競泳の池江璃花子選手(18)が白血病を公表しました。白血病の闘病生活とはどのようなものなのでしょうか。池江選手と同世代で病を患い、克服した人に話を聞きました。
「最初はせきや熱の、風邪のような症状から始まった。病院に行ったら風邪と診断されたが、それから1カ月ほど薬を飲んでも全く良くならない。ある日、鼻血が壊れた水道のように止まらなくなって、押さえても数時間止まらなかった。そして決定的だったのは、足にポンと触れただけでそこにあざがつくようになってしまった」。こう話すのは、急性リンパ性白血病を1年4カ月の闘病生活の末に克服した、女優の友寄蓮(ともよせ・れん)さん(23)です。
友寄さんは16歳の高校2年の時、病を宣告されました。友寄さんは「病名を告げられた時はもちろんショックでした。本当に突然、日常が奪われてしまった」と振り返ります。
そこから始まった闘病生活は壮絶なものだったといいます。友寄さんは「抗がん剤治療が始まって、あっという間に“地獄にたたき落された”じゃないが、現実ってこんなにつらいんだと思った。将来が不安になった」と語りました。
抗がん剤治療は肉体的にも精神的にも友寄さんを苦しめました。「副作用は全身に出る。髪の毛はドラマや映画のイメージで、きれいなつるつる頭の印象があるけれど、実際はまだらに抜ける。しかも、まだらに抜けた髪の毛を剃ることができない。頭に刃物を当てることでそこから出血の可能性がある。だから、結局まだらでもどうすることもできない」。
さらに「より衝撃的だったのがムーンフェイスという副作用。顔ばかりがどんどん丸く膨れ上がってしまった」と振り返りました。ステロイド剤の影響で、食事を取っていないにもかかわらず、顔に集中的に脂肪がつくというもので、精神的に苦しめられたといいます。友寄さんは「お見舞いに来てくれた友達から『思ったより太れるぐらいには元気そうだね』と言われると、悪気がないことは分かっていても、やはり傷ついてしまった」と当時を振り返りました。
体力も低下し、自力で身動きするのも困難な状況にもなりました。「しゃべることもできなくなってしまった時は、筆談で母に『どうして病気で産んだの』と書いてしまったこともある」。友寄さんは、やりきれない思いを抱えながら、親や自分自身を責め続けたといいます。そして、「『頑張れ』という言葉は、前向きな時はパワーをもらえるが、時には追い詰められてしまう。これ以上、どう頑張れというのかと追い詰められてしまうこともある。でも今なら『頑張れ』という言葉の奥にある思いや気持ちを読み取れる」と語りました。
壮絶な1年4カ月に及ぶ闘病生活を乗り越えた友寄さんは「苦しみは本人のものでしかないし計り知れないから、なかなか難しいと思う。例えば、病気を経験した私でさえ、日常がどこか当たり前になっている」とした上で、「白血病というと、いろいろな憶測が飛び交ったり、情報がいろいろ入ると思うが、とにかく今は治療、自分の体に向き合ってほしい。情報が自分で手に入れやすい時代だからこそ、正しい情報がどれなのか(見極めることが大切)。今の段階では周りのことは遮断して、担当医と一緒に自分の体のことだけ向き合ってほしい」と、池江選手への思いを語りました。
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