DNAからみた縄文人ㅣ神澤秀明 博士(日本 國立科學博物館)

縄文時代は1万年以上の長期に渡り、その文化圏は北海道から沖縄まで達している。縄文人が日本人の基層集団であることは、これまでの形質人類学や現代人のDNA分析から示されてきた。特に、1991年に埴原和郎が形態的形質を基に提唱した「二重構造説」は、現代日本人と縄文人との遺伝関係の大筋を説明している(Hanihara, 1991)。その一方で、縄文人の起源と成立については統一した見解は得られておらず、その詳細は依然として明確ではない。
最近では縄文人の核ゲノムを直接分析し、現代人との系統関係や混血率の推定、東南アジアの新石器時代人のホアビン文化人と遺伝的な関係が示されている(Kanzawa-Kiriyama et al., 2017; McColl et al., 2018)。我々は2019年に、北海道礼文島の船泊遺跡(3,500–3,800年前)から出土した縄文時代後期の女性人骨1体から高精度の核ゲノム配列を取得し、その遺伝子型を決定した。そこから、複数の人類学的形質の推定や、疾患関連の変異としてCPT1A遺伝子のPro479Leu非同義置換を検出した。また、今回の高精度のゲノムを用いることで、大陸集団との分岐時期が26,000-38,000年前の後期旧石器時代まで遡ることを直接的に証明した。これは、縄文人の系統が遺伝的に長期に渡って大陸から遺伝的に孤立していたことを示している。興味深いことに、これまで縄文人の遺伝要素を受け継いでいるとされた日本列島人以外にも、ウルチ、韓国人、台湾先住民、フィリピン人が遺伝的に漢民族よりも船泊縄文人に近いことが示された。このことは、東ユーラシアのヒト集団がどのように形成されたのかを知る手がかりを提供するだろう。

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