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2022/10/21 蜅澤瞬 ———————————-
「スピリチュアルな存在を盲信する人間」
日々生きていると僕の家族を含め、自分の周りでは「霊魂」といった類の非物質的で実体の無い者達の存在を信じている人間が多いように感じる。
超常の存在であり、それと同じく我々に認知不可能である「神」と呼称される者に対しては自分はそこはかとなく存在するのではないかと考えたりもするが、そういった「霊魂」などと呼ばれる存在に対しては昔からかなり懐疑的で且つ存在を信じたことはほぼ無い上に、多分心のどこかでかなり嫌悪している。
そして昨日ふと考えてしまったのだ。
「人間」は何故、古来からそのような「神」「霊魂」といった不可視世界の住人達の存在、または天国の様な「不可視世界そのもの」の存在を信じて止まないのかと。
少し考えて1つの結論が思い浮かんだ(普段からそういった類の考え事をすることが多いので、もう既にこの結論の断片は心のどこかで抱いていたのかもしれない)。
それはヒトは「未知なるモノ」=「分からない存在」に対して大いなる恐れを抱く習性を持つ生物だからであり、またその未知なるモノに対抗するためには「不可視世界」の混沌を信じることぐらいしか手段が無いからである。
物理法則によって堅牢に構築されているこの地上の世界では我々の「目」で見えるモノ、「耳」で感じれるコトなどそういった「認知できる事象」が全てであり、逆に我々には認知不可能なモノに干渉する手段、権利は残念ながら与えられてはいないのである。
なので人間は「認知できる敵」になら対抗することができ備えることができるのだが、未知なる存在に対しては無力に等しいのである。
だとすると知覚できない事象や予見できない領域である「死後」という不可視世界に対する恐怖や戦慄が発生してしまうのは必然である。
そして、その「死後という未知」に干渉する物理的な手段は現在の人類の叡知を結集しても実現不可能である。
故にその「不可能世界」には「霊魂」や「神」といった存在が居て、我々は肉体が朽ちて生物としての「死」を迎えても「意志だけの存在=霊魂」となってこの世界に干渉することができる、、と盲信すれば、完全にその未知に対抗する手段とはなり得なくとも、死んでしまったら「灰」になるだけのこのあまりにも残酷で虚無に満ちた世界の真理とそのありったけの「未知なる恐怖」から目を背けることができる程度の気休めにはなるのである。
このような理由から
人間がスピリチュアルな存在を盲信することは、人間が元来「未知なるモノ」に対して恐怖心を抱く習性があり、それに対抗するための手段はそういったモノの存在を信じることぐらいしか無いからであると考えた。
永遠、完全などは最初から無い。
死んだら何も持ってはいけない。
最後には全て失う。
こう言われると「霊魂」や「神」「死後の世界」の存在を信じたくなる気持ちは分からなくもない。
誰もが孤独の中で生きているのだから。
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