漫才【青空球児・好児】(1)|残しておきたい昭和の演芸

青空球児・青空好児
「球児・好児」の漫才をお楽しみください。

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残しておきたい昭和の演芸をたくさん投稿していきますのでチェックしてね
https://www.youtube.com/@Showa-OWarai

青空球児・好児
1. https://youtu.be/j-d2GyQJWUo
2. https://youtu.be/hAXX1bHlqwM
3. https://youtu.be/kwJzudch1TU

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青空 球児(本名:下地 康夫。1941年8月17日)
「ゲロゲ~ロ」のギャグで有名。
高校卒業後、アメリカンボトラーズ(現コカコーラ)で働く。森川信の芸能学校の出身。コロムビア・トップに師事するが、1960年に浅草公園六区の「東洋劇場」でコメディアンの修行を始める。「トリオ・ザ・パンチ」、「ナンセンストリオ」、「トリオスカイライン」のそれぞれの初代メンバーを経て、漫才コンビを結成。現在の好児とコンビを組み直した後人気が出た。
 
青空 好児(本名:谷田部 政視。1943年10月2日)
「トリオ・ハッスル」(メンバーは青空球児と好児ともう一人)で石原裕次郎、舟木一夫などの歌謡ショーに出演していた。
世田谷区のPTA会長を5年間務め、1998年に世田谷区立中PTA会長としての活動で区の給食職員の人件費を年間4億円削減するなどの成果を上げる。
漫才中は球児のことをリーダーと呼ぶ。例、「さすがリーダー」「そりゃないよリーダー」
2003年に世田谷区議会議員に立候補し初当選
 
球児が組んでいたコンビの相方(青空球児・場児の場児)と呑み屋で喧嘩別れし、その時たまたま一緒に居た好児に「明日、ヒマか?」と誘いをかけ、そのまま翌日の仕事からコンビを組んだと云う。
2022年3月発売のFLASHで、その後、球児が会長を務めることになった漫才協会について二人で取材を受けているが、師匠のコロムビア・トップから言われるがままに加盟することになったといい、本当は「嫌な先輩が多いの知ってたから入りたくなかった、と当時を振り返っている。また、好児は「俺たち、昔は最初に解散するコンビっていわれてたのに、いちばん長くなっちゃった。」と近況に繋げて語った。
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