出典:EPGの番組情報
開運!なんでも鑑定団【渋沢栄一が設立…高級ホテルの凄い宝&お坊さん大会】[字]
■間一髪…<江戸時代の仰天絵師作>が解体寸前の家に!?衝撃鑑定額■<渋沢栄一>が設立…日本が誇る高級ホテルの芸術的お宝に驚き値■<お坊さん>秘蔵お宝大会!■
詳細情報
番組内容
お宝は世界的建築家フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルにまつわるもの。亡き祖父が業務用の洗濯機を製造する会社に勤めており、帝国ホテルでもその洗濯機が使われていた。帝国ホテル旧本館が解体された際、祖父が記念にもらったという。父は家宝だと言うが、大したものとは思えない。やがては自分が受け継ぐので、価値がある物なのかハッキリさせたい!
出演者
【MC】今田耕司、福澤朗
【ゲスト】安倍理津子
【アシスタント】片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
【出張鑑定】お坊さんのお宝鑑定大会
【出張リポーター】原口あきまさ
【出張コメンテーター】家田荘子
【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな
鑑定士軍団
中島誠之助(古美術鑑定家)
北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主)
山村浩一(「永善堂画廊」代表取締役)
勝見充男(古美術「自在屋」店主)
関連情報
【番組公式ホームページ】
www.tv-tokyo.co.jp/kantei/ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
バラエティ – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
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キーワード出現数ベスト20
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- 曾我蕭白
- 大槻
- 仏像
- 本物
- オープン
- テラコッタ
- ホンマ
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(3人)こんばんは。
さぁ 「鑑定団」始まりました。
今週もよろしくお願いします。
よろしくどうぞ お願いします。
<ハスキーボイスで
別れた人への
切ない女心を歌い上げた
『愛のきずな』が大ヒット>
<高校卒業後
地元の音楽喫茶で歌っていた際
< その5か月後に発売した
デビューシングル 『愛のきずな』は
<キャッチフレーズは…>
<当時としては
異例の水着姿での
キャンペーン活動を行っていました>
泳ぎはそっちのけ。
(笑い声)
<1983年 橋幸夫と
『今夜は離さない』を発表。
橋さんは
この曲のデュエット相手を探す際
名前を伏せた
声だけのオーデションを行い
安倍さんを指名したそうです>
< その後も 桜木健一 林与一
なんと松方弘樹らと
次々にデュエット曲を発表し
デュエットの女王の異名を取りました。
今年4月に新曲 『願い』を発表>
独身なんや。
依頼人の登場です。
(片渕)東京都からお越しの
お願いします。
ようこそ 「鑑定団」へ
よろしくどうぞ お願いします。
あれだけ たくさんの男性と
デュエットをされていて
そういったお誘いは
いっぱい受けたんじゃないかなと
思いますけどね。
あまり あの… ホントにモテない。
そんなわけないわ~。
いや ホントに。
モテモテやわ。
いやいや。
夢は結婚は一緒ですよ ホントに。
アハハハ そうですね。
おつきあいできませんか?
今田さん。
模擬結婚式で。
模擬結婚式ですか。
ホントに籍を入れてくれとは
言いませんので。
あ でも あの 僕も あの…
夢があるんで。
さあ それでは お宝のほう
見せていただきたいと思います。
お宝 オープン!
ありゃ!
すごい絵。
棟方志功さんの油絵
ということなんです。
油絵ね。
どういった いきさつで
手に入れたんですか?
北海道で ずっと
応援していただいている方が
りっちゃんも 50周年くるから
こちらをプレゼント!
っていただきました。
プレゼントですか?
プレゼントです!
これ お魚ですよね?
はい コイです。
50周年にかけて 5匹です。
あ ホントだ!
芸能界を
カーッと泳いでいこうかななんて。
棟方志功といえばね
片渕茜アナウンサーが この間の特番で
棟方志功の版画を作って
見事 今田耕司を
だましたんですよ。
本物と偽物。
偽物は この片渕茜ちゃんが
描いたもんなんですよ。
そっち本物やと思ったから。
腹立つわぁ。
そんな俺が言うのもなんですけど
これ本物ですね。
すごいいい。
これは もう 明らかにタッチが
力強い。
水の流れが やっぱ
棟方志功先生っぽいですよね。
これ でも サインがカタカナで
「ムナカタシコ」って書いてある。
普通は 漢字で 志功ですよね。
茜ちゃん どう思う?
まねするにあたって 結構
いろんな作品見たんですけど
平仮名もカタカナも漢字も
いろいろあります。
棟方志功を語らせたら
みたいな顔で語ってるのが
めっちゃ腹立つんですよ。
さあ 安倍さん
ご本人の評価額です。
りっちゃんって呼んでください。
えっ?
りっちゃんって呼んでください。
わかりました。
りっちゃんの本人価格は
いくらですか?
そうですね
やっぱり50周年ですから
500万!
500万!
まいります オープン ザ プライス。
5, 000円!
あ~っ アハハハ…。
やってしまった。
マジか。
ウソやん。
俺の目利きは どうなったんや。
うわぁ。
残念ながら がん作です。
確かに 棟方は
コイを数多く手がけてます。
そのほとんどは
版画とか大和絵でして
これは キャンバスに対して
コイが 不必要に多く
描かれすぎてしまっている
っていうか
構図がうるさくなって
しまってるんですね。
躍動感とか生命感といったものが
伝わってこない。
棟方の表現では 全然ないですね。
サインは カタカナのものも
あるんですけれども
これも もちろん
棟方のサインではない。
もし油絵のコイで
このサイズ感でしたら
おっしゃられたとおり500万以上。
うわぁ。
残念でしたね。
くださった社長さんに申し訳ない。
「鑑定団」出ること
言ってるんですか?
ん~ 一応。
ちょっと おい。
落ち込み方が かわいそう。
やりましょう
やりましょう 偽の結婚式を。
(笑い声)
やりましょうか。
感想いただいていいですか。
無感想。
無感想!
<続いては…>
<次なる依頼人は
公園でキャッチボールをしているこの方>
<相手は 大学生の甥 颯さん。
小学生のときから ずっと
野球を続けているそうです>
<宮本さんは
3人の息子がいますが
誰も野球をしないため
颯さんが唯一の
キャッチボール相手なんだそうです>
< ところで
<八代市内の実家を
取り壊すことになった際
後輩たちが片付けの手伝いに
来てくれました>
< それは
旧国鉄の九州保線区長を務めた
祖父直さんが 退職金で購入した
掛軸で
長年 床の間に
かけっぱなしになっていました>
でも 後輩が…。
って言うんです。
< そこで作業を止めて
みんなでスマホで検索したところ…>
ってなりまして…。
<以来 価値が気になって
しかたがないそうです>
それは気になる。
いいものだと期待しています。
鑑定 よろしくお願いいたします。
<果たして その作者とは?
スタジオで拝見しましょう>
依頼人の登場です。
熊本県からお越しの
ようこそ 「鑑定団」へ。
どうも。
(一同)よろしくお願いします。
あららら でも
よかったですね 調べて。
引っ越し手伝ってくれた
後輩の方の大手柄じゃないですか。
あっ まだ
結果はわかりませんけどね。
お宝 オープン。
これは どなたの作品でしょう?
曾我蕭白の掛軸です。
曾我…。
(今田/福澤)蕭白。
しっかり書いてる 曾我蕭白って。
これを みんなで
スマホで調べたんですね?
みんなで調べました。
どなたが いちばん最初に
気がついたんですか? これ。
いちばん背の高い子が…。
背の高い…。
いやいや 再現V
あれ ホンマのメンバーですか?
あぁ そうですよ。
あっ あの…。
そうです。
メンバーが全員
ホンマのメンバー集めたんですか。
そうなんです。
お名前はなんていうんですか?
久保田といいます。
久保田くん。
久保田くんのお手柄ですよ
じゃあ これ。
落款も
みんなで調べたんですけど
初期のときの落款のみたいなのが
押してある…。
子どものころ この掛軸を
見たことはありました?
ゾッとするような絵なんで…。
ちょっとね。
なんか 子どもが食いつく絵じゃ
ないですね。
すっごい特徴のある画風というか
顔がすごいわ 馬の。
めちゃめちゃオリジナリティーやわ。
ずっと
保管してあったんですけど
無頓着な父が引っ張り出して
ダラーンとかけてたと…。
かけっぱなしの感じ出てるな
でも…。
電気線なんですよ あれ
かけてるひも。
ようは もう
切れそうになったんでしょうね。
見たことない 「鑑定団」で
電気コードでつってる。
それくらい無頓着なんですよ。
<18世紀。
京の画壇は 百花繚乱>
<写生の大家 円山応挙>
<奇想の絵師 伊藤若冲>
<文人画の与謝蕪村>
<気鋭の男たちが 次々と
新しい日本画を作り出していた。
なかでも異彩を放ったのが
曾我蕭白である>
< ひとたび目にすれば
その夜は夢に出て
うなされてしまうほど
強烈無比のあくの強さ>
インパクト 強いな。
これ 泣くわ。
< さりとて
伝統的な山水画もお手の物>
<端麗至極な筆致に 心安らぐ>
<当時の文献には
こう記されている>
<1730年 京の染物屋の次男として
生まれたが
若くして家が没落し
生計を立てるべく
絵師を志したと伝えられる。
独学で絵を学ぶうち
ほぼ廃絶状態にあった
桃山時代の流派
曾我派に私淑。
曾我蕭白と名乗るようになった。
定住は好まず
風のむくまま 気の向くまま
伊勢や播磨を放浪し
寺 庄屋 豪農の家で
半年 1年と居候。
ひたすら
酒を飲み続ける日々のなかで
ふいに興が乗ると
おもむろに筆をとり
あとは 一気呵成。
それは 酔っ払いの戯れとは
到底思えない
鮮やかな出来栄えであった>
< たとえば この 『唐獅子図』。
松阪 朝田寺の本堂内陣の壁面に
描いたものだが
縦横2mあまりの大画面に
阿吽の唐獅子を配しており
その躍動感と迫力が
見る者を圧倒する>
<日々 酒におぼれながらも
蕭白の目は冷徹で
常に 世の不条理を見つめていた>
<『柳下鬼女図』は
戦乱から抜け出した女が
飢えに苦しみ
ついに 我が子を捨てる姿。
すなわち 女が鬼になった
その一瞬をとらえた>
<代表作は 『群仙図屏風』。
不老不死の象徴ともいうべき
8人の仙人を描いたものだが
いずれも
極端に誇張した奇怪な姿で
色彩も
悪趣味と思えるほど毒々しく
ここには
風情も情緒も まったくない。
しかし
グロテスクとダイナミズムの極みは 空前絶後。
ひとたび目にすれば
二度と忘れることはないであろう。
改めて 依頼品を見てみよう。
曾我蕭白の掛軸である。
川の両岸で
人々が馬の体を洗う様子が
墨一色で描かれている。
濃密な筆致と
人物の滑稽な表情は
蕭白を思わせるが…>
いかがですか?
VTR ご覧になって。
ドキドキしてきました。
なんか 似てますよね でも。
ちなみに 僕はもう
本物だと思いますね これ。
<今度こそ
ご本人の評価額になります
おいくらですか?
500万円でお願いします。
500万円。
まいります
オープン ザ プライス。
あぁ!
2万円!
残念でした。
ダメだ 俺もう…。
ダメだったか。
今田さんまで落ち込んでます。
ダメだな~。
江戸の末期くらいに
描いたものだろうと思います。
蕭白らしさっていうんでしょうか
その 人物の顔とか
そういうものは わりと一生懸命
描いてるんじゃないかな
と思いますね。 ただ
物を写しとる力というか
表現力は ないなと…。
人物の衣紋とか
非常に平面的…。
いちばん手前の馬
蹄 見ますとね
なんか 靴をはいてるような…。
ホンマや!
曾我蕭白というと
非常に 奇抜な絵。
それを基準に
考えがちなんですけれども
やはり基本には しっかりとした
技があったんだと思いますね。
<仏教が伝来して 1, 500年。
長い歴史を誇る名刹には
代々 受け継がれてきた
すごいお宝が
眠っているに違いない。
そこで…>
<鑑定士は
早速 いってみよう!>
お坊さんのお宝 鑑定大会!
<トップバッターは…>
<1986年
<ルポルタージュ 『極道の妻たち』は
映画化され 大ヒット。
その5年後
< これは 1年間 アメリカで
女性エイズ患者と
共に暮らしながら
まだ 偏見の多かった
エイズの実態に迫った衝撃作で…>
< しかし
苦しむ人々を助けるには
自分の力だけでは足りないと
思うようになり…>
<以来 高野山で修行を重ね…>
<現在は
自ら 僧侶になろうと
思ったんですか?
そうです 取材した人たちが
結構 もがいてる方とか
多いので そういう方たちが
気楽に立ち寄れる
僧侶になられて 生活観とか
変わってきました?
そうなんです。
断つことできたんですか?
(笑い声)
< お宝は…>
<22年前から 毎月 吉原遊郭
ゆかりの吉原神社で
関東大震災で亡くなった
遊女たちの供養を行っており
その神社の総代が
長年の供養のお礼として
この焼物を手渡してくれた>
ということで…。
<鮮やかなアザミの花が
絵付けされており
とても気に入っている>
金髪は…。
やっぱね。
ちょっとね かわいらしく。
こだわってらっしゃる。
<本人評価額は
期待を込めて 10万円。
将来
駆け込み寺を建てたときには
いちばん目立つ玄関に
飾ろうと思っている。
果たして 結果は!?>
ジャカジャン! 来い!
< これはすごい!>
気楽にお預かりしちゃったけども
えらいことですね これ。
えらいことです。
14代 酒井田柿右衛門の作品に
間違いございませんね。
(拍手)
ボディーの中いっぱいにね
アザミの花を描いておりますけどね。
みずみずしさを持ってね
たいへんに力強い
この生命力ね
14代の特徴なんですよね。
この 「正」という銘は珍しいです。
昭和57年に 48歳で
14代を襲名する前の作品ですね。
これからも長く 楽しんで
大切になさってください。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
この後はコメンテーターとして
おつきあいください。
はい。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
<続いては 東京都 江東区にある
陽岳寺の…>
<2013年
<地域の人が集う場を
作り上げました。
更に
< こちらは御朱印をあつめ
その数や決められた役によって
得点を競うもので
その斬新なアイデアが 大きな話題に。
他にも プレーヤーが住職になって
寺を経営し
檀家をあつめるゲームや
みんなで 浄土にたどり着くのを
目指す すごろくなど
仏教に関係するゲームを 次々と発表。
今なお
もともと。
何がきっかけで?
子供たち 喜ぶでしょうね。
そうですね。
< お宝は
江戸時代中期の絵師…>
<実は 陽岳寺には
一蝶の息子 信勝の墓があるが
一蝶にまつわる品は何もなかった。
そこで 住職である父が
三十数年前
骨董商から この掛軸を
20万円ほどで買い求めた。
雄大な富士山が描かれており…>
なるほど。
どうですか? お客さんの反応は。
(笑い声)
<本人評価額は 今なら
これくらいかなぁと 50万円。
自分は 絵に興味がないので
真贋は まったくわからない。
でも まさかお坊さんを
騙すなんてことはないはず。
果たして 結果は!?>
ジャカジャン! 来い!
< う~ん 残念!>
英一蝶の作品ではありません。
下の松が 2列に並んで
曲線になってますね。 道沿いの
松ではないかって考えます。
ということは その東海道の
富士ということで
特に 一蝶は
人物画で有名ですから
東海道の道沿いに 人物を描かない
ということは まずありえない。
印章は 「信香之印」
というふうに押されてますが
やはり違います。
あら。
<続いては 東京都 葛飾区の
< ごめんくださ~い>
はい。
< えっ!? いったい何を!?
なんと
< この方が…>
<若い頃は
< ところが
1996年 父の死をきっかけに
寺を継ぐことを決意し
住職の道へ。
とはいえ 服装は まったく
お坊さんらしくありませんが
何か 理由があるのでしょうか?>
< そこで 門徒の皆さんに
お経をわかりやすく伝えようと
本堂に 電光掲示板を設置し
春日さんが 簡潔な言葉で
現代語訳したものを
表示しています。
更に 境内になんと プラネタリウムまで
作ってしまいました。
もちろん 仏の教えを
広めるためのもので
法話を交えつつ
星空を解説しています>
プラネタリウム?
プラネタリウムはね あの…。
フワッて なんか… お説教が
始まるんじゃなくて…。
すごいな… あれ?
< お宝は…>
< かなり昔に
寺に寄進されたもので
詳しいことは
まったくわからない>
最近の仏像 結構
丸いんですけど…。
(原口)詳しいほうですか? 仏像。
仏像の本 書いてんすか?
そう。
もう 絶版ですけどね。
<仏像の歴史については詳しいが
美術的な価値については
全然 興味がなかった。
そのため 作者のことなど
気にも留めていなかったが…>
< なんと
「高邨光雲」と刻まれていた。
以来 これが本物かどうか
ずっと気になっている。
しかし 本人評価額は
ごくごく控え目の5万円。
長年 なにげなく親しんできた
仏像が
あの有名な高村光雲の作だとは
いまだに信じられない。
果たして 結果は!?>
ジャカジャン! 来い!
< やっぱり…>
高村光雲ではありません。
(原口)違う?
はい。
光雲さんがお作りになる観音像…
だいたい 6頭身なんですね。
これ 5頭身くらいで
顔が少し大きい。
それから もう少し
顔がふっくらとしていて
光雲さんの作り方ではない。
それから 裏を
拝見しますと
「村」という字を
その字を使っているというのは
よく知ってる人が
刻んだんだろうっていうのも
あるんですけども
字がやっぱり 乱れてます。
<最後は 群馬県高崎市。
大聖護国寺の住職
飯塚秀譽さん。
大聖護国寺は…>
<江戸時代 5代将軍 綱吉の母
桂昌院が厚く帰依し
五大明王や三十六童子などの
仏像だけでなく
不動堂や客殿 表門などを
寄進しました>
<五大明王など
<飯塚さんは
桂昌院の恩に報いたいと
<更に今年 桂昌院をイメージした
枯山水の庭園
桂昌庭を作庭しました。
また 現在
「デジタルマーガレット」で連載中の
桂昌院が主人公の
そうなんだ!?
荘子さん 知ってました? これ。
いやぁ… これ すごいわ。
< お宝は 中国 明時代の画家…>
<寺の言い伝えによると…>
というふうに伝わっております。
え~っ! すごっ!
<実は この掛軸
明治時代に一度盗まれ
一時期 行方不明だったが その後
無事に戻ってきたと聞いている>
<本人評価額は
本物と信じ 60万円。
あまり考えたくはないが
もし ニセモノであれば一大事>
<桂昌院から寄進された
中国 明時代の画家 仇英の掛軸
二幅。
果たして 結果は!?>
ジャカジャン! 来い!
< よかった!>
ありがとうございます。
(原口)やりました!
(原口)あっ 違うんすか?
はい。
1500年代 いわゆる16世紀の
作家ですけども…。
この作品はですね
ニセモノというよりも
やはり 1600年代後半…
いわゆる 清朝に入ってからの
写しなんですね。
仇英はですね
非常に細密描写で
人物表現を得意とした作家で
この作品は よく見ると
不都合な場面が出てきます。
たとえば… 囲碁ですかね。
碁をしてる人いますけども
右側の人物 角に座ってますよね。
やはり それは
正面にいるべきもので
そういった描き方は
やっぱり しないですね。
場面 場面を見ると
仇英らしくないところが
まぁ 出てきますけども
今の中国の市場でいうとですね
古画の山水画っていうのは
それなりに
やはり 評価がされています。
ありがとうございます。
どうもありがとうございました。
(拍手)
< お坊さんのお宝鑑定大会は
これにて 無事 閉幕>
さぁ ここからはですね
あのお宝は今… ということで
放送後 意外な出来事のあった
お宝をご紹介いたします。
<去年11月に登場した
大槻敏之さんのお宝は
1950年代から 70年代に販売された
ミニカー 47台。
大叔母が 幼い息子のために
購入したもの。
しかし その息子が
若くして亡くなったため
大槻さんが いただきました。
<本人評価額 100万円に対し
鑑定結果は…>
大変だ!
久しぶりに ドキッとしました。
専門店 行っても これだけ
品物揃わないです。
< なかでも
特に高値がついたのが
大盛屋玩具のミニカー 14台>
アンチモニー製なんでね
壊れちゃうんですよ。
なかなか コンディションが
いいのがない。
いちばん高いのがですね
スバル360。
これ? 360。
はい それ 60万。
え~!
ほ~っ!
< すると放送後 番組宛てに
あのミニカーを
譲ってほしいというメールが。
そこで 大槻さんに
お伝えしたところ…>
僕としても興味があるので
ぜひ 話を聞いてみたいです。
< というわけで
その方に会うため
リポーターの石田靖が東京都江東区へ>
どんな方なんでしょうか。
(玄関チャイム)
こんにちは。
どうも はじめまして
石田と申します。
ようこそお越しくださいました。
< こちらがメールを
送ってくれた…>
<ミニカーの持ち主 大槻さんにも
リモートで参加していただきました>
早速ですけど なんでミニカーを
欲しいんですか?
えっ?
<細部まで作り込まれた造形が
車好きの大人にもウケ 人気に。
しかし こだわりの
生産方法が経営を圧迫し…>
<父が心血注いだミニカーは
1台も残っておらず
ずっと手に入れたいと
思っていたところ 「鑑定団」で…>
ここに あったと。
もちろん そういうことでしたら
<大槻さんも愛着がわいたため
こちらの3台だけは 手元に残し
それ以外は譲ってもいいとのこと。
大盛屋のミニカー14台のうち
それらを除いた 11台の鑑定額が
122万円だったので…>
122万円でご購入ということで
よろしいでしょうか?
大槻さんもよろしいですか?
作った方に
いずれ手元に戻るっていうのは
すごくうれしいし
< というわけで
<ミニカーは ご主人が経営する
レストランに展示するということで
後日 お持ちしました>
わ~ 懐かしいです。
囲まれて
遊んでいたりしていたのを
今 よみがえってきました。
ホントに父が 丁寧に作って
頑張ってたんだなっていうのを
感じます
譲っていただいてホントに
大槻さん ありがとうございます。
<近々 店内を改装し
専用の展示スペースを
作る予定だそうです>
行くべきなところに行きましたね。
いい話じゃないですか。
ホントですよ すごい運命。
<続いては 美しい八ヶ岳を望む
長野県茅野市から。
早速 お伺いすると
庭で薪割りの真っ最中でした>
<次なる
<一緒に作業しているのは
父の道雄さん。
精が出ますね>
ここに来たら たまに
<確かに…>
< ならば お父さんの腕前を
見せていただくと…>
<作業が一段落すると
薪ストーブでピザを焼き
ランチタイム。
うわ~ おいしそう>
< ところで…>
でも僕は
正直 半信半疑です。
鑑定…。
(2人)よろしくお願いします。
<スタジオで拝見しましょう>
依頼人の登場です。
神奈川県からお越しの
ようこそ 「鑑定団」へ。
どうぞ お願いします。
最高の別荘出来たね。
そうですね。
ありゃいいわ お子さんもね
うわ~ 走り回れて。
自然もいっぱいあるので
すごく いい環境だと思います。
うらやましい
薪ストーブで作ったピザ?
最高じゃないですか あれ。
ちょっと
遊びに行く分には憧れますけど
住むとなると やっぱり
ちょっとハードル高いですよね。
そうなんですよ だから
ちょうどいいポジションですよ。
そうですね。
お宝オープン。
えっ?
おっ?
なんですか これ。
帝国ホテルのレンガなんですけども
今の帝国ホテルの
1つ前のときの帝国ホテルの
フランク・ロイド・ライトっていう
有名な建築家が設計した
玄関の部分だと
いうことらしいんですが。
なんで それが家にある?
亡くなった祖父が
もともと業務用の
洗濯機を作る仕事を
してたんですけども
その洗濯機が
帝国ホテルに使われてまして。
納品してたんだ。
はい で メンテナンスとかで
よく出入りしてたんで
ホテルの方と親しくなって
改築のときに 記念にいただいた。
帝国ホテルって
洗濯技術的には有名なんですか?
かなり有名で
ホテルでついた汚れを
必ず落とすだとか。
ボタンが取れてしまったものが
洗濯に出されても
つけて返すだとか。
同じボタンを探してくるんですよね。
そうなんです。
俺マンガで見たことあるぞ それ。
フランク・ロイド・ライトさん
ご自身は知ってたんですか?
学生時代にインテリアデザインを
ちょっと勉強してたことが…。
ぽいわ~。
(笑い声)
ホントだ。
インテリアデザイン勉強しそうやわ。
<帝国ホテルは
130年以上の歴史と伝統を誇る
日本を代表するホテルである。
開業したのは 1890年。
初代会長は
大河ドラマ主人公の この人
渋沢栄一であった。
1910年頃から
宿泊客の増加により
新館建設の計画が持ち上がり
時の支配人 林愛作が
設計者として
白羽の矢を立てたのが
アメリカ人建築家
フランク・ロイド・ライトであった。
ライトは 後に
流れる滝の上に建つ落水荘や
カタツムリのような曲線で構成した
グッゲンハイム美術館を設計し
20世紀を代表する建築家
と呼ばれるまでになったが
この頃はまだ
個人住宅の設計しか経験がなく
初めて挑む巨大プロジェクトであった。
そのため ライトの意気込みたるや
すさまじく
2, 000枚に及ぶスケッチを描き
最終的には 京都 宇治の
平等院鳳凰堂から想を得た
左右対称の構造に決定した。
基礎工事では
下の岩盤まで杭を打たない
浮き基礎を採用。
揺れに逆らわないことで
被害を最小限に抑えるという
当時としては
画期的な発想であった。
ライトは完璧を求めるあまり
たびたび設計を変更したため
工期は延びに延び
費用も 当初の予算
150万円をはるかに超え
900万円にまで膨れ上がった。
そこで
< その後は 弟子の建築家
遠藤新が指揮を執ることとなり
失意のライトは完成を見ることなく
アメリカへと帰っていった。
着工から4年の歳月を経て
新館が完成したのは
1923年8月末のこと。
9月1日 午後から
開業披露のレセプションを
行う予定であったが
午前11時58分
突如 激しい揺れに襲われた。
関東大震災である。
帝都東京は
一瞬にして がれきと化したが
ライト設計の帝国ホテルは
多少の亀裂や
破損が生じたものの
大きな被害はなく 無事であった。
この通称ライト館は
<中央玄関部分のみが
愛知県 犬山市の
博物館 明治村に移築され
現在も その姿をとどめている。
幾何学模様の装飾が
随所に施されており
一見 過剰に思われるが
それがかえって
エキゾティシズムあふれる空間を
生み出しており
まるで1つの
大きな芸術作品のごとくである。
当時 世界中の人々から
東洋の宝石と絶賛された>
<ライトが このホテルを建てるにあたり
用いた材料が
大谷石とレンガであった。
特にレンガは
ライトが従来の赤レンガではなく
黄色のレンガを望んだため
愛知県常滑に 直営の
帝国ホテル煉瓦製作所を設立し
まずは
その色を出す研究から始めた。
試行錯誤のすえ
空気を大量に入れながら焼く
酸化焼成を行うことにより
理想の黄色を出すことに成功。
更に レンガ一つひとつに
スクラッチを入れ
独特の質感を生み出した。
また ライト自身がデザインした
不思議な形のテラコッタも製作した。
これは 石こうで型を作り
その型に粘土を詰めて抜き取り
その後
竹べらで修正を加えるという
とても手間のかかるものであった。
煉瓦製作所では
このようなレンガやテラコッタを
400万個以上も製作した。
このとき
技術顧問を務めた伊奈長三郎は
ホテル完成後
煉瓦製作所の従業員と設備を
自身の工場に引き継ぎ
< この会社は その後
日本を代表する
大企業へと成長した。
すなわち INAXである。
改めて 依頼品を見てみよう。
帝国ホテルで使用された
テラコッタである。
高さは 22cm。
直線を用いた
幾何学的なデザインで
2か所がくり抜かれている。
L字型であることからすると
壁か柱の角に用いられたものか>
あれ!? あれ 黄色や。
さっきまで
赤く見えてたんですけどね。
なんか黄色っぽくなってきました。
なんで!?
(片渕)レンガと思ってたからですよ。
思い込みって怖いですね。
自分で フィルターを
かけちゃったんでしょうね。
ホンマや 脳が。
レンガは赤いと思い込んでたんや。
そうそうそう。
黄色でした? 最初から。
いや 僕は赤く見えました。
やっぱ そうですよね?
はい。
安河内さん 黄色でした?
こんな黄色じゃなかった。
そうですよね!
55年で初めての経験や。
それはそうと
ご覧になって いかがですか?
ごめんね。
めっちゃ興奮してもうたんや。
ライトが かなり思い入れを込めて
設計したというのがわかったので。
貴重なものであることは
間違いないし
欲しい人は絶対いると思う。
まあ 言ってもレンガの1つなので。
そうなんですよ。
価値が わかんないんですよね。
そうですね。
< このあと
ご本人の評価額です。
おいくらでしょう?
20万円くらいかな。
うんうんうん。
まいります。 オープン ザ プライス!
250万!
250万!
(拍手)
うわ~ ビックリ! 家宝だ。
帝国ホテルで実際に使われてた
テラコッタに間違いありません。
側面を見ますと
当時 接着していた
モルタルの跡が
ちゃんと残ってるんですね。
こちらは ライトが
自身でデザインしたものなんですね。
帝国ホテルを設計したのが
だいたい
1910年から
1920年くらいなんですけど
アール・デコ様式の
典型的なデザインなんです。
テラコッタは 平らのと
このようにL字型のと
2種類ありまして
これは角に使うものなので
平らなものよりか
圧倒的に数が少ないんです。
ホンマや!
いくつ作ったか
わからないんですけども
おそらく数百っていう単位じゃ
ないかなと思うんですね。
ライトは 設計したもので8つが
世界遺産になってるんですね。
歴史的にも
価値はありますけれども
1つのオブジェと見たときに 非常に
すてきで いいものですよね。
これからも大切になさって
いただきたいと思います。
いや いかがですか? 改めて。
ビックリしたのと
あと今田さんが こんなに色に
食いつくとは思わなかったんで
そっちに ちょっとビックリして。
どうも ありがとうございました。
どうも ありがとうございました。
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