平和共存 フルシチョフ

フルシチョフ:スターリン死後のソ連指導者。平和共存を掲げる。

1956年の党大会にてフルシチョフはスターリン批判を行い世界に衝撃をもたらした。

彼はスターリンが「自らの個人崇拝を『わがまま勝手に』推し進めた」「農夫の実情を把握していなかった」などと批判し、体制の大きな転換を図った。

スターリングラードはヴォルゴグラードに改名され、スターリン像も撤去された。

しかし、これは東欧諸国の自由化や同盟離脱を容認するものでなく、ハンガリーやポーランドの反ソ暴動は鎮圧された。

マルクス主義を信奉していた毛沢東はフルシチョフを批判しここに中ソ対立が始まり共産圏は完全に分裂した。

資本主義国に対しては、ソ連首脳として初めてアメリカを訪問したり、国際連合総会にて完全軍縮を提案するなど、平和共存路線を推し進めた。

しかし、U-2撃墜事件で対立状態に戻ると、ベルリン問題でも交渉は決裂し、ベルリンの壁が建設されるに至った。

1962年、キューバ危機が発生する。

あわや核戦争、といったところでフルシチョフは妥協しミサイル基地は撤去されるが、これがきっかけでフルシチョフは解任されてしまった。

ちなみに… 世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げたものフルシチョフ政権の功績である

#世界史 #ソ連 #フルシチョフ

powered by Auto Youtube Summarize

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事