
夏目雅子
なつめ まさこ
夏目 雅子は、日本の女優である。本名、西山 雅子。旧姓、小達。其田事務所などに所属していた。 ウィキペディア
生年月日: 1957年12月17日
生まれ: 東京
死没: 1985年9月11日, 東京
配偶者: 伊集院 静 (1984年 - 1985年)
兄弟: 小達敏昭、 小達 一雄
1977年、カネボウ化粧品のキャンペーンガールとなり、「クッキーフェイス」のCMで注目を集め、この時、夏の注目の目玉商品になることで、芸名を本名の小達雅子から夏目雅子へと改名する。ブレイクのきっかけを作ったこのときのCMディレクターが後の直木賞作家で夫の伊集院静であった。その後、TBSの『すぐやる一家青春記』で二回目の連ドラ出演し、東映『トラック野郎』にも6代目マドンナに抜擢された。
1983年、NHK大河ドラマ『徳川家康』に淀君役で出演。『小説吉田学校』で吉田茂の三女麻生和子(元内閣総理大臣麻生太郎の母)役で出演。
1984年、不倫していた作家伊集院静と結婚。神奈川県鎌倉市由比ガ浜に在住。媒酌は行きつけの鎌倉長谷寺近くにある寿司店主夫妻。結婚式もこの寿司店で内輪だけで行われた。後日、自宅で週刊誌用に行われた記者会見では、新婚旅行はどこに行きますかと問われて、「韓国です。」と答えている。
1985年2月14日、舞台『愚かな女』の公演の最中に体調不良を訴え、出演続行を望む本人を何とか説得して、翌2月15日慶應義塾大学病院に緊急入院した。急性骨髄性白血病と診断されたが、夏目本人には「極度の貧血」とだけ告げ、本当の病名を伏せていた。夏目の入院と共に夫の伊集院は、仕事をすべて辞めて彼女が亡くなるまで母親らと共に看病にあたった。当初から、娘の芸能活動にずっと反対だった母スエは、彼女が入院して初めて娘の出演する作品をみてベッドの彼女に話しかけた。その時彼女はとても喜んだという。
1985年9月11日午前10時16分、逝去。約7ヶ月という長い闘病生活を送りながらも順調に回復し、退院間近の報道もあった矢先であったが、その後、抗がん剤の副作用等が原因とみられる肺炎を併発。8月下旬からずっと高熱を発し、9月8日に突然熱が一時的に引いたが、翌日から高熱を発して意識不明の重体になり27歳で死去。
ウィキペディアより引用
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