出典:EPGの番組情報
クローズアップ現代+「いまを切に生きる▽瀬戸内寂聴さん 愛と苦悩の99年」[字]
愛することの大切さを説き、弱者に寄り添い続けた作家の瀬戸内寂聴さん。老いや病に苦しみながら活動を続けたエネルギーの源とは何だったのか。関係者のことばで伝える。
詳細情報
番組内容
先週、99歳で亡くなった作家の瀬戸内寂聴さん。自立する新たな女性の生き方を作品で生き生きと描きながら、各地で行う法話では弱者に寄り添い、愛することの大切さを説いてきた。老いと病を乗り越え、活動を続けたエネルギーの源とは何だったのか。そこには若き日に体験した戦争と、幼い娘を捨てて家を出たことへの深い悔いがあった。瀬戸内さんの生きざまに影響を受けた人たちのことばから、作家の残したものを見つめる。
出演者
【キャスター】井上裕貴,保里小百合,【ゲスト】小説家…井上荒野ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 定時・総合
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
生字幕放送です。一部、字幕で
表現しきれない場合があります。
≫作家・瀬戸内寂聴さん。
波乱万丈の人生を生き
多くの人が
その言葉に励まされてきました。
≫先週
99歳で亡くなった瀬戸内さん。
≫東京の出版社に
保管されていた原稿には
最後の思いがつづられていました。
「結局、人は、人を愛するために
愛されるために
この世に送り出されたのだと
最期に信じる」。
≫人を愛することの大切さを
説き続けてきた99年の人生。
その原点となった
壮絶な過去とは。
≫晩年取り組んだ
苦悩する若者を支える取り組み。
瀬戸内さんから受け取ったものは
何だったのか。
≫俳優の南果歩さん。
離婚や乳がんの手術などを
経験する中
瀬戸内さんのもとを何度も訪ね
悩みを打ち明けていたといいます。
≫南さんは
瀬戸内さんのことばの裏に
乗り越えてきた人生の苦しみを
感じとったといいます。
≫34歳で文壇デビューした
瀬戸内さん。
その人生は
波乱に満ちたものでした。
不倫の果てに
夫と幼い娘を捨てたことに
批判を浴びながらも
400を超える本を執筆。
その後、得度し
各地で法話を行って
心に傷を抱える人たちに
寄り添ってきました。
≫自由に生き
人を励ますことに力を尽くした
瀬戸内さん。
その原点はどこにあったのか。
30年以上親交がある
作家の林真理子さんが
指摘するのは敗戦の体験です。
≫瀬戸内さんは、23歳のとき
中国・北京で敗戦を迎えます。
夫と娘の3人で
ふるさと徳島に引き揚げたとき
目の当たりにしたのは
一面の焼け野原でした。
母と祖父は
防空ごうで亡くなっていました。
当時の思いを語った
インタビューです。
≫自分の意思だけを頼りに
生きていく。
瀬戸内さんが決意したのは
当時女性としては珍しかった
小説家になることでした。
≫自分の道を突き進む中で
瀬戸内さんは
年下の男性と恋に落ち
幼い娘を残して、家を出ます。
≫瀬戸内さんが描いたのは
時代にあらがい
愛を求めて自由に生きる
女性たちの姿。
大正、昭和を生きた
歌人で作家の岡本かの子や
弾圧に屈せず女性解放のために
闘った伊藤野枝などをモデルに
数々の作品を
世に送り出してきました。
≫瀬戸内さんの作品と生き方は
多くの人の人生に
影響を与えてきました。
瀬戸内さんの業績を紹介している
資料館の学芸員
竹内紀子さんです。
40年にわたり、瀬戸内さんと
交流を続けてきました。
≫全国をまわった講演の
スケジュールや対談した相手など
竹内さんは
段ボール40箱分の資料を
瀬戸内さん本人から託されました。
激動の足跡を資料でたどる中で
瀬戸内さんの姿勢に
心を打たれていったといいます。
≫中学校の教師となったものの
自分が本当にやりたいことは何か
悩みを抱えていた竹内さん。
そんなとき参加した勉強会で
瀬戸内さんが語ったことばが
強く記憶に残っています。
≫竹内さんは、43歳のとき
思い切って教職から離れ
現在の学芸員の仕事に就きました。
限られた人生を何にささげるのか。
その覚悟を瀬戸内さんから
学んだといいます。
≫多くの人たちが耳を傾けた
瀬戸内さんのことば。
最後まで語りかけていたのは
人を愛することでした。
≫「愛することとは何か」。
その真の意味を瀬戸内さんから
教えられたという女性がいます。
出版社の編集者
宮田美緒さんです。
20代の頃、恋愛で深く傷つく
経験をした宮田さん。
瀬戸内さんの
「女人源氏物語」を読み
愛のとらえ方を
根底から覆されました。
≫本当の愛とは
見返りを求めない愛。
ことし、憧れていた瀬戸内さんの
書籍を出版しました。
瀬戸内さんが書き下ろしてくれた
直筆の前書きです。
「人は愛するために
生まれてきたのです。
九十九歳まで生きてきて
つくづく想うことは
この一事(いちじ)です」。
≫なぜ瀬戸内さんは
ここまで愛にこだわるのか。
5年前に出産した
宮田さんは
子どもを持って初めて
感じたことがあるといいます。
それは、瀬戸内さんがかつて
幼い子を捨てたときの痛みでした。
≫恋人のもとへと走り
作家への道を選んだ瀬戸内さん。
幼い娘を捨てた悔いを
生涯、抱え続けてきました。
≫大きな痛みを
抱えていたからこそ
人の痛みに寄り添い
愛し続けていたのではないかと
宮田さんは感じています。
≫東京都内にある小さな一軒家。
ここを訪れるのは
さまざまな事情で
家や学校に居場所がなくなった
若い女性たちです。
≫「まだ
やりのこしたことがある」。
晩年、瀬戸内さんは
虐待やDVなどの被害者を支える
プロジェクトを立ち上げます。
専門のスタッフが相談に乗り
生きる手助けをしています。
≫「若草プロジェクト」と
名付けました。
スタッフ≫メッセージ見てる
女の子たちに向けて…。
≫コロナ禍で
直接会うことが難しい中でも
瀬戸内さんは
ビデオメッセージを
送っていました。
≫プロジェクトに救われた
女性です。
小学生のころから
両親による虐待に苦しみ
17歳のときに保護されました。
≫虐待を受けたのは
自分のせいだと
みずからを責め続けていた女性。
今も死にたくなる気持ちが
込み上げるとき
瀬戸内さんのあることばが
支えとなっています。
「愛することはゆるすこと」。
≫二十歳になった今
プロジェクトの支援を受けて
大学に通っています。
自分のように苦しむ子どもたちを
守りたいと
将来は弁護士になることを
目指しています。
向かうのは
瀬戸内さんが
長年執筆に使っていた机。
ことしの春
プロジェクトの女性たちに
贈られました。
≫人は、なんのために生きるのか。
最後の連載となった随筆に
記されていたことばです。
保里≫瀬戸内寂聴さんの
生涯に迫る
さらに詳しい記事は
画面左のQRコードからも
お伝えしています。
井上≫ここからは小説家の
井上荒野(あれの)さんに
伺っていきます。
30年にわたって
交流を続けてきた
井上さんから見て
激しく生きた情熱の源には
何があったと思いますか。
井上≫寂聴さんにとっては
生きるっていうか
生きていくということが
善だったと思うんですね。
善悪の善です。
つまり彼女にとっての
唯一絶対的な善ということが
生きていくということでは
なかったのかと。
それはやっぱり寂聴さんの
さっきのVTRにもあったような
戦争体験
中国から引き揚げてきたら
ご家族が防空ごうの中で
亡くなっていたこととか
そして、そのときに
もう私は何があっても
生きていく。
そういうふうに
決めたんじゃないかなって
思うんですよね。
生きていくというのも
ただ漫然と
生きていくんではなくて
何かをあきらめて
生きていくんではなくて
誰かの言いなりになって
生きていくんではなくて
自分の意志で
自分の心に従って
生きていく。
それが彼女にとっての
善で
その善を全うするために
情熱を持っていたんじゃないかな
と思います。
井上≫井上さんは瀬戸内さんを
モデルにした
小説「あちらにいる鬼」で
ご自身の父親と
瀬戸内さんが
不倫関係にあったことを
描かれていますけれども
にもかかわらず
家族ぐるみの交流を
続けられてきたのは
なぜなんでしょうか。
井上≫複合的な理由があって
私の母のありようとか
私の家のありようなんかも
あるんですけれども
やっぱりいちばん大きい理由
というのは
寂聴さんが、とても魅力的な
方だったからだと思うんですよね。
もう本当にチャーミングとしか
言えないような方で
今本当にそういうふうに
思っているんですけれども
やっぱり若いときなんかは
あまりにも寂聴さんに会うたび
圧倒されて
自分が小さく思えて
そして、もう自分は
本当に何にも
何かふらふらして
何にも足場がないなということは
いつも思い知らされていて
だから、若いときは
会うのがむしろ
緊張していて
嫌だったりしたんですけど
だんだん自分も小説家になって
それなりに自信も出てきて
そういうときにお会いすると
ああ、やっぱりこの方は
ものすごく
チャーミングな
魅力的な方だなというのが
分かるようになってきました。
その魅力というのは
何だろうって
ずっと考えてたんですけど
やっぱり自由ということだと
思うんですよね。
本当に自由さ
自由とは何かということを
体現していたのが
寂聴さんだったと思っています。
自由というと
皆さん、好き勝手やるとか
やりたいようにやるとか
何か、すごく楽なことのように
楽に流れることのように
思っている方もいるみたい
なんですけれども
本当の自由というのは
やっぱり自由と同じ分量の
自由に対する責任というのが
必要だと思うんですよね。
自由にする分
いろいろ言われることも
引き受けなければいけないし
やったことについて
考えなければいけないし。
自由でいるためには
やっぱり強くないと
いけないと思うんですよ。
寂聴さんは
その強さを持ってらした。
あるいは、その強さを
強くいるために
あるために
奮闘していらした。
そういう方だったと思います。
保里≫本当に瀬戸内さんは
高齢になっても最後まで
徹夜をして執筆活動を
続けて
最後の最後まで
書くということに
こだわっていました。
99年の人生で
追い求めていたことは
何だったと感じていますか。
井上≫私も小説家だから
分かるんですけど
小説を書くということは
書くことによって
分かることというのが
あるんですよね。
自分は何を考えていたのかとか
この世界と自分との関係とか
何で自分
あのとき、あんなことを
してしまったのかとか
それを書くという作業によって
正解が
得られるわけではないけれども
正解に向かって
近づいていくということが
できるんですよね。
寂聴さんは本当に間際まで
小説を書いていらして
結局彼女は
この世界とか
自分自身に、ずうっとずうっと
興味を持ち続けていたと思う
知りたかったんだと
思うんですよね。
それで、それを知るために
ずっと書き続けていた。
何か、そんなふうに思ってます。
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