだけ幸せに感じてっていうことが

めちゃくちゃ立体的で。

どうしても こう
ヒエラルキーがあって。
はい はい。

それで 今まで おとしめられてきたという
ところもあるんじゃないかと思いますね。

語り方で。

いや 第1回から盛りだくさんでしたね。
ほんとですね。

何か すごく大事なことを これからも
いっぱい教わる予感がする本ですね。

はい。 是非 第2回も楽しみに
臨みたいと思います。

沼野さん ありがとうございました。
ありがとうございました。

♬~

(トナリ)では 我々の勝利を祝して!

かんぱーい!
(一同)かんぱーい!

Source: https://dnptxt.com/feed

powered by Auto Youtube Summarize

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事